夏に怪談が流行のは昔の事と思っていたが

著者: 三上治 みかみおさむ : 社会運動家・評論家> 社会運動家・評論家

8月18日

 子供ころの怪談や肝試しは怖かった。どこでもそうだろうが怪談のうまいのが上級生に一人や二人はいて眉唾をして聞いていても最後には震えさせられてしまっていた。最近の子供たちは怪談を聞く機会があるのだろうか。もっとも、放射線という恐ろしいものが現実にあっては怪談どころのことではないのかもしれない。永田町に怪談が出現するようになったのはいつ頃からか。小沢一郎と福田康夫の怪談(会談)が最初だったとはいわないが、あのあたりが流行に先鞭をつけたように思う。「連立」という政治的怪談の横行である。

 菅首相の退陣がはっきりし、民主党の代表選が日程に登りまたぞろ「連立」話が浮上している。政治的課題の一つになっている。党内一つまとめられない政治家たちが「連立政権」を運営出来るのであろうか(?)それが可能であるとすれば「連立政権」という名の強権政権が出来る場合であるが、これはよいことではない。政党や政治家が政治的能力を失い混迷状態に陥り背後で官僚が政治的失地の回復を図るのがその実態であろう。政治的には悪しき道筋である。アメリカが危機感を募らせ日本の統治権力の強化を画策することを含めてこれには警戒がいるというべきである。政党や政治家の政治能力の危機が露呈すればするほど「連立」という幻想は浮上するであろうが、問題の解決はそこにはないことを知るべきだ。政党や政治家が理念(政治的見識や構想)を失っているところに危機はあり、そこが解決しなければ「連立」は幻想として繰り返し出てくる。「連立」の結末は強権政治であることを理解すべきだ。だから、「連立」よりは政党の分裂を含む少数党の乱立の方がましである。そのような結果を招いても政党再編をやるべきでありそれが現状の政治的混迷を脱する道である。政党や政治家が本来の役割を果たすためにそれはやむを得ない道であり、「連立」の逆の方向であるがこれが必要である。民主党は分裂してもいいから理念や政策による再編に着手すべきである。菅首相は大震災に直面して何よりも党内一致体制を取るべきあったし野党との協力体制も敷くべきだった。それが出来なかったのは菅の政治的器量の小ささであるが、それはまた菅をかずいた面々の責任だった。そして、それをさらに突き詰めていけば菅をかずき支えてきた政治家の理念のなさが原因であることに気がつく。政治的地位の保持に汲々とし権力政治を弄するしかなかった民主党の面々の政治理念のなさが見える。政権交代をしても権力政治の泥沼に陥ったのは政党としての理念や政策が曖昧だったからだ。その反省がなければ政権が続いても同じ結果を繰り返す。

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