特捜部というのはいいイメージではない。検察庁の特捜部の所業があまりにも悪すぎたためである。が、「特報部」のほうは評価さるべき存在である。ここで「特報部」というのは東京新聞の「こちら特報部」という欄のこと。以前からメディアが無視する少数意見や権力に媚びない記事を取り上げていたが、大震災後も特に原発に関する記事には素晴らしいものがある。僕はメディアについては厳しい見解を持っているが、東京新聞のこの欄だけは別である。僕だけの所感ではないと思う。
特捜といえば元大阪高検特捜部長であった三井環さんの「特捜の闇を切る」という講演会に出掛けてきた。こういう時期にもこのような営為をやり続けることに敬意を表したいためだ。三井さんは検察の裏金作りという権力犯罪を告発したために、逆に検察から冤罪で報復された。この事件を政府や政党、あるいはメディアは闇から闇に葬り彼は孤立した闘いを強いられてきた。国策捜査などの検察特捜部を舞台にした権力の犯罪であるが、権力による犯罪というのはなかなか認識されにくいものだ。福島第一原発の現状は東日本大震災を契機にしているとはいえ日本の権力構造がもたらした人災《犯罪》である側面を浮き彫りにしている。原発を推進する権力《体制》側の積み重ねられてきた所業と無責任で無能な対応は同一のものだ。これらの一つひとつが摘出されてきているが、例えば元福島県知事の佐藤栄佐久さんが贈収賄事件で追われた件がある。佐藤さんは福島原発の推進に抵抗したために事件をデッチあげられ辞任に追い込まれた。この事件は無罪になったが権力が原発推進のために佐藤知事排除を仕組んだものである。原発推進のための権力犯罪だったのだ。そして三井さんの事件とも大きくは関連している。孤立した事件の共通基盤が明瞭になりつつあるというべきか。原発災害はどの規模になるか、何をもたらすのかは誰も分からない。この事態は原発推進の構造、それを支えた背景である権力や日本の政治・社会構造を明るみにする。権力や政治・社会の病とともにである。復興はいろいろ構想されるにしても、日本の権力や社会への深い認識とそれを変える意志がなければ上滑りのものになる。復興には静かな革命が不可避である。その前提は大震災と原発があぶり出しているものをたじろがずに見ることはできるか(?)それをどこまで長く深く見ることができるかである。これは敗戦時に人々が考えたことでもあったように思う。僕は「お前はどうしてきたのだ」という自問や痛覚に伴う敗北感からなかなか脱しえない。たじろがずに見るべきものはみろという励ましを自分に向けて発している。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
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