大雪でどうにもなりません

著者: 藤澤豊 ふじさわゆたか : ビジネス傭兵
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「営業にひきずられる技術」の続きです。

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いくら頑張っても決まらないときは決まらない。まさかこんなのもありなのかという話でも決まるときは決まる。なんでというほどあっけなく決まってしまって、本当なのかと心配になることすらある。

住重から銅の精錬ラインの話を聞いたとき、そんなのもあったのかと半信半疑だった。何もないところから始まった市場開拓。知識もなければ能力もない。あるのはなんとかしなくちゃという気持ちだけだった。あれもこれもと考えてはみたが、限れた能力と時間であまりあちこちにちょっかい出すのも得策ではないだろと思って連鋳機に絞ったのに、出てきたのは日鉄からのレールの熱処理ラインと、住重からの銅の精錬ラインだった。

 

連鋳機とは比べようのない規模で、モータの数も知れているし大した制御点数でもない。銅の精錬ラインはドライブ・システムというよりモーター・コントロール・センターに構成機器を詰め込んだだけの簡単なものだった。

モーター・コントロール・センターはアメリカの標準化と量産体制の見本のような製品だった。同業との違いを殊更に求めて差別化に走っている日本メーカとは真逆で、アメリカという大きな国内市場から生まれた標準化と量産体制を徹底したものだった。T型フォードを思い浮かべればわかる。受注生産に慣れてきた目には、度を過ぎた単純化と低コストでしかないが、その程度といいたくなる製品が市場を席捲した。同じことはフォルクス・ワーゲンにも言える。コンピュータに至っては標準化の極致に近いものがある。ハードウェアもソフトウェアもそれぞれのメーカが独自性を求めたら、生産台数が限れるだけでなく、部品メーカもソフトウェアを開発する人たちも右往左往する。独自性といえば聞こえがいいが、日本のご同業は同業他社との差別化に走って、だれもかれもが体のいいミニガラパゴスになっていた。

 

要求仕様を頂戴して事業部に送ったら、連鋳機のようなProposalではなく、なんとも頼りない簡単な見積がでてきた。正直に言うと、その見積を見るまで、モーター・コントロール・センターがなんなのかを知らなかった。日本の同業では、せいぜいモジュール化までで、プロジェクトごとにカスタムで制御盤を作っている。見積を見るまでは、それが当たり前だと思っていた。

モーター・コントール・センターとその都度ごとの制御盤、いってみればシステム家具とオーダー家具との違いがある。モーター・コントール・センターは、自社のPLCやインバータやその他の電機機器の収納を目的として標準化されたタンスのようなもので、圧倒的に安い。

円高ドル安のせいもあって、みんな顧客からの厳しい値切りに泣かされていたから、数千万円のプロジェクトでも、価格交渉でごたごたすると身構えていた。ところが、予算を下回ってお釣りがきたのか、何も言ってこない。とんとん拍子で進んでいくのはありがたいが、そんな運のいい星の下には生まれているはずがない。どうにも気味が悪い。

 

出てこないわけがないだろうと思っていたら、やっぱり出てきた。あともう一歩で初受注。大事にしなけりゃならないし、無下にもできない。話を聞いていったら、今まで使ってきた特注品より一棹多いから一棹減らして価格を下げろと言う。ケチケチするな、気持ちよく仕事させてくれといいたくなる。おっしゃることはよくわかりますけど、減らそうったって減らせるものじゃない。ぎりぎりまで標準化を進めたモーター・コントール・センターの意味がわかってない。

 

標準化した何種類かのキャビネットにPLCやらインバータに継電器などの部品を入れていってるだけだから、特注品のように隙間なしには詰め込めない。製鉄工場ほどじゃないにしても、モーター・コントロール・センターを設置する電気室にスペースがないってことも考えられない。ましてエンドユーザはアメリカ。一棹どころか二棹三棹多くても、置く場所に困ることはないだろう。

 

モーター・コントール・センターの何たるやを説明した。こんなこと説明するのも気が引けるが、こっちもこの案件が出てくるまで知らなかったのだから、知らなくてもしょうがない。システム家具なんだから、特注品のようにぴったりとはいかない。その分価格が安いんだから、そこはちょっと我慢してもらうしかない。技術的というようなことでもなし、難しいことはなにもない。説明というほどの内容でもない。どう話したところで小学校高学年レベルの内容以上にはならない。新卒相手ならまだしも、どう見ても十年以上のベテラン。内容以上に話し方のほうがが難しい。話し方で気分を害されたら、目も当てられない。

 

大した大きさのシステムでもないのに仕向け地が三か所あった。新居浜に韓国とアメリカの外注先が指定されていた。事業部には確認してあるし、あとは出荷待ちで一件落着と思っていた。

 

ところが出荷間際になって想像したこともなかったことが起きた。五大湖周辺が歴史的な大雪に見舞われて、すべての交通機関が麻痺した。それでも事業部は予定通りに出荷した。工場からは出ていって、シカゴ空港の近くの倉庫にはたどり着いた。でも予約していたフライトは飛ばない。翌日も翌々日も雪が降り続いていた。止まない雪は降らないが、いつになったらフライトが飛ぶのか分からない。飛び始めたとしても、倉庫は何日分もの貨物で溢れている。事業部にいつになったら、フライトがでるのか聞いたが、誰もいつと言えない。

 

新居浜の担当者に電話して状況を説明した。記録的な大雪でアメリカの中西部を中心にすべてのロジスティックスが停止しているニュースは聞いていた。よくある話だが、全般的なことは分かっていても具体的なことになると話が別になる。新型コロナウィルスの感染拡大がニュースで流れてきても、かなりの人たちが、マスクもしてるし、頻繁に手もあらってるからオレは罹らないと思っているのに似ている。

 

「まあ、大雪のニュースは聞いてますけど、いつ届くんですかね」

「毎日、事業部に確認してますが、シカゴの倉庫にまではいったんですけど、その先のフライトがどうにもならないんです」

「いや、フライトが飛ばないってのも分かるんですけど、いつ飛ぶんですかね」

「Fedexにも確認してますが、いつ飛べるだろうという予測というんでしょうか、それも立たないらしくて」

「予測も立たないって、でもいつ頃というぐらいの予測は立つでしょう」
「それがはっきりしたことがいえないんでしょうね。いつという話にならないんです」

「困ったな、外注先との関係もあるし、なんとかしてもらわないと」

そう言われても、天気のことで、どうにもならない。

「そうですよね。でも天気のことでどうにもならないんです」

「いやー、困ったな。いっそのこと倉庫からだして、トラックで西海岸まで運んで、そこからフライトにできないですかね」

「その手は考えて、事業部に言ったんです。そうしたら、この雪でトラックも走れないから、どうにもならないって。何年かに一度似たようなことあるんだと思うんですけど、誰も口をそろえて、雪が止むのを待つしかないって……」

「もうしょうがないな、明日から調達室とこっちにステータス日報入れてもらえますかね」

 

まったく、そんなもの入れたところで、手間を喰うだけでなんのメリットもない。日本には手段が目的になってしまった困った文化がある。手段に目が行き過ぎて、結果がどうであれ一生懸命やっているという恰好を評価する。曰く、誠意を見せるというのか見せろということなのだが、誠意なんかいくら見せても見せられても、要らぬコストがかかるだけで何がどう変わるわけでもない。どこにでもあるが、求めている結果とその結果を生み出す手段やプロセスを整理できないまま精神論が独り歩きする。求められているのは、いかに手段やプロセスを合理化して、さしたる努力もなしで、最低限のコストと時間で求めている結果を出すことだということに気がつかない。そんな文化のところでは、いくら合理化だとか生産性を唱えたところで、一所懸命苦労していることに価値を見出す文化にひきずられて人も組織も疲弊する。

2020/10/18

Private homepage “My commonsense” (http://mycommonsense.ninja-web.net/)にアップした拙稿に加筆、編集

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 https://chikyuza.net/
〔opinion10510:210130〕