ポリティカ紙(11月4日)によると、11月3日にサライェヴォの国際共同体上級代表ワレンティン・インツコは、BiH閣僚候補者の審査プロセスを廃止することを決定した。上級代表は、デイトン和平協定(1995年)によって、BiHの公職にある者を解職する権限が与えられていた。それは民主的選挙で選出された国家要職者が然るべき国際社会が定めたスタンダードを満たしていることを保証する手段であった。今後もそのスタンダードは不変であるが、BiHが民主的プロセスを押し進める責任は現地の政治に委ねられることになった。
BiHを構成するエンティティ(準国家)の一つ、セルビア人共和国の首相ミロラド・ドディクは、「これは解放であり、私たちは占領と保護国状態から解放された」と語った。
これは日本流にいえば、マッカーサー将軍に象徴されるGHQの占領統治が終了したことに相当する。ただし、その期間はGHQ統治の二倍以上長い。国際社会が導入した自由かつ民主的選挙で国際社会にとって好ましからぬ人物が選ばれると、上級代表は、ただちにこの解職権限、GHQによる公職追放に類似の権限を多数行使してきた。その犠牲となった政治家たちにとりわけセルビア人が多い。何故か。
岩田私見によれば、セルビア人の政治家も、クロアチア人の政治家も、ボシニャク人の政治家も民族主義の程度や民主主義理解の深浅に関して差異はない。上級代表の示す国際社会の具体的政策に異を唱えるか否か、に差があって、それが公職追放の数の差に反映される。
ポリティカ紙(11月4日、5日)に同じサライェヴォで民族関係の複雑さを忘れさせない一つの事件が起こった。クロアチア人のNGO「クロアチア・リベルタス」が11月17日にサライェヴォで抗議デモを組織しようとしている。「私たちはボスニア・ヘルツェゴヴィナから出ていかない。私たちはサライェヴォへ向かう」というスローガンの下で。サライェヴォ基本裁判所の判決で、カトリック教会の大司教・枢機卿ヴィンコ・プゥリチが司教公邸の一部をボシニャク人(ムスリム)所有者の家族に引き渡さねばならない期限が11月17日なのだ。クロアチア人のNGOの主要人物は、裁判所の決定はキリスト教徒を民族浄化するものであり、ボシニャク人のヘゲモニズムとユニタリズム(単一国家主義)による抑圧であると断定し、基本裁判所の前で抗議集会を行うように呼びかけている。枢機卿自身「絶対に引き渡さない。これは教会財産だ。彼らは私の死骸を乗り越えて入るしかない」と頑張っている。
上級代表の権利行使による民主化は、諸民族間の不信・不和を解決するものではなかった。もともと自由民主主義のイギリスやベルギーやスペインでも未解決の問題である。西欧の未解決者がバルカンの未解決者の社会に押し入ったからといって、解決できるものでもない。真実のところ、北米・西欧は民族問題を解決してあげようという親切心で介入したのではない。自分たちが解決できないことを百も承知で介入したのである。もっと現実的な地政学的・戦略的根拠があってやったことだ。それはともかく、上記の邸宅明け渡し問題は、法律的には単純な正当な私的所有権の認定問題だ。それが多民族社会では、ある民族の他民族への圧迫、更には「民族浄化」のシグナルとさえ解釈される。
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