壊れゆく日本。沖縄と福島は戦争状態にある。壊れゆく日本を再建する源、それは沖縄と福島にある。

著者: 柳原敏夫 やなぎはらとしお : 弁護士((ふくしま集団疎開裁判・元弁護団長)
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1、壊れゆく日本。沖縄と福島は戦争状態にある

日本が壊れているかどうかは、沖縄と福島を見れば分かる。

なぜなら、沖縄と福島は戦争状態にあるから。

沖縄は、太平洋戦争の沖縄戦が終わった後もずっと戦争の入り口に立っている。
1962年のキューバ危機で米国は沖縄米軍に中国に向け核攻撃命令を下したが、現地司令官の命令無視の判断により発射されず、全面的核戦争の発生つまり人類滅亡を免れた。この事実が最近明るみにされた(2015年3月15日東京新聞)。2017年9月10日放送NHKスペシャル「スクープドキュメント沖縄と核」)

ずっと戦争と隣合わせに生きてきた沖縄県民は「命こそ宝」を掲げ、基地縮小を叫び続けてきた。だから、これに全く応じようとしない日米政府の本質を知り抜いている(沖縄戦で息子を失い、戦後、米軍の銃剣とブルトーザーで土地を奪われるという非人間的な目に遭わされてきた阿波根昌鴻(あわごん・しょうこう)さんの「米軍と農民」「命こそ宝」参照)。

だから、沖縄県民は、今後、集団的自衛権の戦争になった時、日本政府が私たち市民(沖縄県民)を決して助けることはないことを過去の経験から学び尽くしている。

 

福島も、2011年3月11日以後、戦争状態にある。放射能という目に見えない人体への情け容赦ない攻撃にさらされ続けているから(※1)。
その中で、何も言わない福島県民でも日本政府の本質を知り抜いている。日本政府は、戦争状態にもかかわらず放射能の感受性の高い子どもすら避難をさせようとしなかったどころか、民主主義の基本原理である法治国家を放棄し、法律に基づかず、いきなり学校の安全基準を20倍に引き上げて、(お偉いさんたちの子弟は避難させても)一般の子どもらを福島に閉じ込めたから。
もし裸の王様をわらう子どもが文科省の安全基準20倍引き上げの通知を見たら、きっと叫ぶだろう。--なんだ、こりゃあ!?空中四回宙帰りのアクロバットか、それとも正真正銘の法的なクーデタ(※2)か!?

だから、避難を口にしない福島県民でも、今後、集団的自衛権の戦争になった時、日本政府が私たち市民(福島県民)を決して助けないことを3.11以後の経験から学び尽くしている。

(※1)(年間1mSvだけでも「毎秒1万本の放射線が体を被ばくさせるのが1年間続くもの」(矢ヶ崎克馬琉球大学名誉教授))

(※2)文科省の20倍引き上げの通知は法的なクーデタである。その詳細は->こちら

 

2、日本の福島化

だが、311以後、戦争状態になったのは福島だけではない。日本そのものである。
原発事故後、福島ではずっと命と健康を脅かされ続けている。それにもかかわらず、この異常事態
を「おかしい!」と声をあげることすらできず、経済復興を旗印にした、目に見えない戒厳令が敷かれ、続いている。

しかしこの異常事態は福島にとどまることなく、日本中に拡大した。
2013年12月6日、民主主義の基盤である情報公開に逆行する秘密保護法を迷走国会審議、強行採決の末成立させ、
2014年7月1日、従来の憲法解釈の変更と称して、集団的自衛権の行使ができる場合があるという憲法違反の閣議を決定し(これを東大の憲法学者は「法学的にはクーデタ」と評した。しかし、3年前の2011年、政府は法的クーデタを経験済みである)、

法学的には、クーデター)、

2015年9月19日、憲法改正なしには不可能な戦争法(安保関連法)を憲法改正なしで強行採決の末成立させ、
2017年6月15日朝、自民、公明両党は委員会採決を省略できる「中間報告」の手続を使い一方的に参院法務委員会の審議を打ち切り、本会議採決を強行し、異例の徹夜国会の末、共謀罪を成立させ、
他方で、研究者を軍事研究に向かわせ、
日本中が戦争の脅威の中で命と健康を脅かされ、それにもかかわらず「おかしい!」という声をあげることができない体制=福島の戒厳令体制が全国に拡大、敷かれようとしている。

だが、この異常事態も、法的なクーデタが敢行された311後の福島から見れば不思議でも何でもない、想定通りの展開である、「日本の福島化」である。
311後の7年間の福島の姿は今日と未来の日本の姿だ。

3、沖縄と福島が変わらなければ日本は変わらない、沖縄と福島が変われば日本も変わる

普天間に限らず沖縄の原点は、《銃剣とブルドーザーで強制収容された場所だということ》。

こう言った翁長沖縄県知事は、その原点から考えれば沖縄の基地問題の正しい解決の方向は誰の目にも明らかだと訴えている。

真理・原点は誰の目にも明らかな単純明快なもの。
福島原発事故も同様だ。
「被ばく者は どこにいても被ばく者である」
「福島の子どもたちの原点は、原発事故直後に国の責任で子どもたちを避難させなかったということ」
この真理・原点から考えれば福島原発事故による被害者救済問題の正しい解決の方向は誰の目にも明らかだ。

 

戦争の本質と悲惨さを知り抜いている沖縄の人々の「命と平和」を求める「島ぐるみ」の声が、今後、日米政府を圧倒し、辺野古新基地建設を阻止できたとき、「命と平和」を求める市民の勝利でだ。それは、「命と平和」と真逆な戦争に向かおうとする勢力に対して最も強烈なノーという声になり、壊れゆく日本を正しく再建する礎・希望となる。

3.11以後、放射能による核戦争の本質と悲惨さを知り抜いている福島の人々の「子どもたちの命と平和」を求める声が、今後、日本政府を圧倒し、子どもたちの避難その他の脱被ばく対策を実現できたとき、「命と平和」を求める市民の勝利だ。それは「命と平和」と真逆な戦争に向かおうとする勢力に対して最も強烈なノーという声になり、壊れゆく日本を正しく再建する礎・希望となる。
壊れゆく日本の再建の行方と運命は、沖縄と福島の「命と平和」を求める取り組みにかかっている。
「命と平和」を求める沖縄と福島は日本の未来そのものである。
 阿波根昌鴻さんの「ヌチドゥタカラの家」で展示

真謝(まじゃ)農民は、沖縄全体もそうでありますが、戦争のことを語ろうとしません。思い出すだけでも気が狂うほどの苦しみでありました。それと同様に、戦後の土地取り上げで米軍が襲いかかってきた当時のことも、話したがりません。みな、だまっています。 真謝(まじゃ)農民はたたかいました。だがそれ以上に、苦しみと犠牲は大きかったのでした。
だがその苦痛をふくめて、やはりわたしはお話しなければなりません。(阿波根昌鴻さんの「米軍と農民」18頁)

かつてわしは、『米軍と農民』のはじめにこう書きました--伊江島の人は誰も戦争のことを語りたがりません。戦後の土地とり上げでアメリカ軍が襲いかかった当時のことも、語りたがらない。思い出すだけで気絶するほどの苦しみでありました。だが、その苦痛をふくめて、やはりわたしはお話しなければなりません--

その思いはいまもかわりません。なおいっそう強くなっております。命が粗末に扱われてはいけない、どうしても平和でなければいけない、つらくても語り伝えなければならない。(阿波根昌鴻さんの「命こそ宝」14頁)

初出:「柳原敏夫のブログ・崩れゆく日本 日本捕囚」2017.01.27より許可を得て転載

http://darkagejapan.blogspot.jp/2018/01/blog-post_27.html

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
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