国立戦争博物館とは似而非な靖国神社遊就館

敗戦記念の日の靖国神社遊就館には今年も多くの外国人が訪れていました.彼らは日本を代表する国立戦争博物館だと思いながらその展示を見,なるほど日本人の戦争史観はこういうことなのかと学んで帰国していきます.危険で恐ろしいことです.

よく誤解されるのですが,遊就館は「国立戦争博物館」どころか,正式な意味での「博物館」ですらありません.極論するなら靖国神社という一宗教法人の「宝物殿」の位置づけを超える存在ではないのです.近代史の学術成果を日本国の見解として世界に問う「国立戦争博物館」は,残念なことに現在の日本には存在しないのです.

「遊就館」の展示は確かに通史に沿っていますし,解説は戦史の専門家によって執筆・監修されています.しかし遊就館には通常の博物館が備えているような学術・研究部門はありません.歴史系の学芸員や専門家が研究を行っているわけでもなく,論文を公開し学会で発表し,厳しい検討と議論を経た学説をもとに展示を構成するという,普通の博物館ならば当然踏まえるべき手続きは一切行っていないのです.その意味で似非博物館と云っても過言ではないでしょう.

遊就館が歴史系博物館ではないとしたらそれは何か.それは英霊の御魂とご遺族の気持ちを慰めるという宗教的動機に基づいて作られた「慰霊施設」なのです.遊就館が展示している,閔妃暗殺も南京事件も捕虜虐待も華僑虐殺も生体解剖も存在しない日本近代軍事史は,神社という立場でのみ語れる「宗教的真実」なのです.おじいちゃんはとても立派で清くて正しくて偉かったよと語りかけるのは子孫にとってはうれしいことでしょうが,歴史論争や政治と切り離された次元で「慰霊」の場に徹するのが遊就館のあるべき姿といえるでしょう.

いま訪れる外国人が、これが日本人の歴史観だと思ってしまうのは本当に危険で恐ろしいことなのです.私は,遊就館が外国人や多くの日本人に,日本国の見解を代表して語っている博物館と受け取られていることに大変な危惧を抱いています.それはこれからの日本の国際・外交関係に決して有益な結果を齎さないでしょう.逆にいえば日本には本当の意味の「国立戦争博物館」が必要なのです.別に豪華な建築などなくてもいいから,そのかわりにきちんとした組織,バランスのとれた専門学芸スタッフ,国立大学教授クラスの研究者,整った研究環境と相応の予算によって近代史研究の実績を積み上げ,その成果に基づいて世界と対等に語り合っていける,そうした国立戦争博物館が存在するべきなのです.

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
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