増補改訂:M・ゴーリキー『どん底』(1902)と古儀式派――下斗米伸夫著『神と革命 ロシア革命の知られざる真実』に触発されて――

著者: 岩田昌征 いわたまさゆき : 千葉大学名誉教授
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 2017年・平成29年は、ロシア革命百周年であった。ソ連東欧の社会主義体制が自崩してすでに四半世紀の時間が流れていた。日本社会の関心は完全に薄れていたが、それでも旧「新左翼」系のいくつかの研究会は、ロシア革命を主題に議論する気力を保持していた。
 私は、合澤清氏主催の現代史研究会(2017年11月25日)と村岡到氏主催の研究会(2017年12月2日)に出席した。ともに報告者は、法政大学教授下斗米伸夫氏であり、ロシア2月革命のリーダーであった大資本家グループも10月革命のイニシアティブをとったレーニン等ボルシェヴィキも正統派ロシア正教会とロシア帝国宗教警察によって250年間弾圧されて来たロシア正教古儀式派、いわゆる分離派の諸潮流と密接に連動していたと情熱的に説かれた。1905年革命と1917年2月革命に突如、革命の成果として登場したように見えた労働者ソビエトは、その実、分離派教徒・古儀式派教徒が長年の地下信仰生活の中で創り出したネットワークの結節点、すなわち信者集団の中から選出された代表者達の常設会議=ソビエトそのものであった。
 分離派・古儀式派の教徒集団こそロシア資本主義生成期に資本家階級と労働者階級をその内部から産み落とした母体的社会階層であった。レーニンの『ロシアにおける資本主義の発展』に欠けているロシア史的事実である。西欧資本主義におけるプロテスタントに対応する。
 かかるロシア民衆史的起源を有するソビエトが西欧起源のマルクス主義的社会主義に摂取されて、ソビエト社会主義連邦共和国が誕生した。その摂取者がレーニンその人であったから、ソ連マルクス主義が西欧マルクス主義と区別されて、マルクス・レーニン主義と呼ばれる訳か、と私は妙に納得した。
 二つの研究会の中間の日(2017年11月29日)に「東京ノーヴィ・レパートリーシアター」のレオニード・アニシモフ演出ゴーリキー作『どん底』を観た。
 実は、11月25日の現代史研究会において対抗討論者の役割を引受けていたので、下斗米伸夫著『神と革命 ロシア革命の知られざる真実』(筑摩書房 平成29年・2017年)とN・M・ニコリスキー著/宮本延冶訳『ロシア教会史』(恒文社 平成2年・1990年)等を読んでいた。それ故に、ソ連文壇の大御所となったゴーリキーと古儀式派の結び付きや古儀式派の地下生活に関する一応の観念像を持つことが出来ていた。そういう予備知識を持って、『どん底』を観ると、主要登場人物のルカ老人に古儀式派的なにおいを直感できた。他の諸々の登場人物達とは明らかにその登場と退場の仕方においても、その発言と行動の内容においても明々白々に異なる社会人格的行動性格を表出している老巡礼ルカについて、この人物は古儀式派の流れに生きているのではなかろうか、と直覚した。
 『どん底』のモスクワ芸術座初演は1902年、すなわち1905年革命の時にニコライ二世の勅令「宗教寛容令」が出る数年前である。古儀式派・分離派はいまだ法的には地下生活者であった。旅券を持たず、官憲の前からいつの間にか姿を消してしまうルカ老人の形象に符号する。
 2017年12月2日の研究会では一聴衆として会場からその趣旨の質問をしたが、時間切れで下斗米氏から回答をいただけなかった。

 そう質問した訳であるから、自分なりに仮説的にも解答を出したくなり、知人のロシア語通訳女史から露語の『ゴーリキー戯曲集』(学校図書館、「児童文学」出版、モスクワ、1966年)を借用して、そこに納められた『どん底』(pp.115-182)と日本語訳を対比してみた。「東京ノーヴィ・レパートリーシアター」の『どん底』は遠坂創三訳であるが、その入手が出来なかったので、手元にあった岩波文庫版中村白葉訳『どん底』(昭和11年・1936年第1刷、平成29年・2017年第77刷)を用いた。
 中村白葉訳『どん底』から古儀式派的性格を開示しているように見えるルカ老人の科白を引用列挙してみよう。
 ――(台所で、うたう。)夜はくろうて……道は見えず……(p.35)
 ――(男爵が「お前は旅券を持ってるか?」と問うに対して:岩田)お前さんはなんだね―探偵かね?(p.39)
 ――酒飲みの療治もできるって話だから!それも、ただで直してくれるって話だよ、兄弟……酒飲みのために、そういう病院ができてるのさ……いわばまあ、酒飲みも同じ人間だということがわかって来たというわけだな、それで、人が直してもらいに行くと、かえって喜ぶという話だよ!だからさ、お前も早く行ってみなさるがいい!(p.64)
 ――わしはただ、人にいいことをしなかったのは、悪いことをしたと同じだと言ってるだけだよ……(p.70)
 ――いいところだぜ、シベリヤは!黄金の国だぜ!力と智慧のある者にゃあ(p.72)
 ――わしだよ……このわしだよ……ああ、主、イエス・キリスト様!(p.81)
 ――情け深きイエス・キリスト様!(p.83)
 ――やれやれ……まあお聞きよ、お前さん!(p.103)
 ――小ロシヤの方へな……なんでもそこに、新しい宗教が開けたという話を聞いたで……ちょっと見ておきたいと思うのさ……そうさ!人間て者はいつも、少しでもいいものいいものと捜し求めているんだよ……(p.107)
 ――(木賃宿、つまり「どん底」=地下室宿の主人コストゥイリョフが、「そもそもだ、巡礼とはいってえなんだい?」と正統派ロシア正教会的と思われる正しい巡礼のあり方を説いて、ルカ老人を批判し、「お前はいったいどんな巡礼だね?……旅券も持ってねぇじゃねぇか……ちゃんとした人間なら、旅券を持ってなくちゃならねぇ…」と責めたてるに対して:岩田)しかし、なんだよ、人間にはそういうのもあれば、そうでない人間もあるからね……(p.116)
 ――(妻の葬式費にあてるために商売道具を売ってしまって、仕事が出来ないと嘆く錠前工クレーシチにサーチンはなんにもしなくて「地球のお荷物になっていろ!」と突き放すような助言をするに対して:岩田)お前、そんな話はな、無僧宗(分離教徒の一つ:中村白葉注)のとこへでも行って聞かすがいいんだ……そういう人たちがいるんだよ、それが無僧宗といってね……(p.123)

 ここで、ロシア正教会の正統派・体制派と古儀式派・分離派の相違について一言しておこう。それは、1666年のロシア正教会の儀礼改革に関する論争とそれに続く分裂に由来する。ニコン総主教の改革派は、コンスタンチノープルのギリシャ正教会の同時代的儀礼と祈祷書を承認し採用する。反改革派は、9世紀にギリシャから伝わり、それ以降17世紀までロシア正教会で行われていた古い儀礼と祈祷書にこだわる。前者が勝利し、ロシア帝国の国家宗教・国家儀礼となる。後者は敗北し、異端となり、徹底的に弾圧されるが、大衆的焼身自殺等で抵抗し、しぶとく生き残り、ロシア皇帝を「反キリスト」であると断罪・憎悪する。神学上の教義対立ではなく、主として実生活上の宗教儀礼対立である。
 正統派は、四端の十字架を用いる。三本指で十字を切る。十字行を反太陽回りで行う。イエスをИИСУС、ІІЅUЅと記す。
 古儀式派は、八端の十字架を用いる。二本指で十字を切る。十字行を太陽回りで行う。イエスをИСУС、ІЅUЅと記す。
 最後にイエスの表記についてだけ、古儀式派の反撥の理由をニコリスキーの大著『ロシア教会史』に従って述べておこう。「ニコンの時までに不思議な力を持つと考えられていたのはイスス」の御名であった。――《これは聖なる天使によって神の御名に従って命名された、救いの(すなわち霊魂を救う)彼の御名である》。新しい祈祷書の中でこの名前を《イイスス》という名に変更したことは最大の冒涜であり不遜であった。」(原文は傍点、強調:岩田、p.139)

 国家体制の精神的支柱となった正統派ロシア正教会は、農業社会の主要な経済関係の内部で、すなわち農奴制的経済関係の搾取層として生きて行くことが出来たが、彼等を「反キリスト」の手先だと弾劾する古儀式派信者集団は、その底層農民として、あるいはその外部に生活の資を求める小商工業者として生活する事になる。
 それ故に、教会体系から権力的に締め出された古儀式派信者達は、自分達の実際の生活に即して、まことに多様な諸分派を自生的に形成する。大別すると、神父容認派(ポポフシチナ)(司祭派)と神父否認派(無司祭派(ベスポポフシチナ))である。また夫々が多くの諸小分派を生み出す。とは言え、古儀式派諸分派の内部的団結力は強力であって、それに依拠して新しい経済活動、すなわち新産業の創発と発展の担い手にもなって行く。二コリスキーが提示する実例を紹介しよう。「秘密探偵タチーシチェフは、1736年、ウラルの工場における古儀式派教徒について、すでに次のような密告をペテルブルグに送っている。《これらの諸地方には、分離派の数が増大している。特にデミードフ一族、オソーキン一族の所有する工場では、ほとんどの管理人、否、工場主自身までもが何らかの分離派に属しており、もし彼等を追放するとすれば、その工場を維持していける者は誰もいなくなり、陛下の工場に対しても悪影響なしではすまないであろう。なんとなれば、ブリキ工場、針金工場、鋼工場、製鉄工場、その他多くの製造工場で、食料や日用必需品のほとんどすべてを商っているのはオロネッツ人、トゥーリ人やケルジェネッツ人であり――すべて分離派であるからである》。」(p.265)
 このようにして、古儀式派信者層の中からロシアの資本主義的産業化の担い手が先行的に成立して行った。ロシア経済史の研究者は、古儀式派正教をかのマックス・ウェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』におけるプロテスタンティズムのロシア版と見る。こうして、1860年の農奴解放を経て、19世紀末と20世紀初、主に古儀式派の資本家と古儀式派の工場労働者から成る産業資本主義がロシア国民経済の要を占めるに至る。従って、西欧資本主義とは異なって、ロシアの場合、体制の政治権力と宗教的権威に対して、先進経済力の労と資ともに強度に差はあれど元々から反撥していた。かくして、下斗米伸夫氏が『神と革命 ロシア革命の知られざる真実』で描くような物語が展開する。
 今や、『どん底』の巡礼ルカ老人と彼の周辺状況を考えるに必要な諸文章を下斗米氏の『神と革命』から抜き出しておこう。

 ――古儀式派資本は、レーニンの批判とは異なって実は労使協調でもあった。実際進歩的な企業主は企業メセナなどにより、作家M・ゴーリキーや信徒でもあるスタニスラフスキーが関係した演劇や、サッカーなどのスポーツ、医療を企業に持ち込んだ。マックス・ウェーバーが言う経済倫理を適用できる環境が、古儀式企業では確かに生まれた。(p.036、強調は岩田)
 ――当時マルクス主義者から見ても古儀式派工場は新奇で、革新的存在であった。後にソ連に戻った作家ゴーリキーが三十年代に『工場史』の編纂を任されたのも彼自身評伝を書いたサッパ・モロゾフやニジニ・ノブゴロドのニコライ・ブグロフといった古儀式派資本家との人脈があればこそ、である。(p.076)
 ――古儀式派、とくに信徒集会を重視する無司祭派(中村訳『どん底』の「無僧宗」:岩田)は、「集会」を意味するソビエトを作っていた。そのソビエトの統制のもと、信徒集団はしばしば工場単位で組織されていた。・・・・・・。無司祭派には、さまざまな問題を集団で「民主的に」解決する伝統があった。17世紀以来、古儀式派のソーボル(集会)やソビエトは、日常生活にかかわる問題で新しいこと、たとえば、新大陸からのジャガイモや工場で作った菓子を食べてよいかとか、工場内の衣服だとか、汽車などの公共交通の利用にいたるまで議論して決めてきた。しばしば、その解釈をめぐり、分派から対立まで生じたのである。(p.081)
 ――厳格な古儀式派の潮流は、近年でも電気エネルギーの利用やテレビの視聴を禁止したり、国家とかかわる年金の受給や旅券の受領を禁じてきたという。(p.082)
 ――べグン(逃亡司祭)派でも、ソビエトは重要な組織形態であった。主としてウラルやシベリアに広がったこの宗派であったが、「主要最高ソビエト」という機関をヤロスラベリに有していたという。この最高ソビエトは、下部のソビエトに指令を送っていた。……。この派の司祭に当たる機能は信徒の指導員(ナスタブニク)が担っていたが、その場合、出身の信徒集団から離脱することになっていた。この宗派の幹部信徒は自分の家を所有していなかったので、この宗派の信徒のための「避難所」なる施設に泊まっていた。……施設を用意する「隠匿者」なる人々が可能な限り大きな家の地下に宿泊施設を用意した。この系列の遍歴派の信者は、加入の際してこの指導員に宣誓を行うこととされた、と言う。(p.082)

 さて、先に紹介しておいた『どん底』のルカ老人の諸発言にもどろう。
『どん底』35ページでルカ老人が一人歌う「夜はくろうて……道が見えず…」(第ニ幕と第四幕でうたわれる有名な唄ではない。ご注意)は、ニコリスキーが大著『ロシア教会史』で紹介しているベグーヌイ(逃亡派の人々、下斗米氏は「べグン(逃亡司祭)派」:岩田)の唱歌「ああ、敬虔さよ!ああ、いにしえの正しき信仰よ!汝の輝きを滅ぼし、すべての光を暗黒で覆いし者は誰ぞ?……、……、信仰はあまねき迫害を受けて、祖国から、消えうせてしまった……。」(pp.304-305)に響き合う。
 『どん底』39ページと116ページに指摘される旅券不保持問題。古儀式派/分離派は、原則的に「アンチ・クリスト」のロシア帝国から旅券を受け取ろうとはしなかった。ルカ老人は、犯罪等の前歴の故に旅券を国家から支給されなかったのではなく、思想信条的に国家旅券を拒絶する厳格な古儀式派の流れに生きている。下斗米の081ページ、082ページを参照。
 『どん底』64ページにおける酒飲み療治問題は、下斗米の036ページにおける古儀式派資本の企業内福祉への関心に通じる。
 『どん底』72ページにおけるシベリア讃歌は、下斗米の082ページでべグン(逃亡司祭派)がウラルやシベリアに拡がったと指摘されている事と同調する。
 『どん底』81ページと83ページの「イエス・キリストさま!」は、露文『ゴーリキー戯曲集』p.149とp.150においてИсусе Христе(Исус Христосの呼格)、ローマ字表記すれば、Isus Hristeとなっている。ロシア正教会正統の用語は、あくまでИисус、Iisusである。研究社露和辞典、三省堂コンサイス露和辞典、小学館プログレッシブロシア語辞典にもИисусだけのっており、Исусはない。しかるにM・ゴーリキーは、ルカ老人に「イスス・キリストさま!」と言わせており、「イイスス・キリストさま!」と言わせていない。ゴーリキーは、ルカ老人が分離派・古儀式派である事をきちんと明記していた。
 『どん底』103ページのルカ老人の「やれやれ…」は、原文158ページではГосподи Исусе、すなわち「主イスス様」である。
 『どん底』123ページで言及されている「無僧宗」は、原文167ページбегуни、ベグーヌイ(逃亡派の人々)となっている。下斗米082ページの「べグン(逃亡司祭)派」そのものズバリである。前述したように、古儀式派は、神父容認派と神父否認派、すなわち司祭派と無司祭派の二大潮流に分かれる。岩波文庫版『どん底』の訳者中村白葉は、ベグーヌイの訳語にその上位カテゴリーである神父否認派=無司祭派=無僧宗を当てていたわけである。
 『どん底』すなわち地下室の木賃宿そのものがかつてべグン派が大きな家の地下室に逃亡司祭用に準備していた宿泊施設=「避難所」の商業的変容形であるかも知れない。亭主一族は体制権力に妥協していたとしても、逃亡司祭の流れのルカ老人が昔の縁でひょっこり訪れたのかも知れない・

 以上のように見てくると、老巡礼ルカは、古儀式派の無司祭派(無僧宗)のベグーヌイ(逃亡司祭)派系列の「指導員」性を有する遍歴信徒ではなかろうか、と推量したくなる。中村白葉は、解説において『どん底』に登場する諸人物が「しっかり大地に足をつけた現実的人物である」、「ルカは、……、ひとりやや架空の人物めく感銘を与える存在である。……、ゴーリキイの嘘の哲学、夢の教理の説教者であって、……ゴーリキイの思想の代弁者である。」(p.168)と書く。
そういう面もあろうが、素人的私見にすぎないが、19世紀末のロシア教会で現実に活躍していた古儀式派のベグーヌイ、ルカ自身「そういう人たちがいるんだよ。」と断言しているようなベグーヌイ派の民衆的活動家=一種のオルグと言う実在人物の反映であると見る事も出来よう。
 ここで、『どん底』70ページと107ページのルカ老人の発言を読み直してみよう。劇の終幕近くで、官憲の出現の最中に旅券を所持せぬルカ老人が姿を消した後に、登場人物の一人サーチンの口を借りて、ルカ老人の人間論、社会観、職業観を総括的に宣揚させている。それは、かすかに、マックス・ウェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』と重なり合う所があるかも知れない。しかしながら、それは、反営利的経済統制を強いるカルヴィニズムを心から受け容れた西欧人が世俗内禁欲倫理を確立し、天職としての経営と勤労の合理性を発展させて行き、その意図せざる結果、産業資本主義の自生を実現させると言うあの逆説的論理を示唆するわけではない。
 『どん底』70ページのルカ老人の言葉「わしはただ、人にいいことをしなかったのは、悪いことをしたと同じだと言ってるだけだよ…」は、イエスの「人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい。」と言う教え(マタイ7-12)よりも強烈である。「人にしてもらいたいと思うこと」は、すなわち「いいこと」である。ルカ老人によれば、それを人にしなかっただけで「悪いことをした」ことになってしまう。そうなれば、キリスト者の救いの確率はぐっと減少してしまうにちがいない。しかしながら、「人にいいこと」をするには、自分に余裕と富の源泉がなければならない。その余裕の源泉は、営利的経済生活における経営努力と労働の合理的強化からしか生まれない。これは、私=岩田の推論であり、ルカ老人が明言しているわけではないが、もしかしたら、このような順説的論理が古儀式派資本の発展において資本家と労働者の双方に観察できるかも知れない。
 下斗米氏もそうであるが、ロシア経済史研究者は、ロシア経済の資本主義的発展の担い手を古儀式派に見い出し、かつ西欧資本主義発展におけるカルヴィニズムに対応させる。
 ウェーバーは、伝統的カトリック教会よりもプロテスタンティズム、特にカルヴィニズムの方が教義上はるかに反営利・反貨殖であった事実から出発し、にもかかわらず、その後者の方が営利と貨幣の体系的極限システムである近代資本主義を生み出した逆説的論理を解明しようとした。
しかるにである。教義上の対立ではなく、儀礼様式上の見解の相違で分裂した正統ロシア教会会と古儀式派正教のケースであるが、後者の方がその後ロシア資本主義の生成と発展の宗教的土壌となったのは何故か、下斗米氏はその問を提起していない。
 儀式の相違、すなわち、十字架の形状、十字行の回転方向、イエスの表記差が経済関係・経済力に影響するとは考えられない。やがて、両者間に信徒達の経済行為に作用するような教義上の相違が発生したのか。それとも何か別の動因があったのか。
 下斗米氏036ページからの前記引用文が示するように、「マックス・ウェーバーが言う経済倫理」が「企業メセナ」であると誤解しているように見える。その故に、下斗米氏は上記の本格的な問を出せなかったのであろうか。
 最後に一言。
 平成29年・2017年11月29日の『どん底』の舞台でルカ老人は何本指で十字を切っていたか、はっきり見えなかった。

平成30年9月23日

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 https://chikyuza.net/
〔study1006:181126〕