大震災と日本の社会経済(その一~その四)

著者: 三上治 みかみおさむ : 社会運動家・評論家
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大震災と日本の社会経済(その四)
5月11日                             

 円高というとどこか身構えてしまうところがあるのかもしれないが、これを怖れる必要はない。円高の度に声高に語られる日本経済の危機は輸出主導の経済からの声であって日本経済の危機ではなかった。輸出主導で高成長を遂げてきた日本経済の構造的転換が出来得ていないことに経済の停滞《危機》はあるのであり、大震災からの復興過程の中でやらなければならないのはこの転換である。僕はこの転換がアメリカ経済との関係の転換なしに不可能であると主張する。アメリカ離れといつてもいいしが、それはドル《基軸通貨ドル》離れと言ってもいい。現実には既にドルは基軸通貨としての力を失い、無軸通貨時代が進行しているのだ。アメリカは景気維持のためにドルの増発を行い、ドル安は進行し、ドルは基軸通貨としての安定性を益々失って行く。

 アメリカ経済=世界経済という中で枠組みの中で日本経済が発展してきたという幻想からの脱却は根強いが、そこからの脱出が困難なことは戦後の日本の社会経済構造の転換を伴うことである。大震災はその転換の不可避性を示している、これは「あの失われた10年」の後も続いてきた日本の社会経済の停滞からの脱出でもある。大震災後の復興を構想する上でこれは不可欠なのである。ドル《基軸通貨ドル》を支えるために日本は膨大な外貨準備をし、また、アメリカの国債を買い続けてきた。継続する双子の赤字の中でドルの暴落を阻止するためにだ。結局のところ緩慢であるがドルは価値下落し保有する価値は減価することを前提にしながらである。大震災を契機にこれを見直し、日本経済の構造転換をしなければならないし、そのとき円高はマイナスではないのである。
 今回の大震災には原発災害が存在しているし、それがどのように収まるかの見通しはない。この問題は核燃料といえエネルギーの根幹を問うものだ。電気エネルギーこそが近代の産業革命の根幹にあったものであり、原子力エネルギー《核燃料エネルギー》はその至りついた存在である。これが人類の存在そのものと敵対するものであり、人間の存在と言う根本的倫理に反するものであることを啓示しているのがこの間の事態ではないのか。制御可能の存在として、つまりは近代的な技術の枠組みの中で存在する核燃料という幻想は打ち破られつつあるのだ。そうであれば今回の大震災からの復興には原子力エネルギーの選択の是非という問題は避けられない。科学や技術が何を対象にするのか、何のために存在するかが問われているのだが、同じことが生産概念に向けられるべきだ。存在や生活の生産と再生産という視点が社会経済の転換に必要だ。

大震災と日本の社会経済(その三)

5月3日

 日本の経済がアメリカ支配の体制の中で高度成長を遂げてきたことは疑いがない。この日本の戦後経済の戦後復興から高度成長へという発展はアメリカ経済との対抗・競争という側面とアメリカ支配の経済体制の枠組み内存在という矛盾の中にあった。これは日米の経済関係と政治関係の矛盾として説明されることが多いが、経済過程としてもそれは存在したのである。アメリカの一国経済と世界経済の矛盾《構造的変化》は1972年のドルと金との交換停止が出発といっていいが、これは基軸通貨ドルの存在の矛盾と言ってもよかった。世界経済は多基軸通貨時代《無基軸通貨時代》にあるのにドルは基軸通貨として存続しているということである。これはアメリカ経済の矛盾にほかならなかったが、日本経済もその枠組みの中に存在した。日本がこの問題に直面するのは1985年のブラザ合意においてだった。 

 ブラザ合意は増大するアメリカの双子の赤字を是正し通貨の安定を図るためのものであった。実情に応じた通貨調整《ドル安=円高》への誘導であった。円高不況(円高による輸出主道型経済の停滞)を日本は怖れたのであるが、実現したのはバブル経済とその破綻とその後の「失われた10年」という停滞であった。これは戦後のドル基軸通貨と固定相場制の下で、円安による輸出の拡大による高成長経済の転換に失敗したことを意味した。円高の恐怖(輸出主道型経済の停滞の恐怖)とかつての高度成長経済復活の渇望が繰り返し現れる根拠になった。ブラザ合意による通貨調整《円高誘導と内需拡大》は必然的な選択であった。内需拡大がバブル経済にいたり、高度成長経済の幻想に呪縛され、経済構造の転換を出来得なかったことが「失われた10年」として結果したが、これはその後も基本的には続いてきたことにほかならない。円安と輸出主道型経済による高度成長経済(新興国型経済)という幻想から解放され経済の構造転換を図ることなしには停滞からの脱出はない。停滞からの脱出がかつての高度成長経済の再生ではなく成熟した経済への転換であることは明瞭である。これは成熟した経済への転換に失敗したイギリスやアメリカとは違う道を取ることである。そして、ここで重要なことはドルの基軸通貨から解放されることである。多基軸通貨《無基軸通貨》時代に対応した日米の経済関係へ歩むべきなのだ。アメリカがドル基軸通貨を維持するために日本経済を支配しようとすることに抗しその自立性を強めなければならない。日本はアメリカと違って世界第一の債権国である。円高は必然でありそれを経済構造の転換に生かすべきだ。

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大震災と日本の社会経済(その二)

5月2日

ドルはアメリカの国家通貨であるという側面と基軸通貨であるという側面を持っている。そしてこの基軸通貨という意味は金に代わる世界通貨を意味していた。アメリカ経済が戦後の一時期のように世界経済を意味していたならドルが世界通貨的な意味での基軸通貨であったことは矛盾なく存在しえた。1972年にアメリカが金とドルの交換を停止した段階でドルは基軸通貨の意味を変えた。通貨の変動相場制への移行はそれを表すことであった。ドルは1972年以降を見れば基本的に他の通貨に対してドル安として現れてきた。1ドル=360円時代から現在までの推移を見れば明らかである。問題はそれ以降もドルが基軸通貨であったことにある。世界通貨である意味合いの基軸通貨は1972年に変化したのにそれを維持してきたことである。 

ドルの基軸通貨はアメリカの世界経済での位置を示すものであり、それが変化すれば基軸通貨もかわる。それはアメリカ経済が世界経済での支配力を減衰いさせれば、ドルは基軸通貨ではなくなる。ドルに対抗するようにユーローが基軸通貨として出現したことはその象徴的出来事であるが、時代はその意味で多基軸通貨時代になったのである。多基軸通貨時代は無軸通貨時代でもいい。アメリカは基軸通貨の特権を手離したくないためにそれを無理にでも維持しようとするが、それには日本経済や中国経済を自己の支配力に組み入れようとすることである。それはEUがユーローを創出したように、日本や中国などがアジアでの共通通貨を生み出すことを否定することである。経済的なアジア共同体に対するアメリカの警戒と否定はそのためである。日本や中国が経済的に自立することへの警戒と拒否である。日本経済はアメリカ経済が世界経済を意味した時代の枠組みに支配され、そこから脱しえないために「失われた10年、あるいは20年」という経済停滞の中にあった。この停滞は高度成長経済後の経済社会が構想され展望されないことであるが、逆に言えば日本の高度成長経済はアメリカ経済が世界経済を意味した枠組みの中で可能になったことである。東日本大震災はこの日本経済の停滞の中で起こったことであり、その復興には日本の経済社会の戦後的枠組み《アメリカ経済の世界経済支配という枠組み》からの脱出が不可避である。これはドル基軸通貨体制からの脱出を意味する。日本はドル高=円安下での輸出主導型経済で高度成長を遂げたが、この戦後の経済社会からの脱出が不可避であり、それなしに大震災後の経済復興は展望出来ないのである。戦後の日本の経済社会の立ち位置の転換なしに復興はないのだ。

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大震災と日本の社会経済(その一) 

日本復興の議論はなかなかまとまらないと伝えられている。今回の大震災が日本経済や社会に与えた影響を今の段階で誰も語れないのが現状だろうから、復興議論と言ったところでまとまりはつかないし、共通の枠組みというべき認識すらつくることも出来ないのだと思う。これは厳しい現実認識であるが僕らは復興と言う限り大震災後の日本社会の構想が必要だし、また、その手掛かりを得たいと願っている。その媒介は何でもいいのであるが、僕は現在の通貨問題を素材に取り上げてみたい。復興のための社会経済を構想するためである。大震災後に急激な円高が訪れて人々を驚かしたのだがあれは円の需要を見込んだ投機筋の動きであって特殊なものであり長続きしないものだと思えた。現在は概ね大震災前の通貨水準にあると言って間違いはない。 

大震災にも関わらず円高にあるという事は日本経済が世界経済の中でそれなりに信頼を得ていることを意味する。世界は<福島原発>程には日本経済の今後について懸念や不安を抱いていない。もし日本経済の現状や今後に不安があればそれは円の信用に反映し円安になる。日本はこの大震災の影響で経常収支が変調をきたしてもそれは一時的に留まる。これはこの間の通貨の動きがドル安基調であることを意味する。大震災の前から続いてきたドル安《円高》は基本的には変わっていないのである。つまり、アメリカ経済の世界経済における衰退を意味するドル安は世界経済の趨勢なのである。日米の経済関係で見ればドル安は円高であり、ドル安《円高》は経済的関係の推移を表すに過ぎない。しかし、ドルが基軸通貨であることを維持しようとする場合は事を複雑にする。基軸通貨は世界通貨を意味するがドルがそうであるためにはそれだけの経済的力《基盤》がなければならない。現状ではアメリカ経済は世界経済での力を衰退させており、戦後の経済力から見れば三分の一程度の水準になっている。基軸通貨の基盤を失っているのだ。しかし、ドルは従来の基軸通貨であることを維持しようとする。基軸通貨の特権性の保持のために。これはアメリカ経済の現状ではドルは基軸通貨でなく無軸通貨時代を招来させているのに、ドルは基軸通貨であることを維持する矛盾に直面しているといえる。この矛盾はドルの管理通貨制を保持するための経済的力《基盤》を失いながら、政治的力などで管理通貨制を維持しようとすることにほかならないといえる。ドルの管理通貨制を維持するのはアメリカの軍事力(国家幻想力)であるということだ。経済過程と政治過程の矛盾だがこれは日本経済の在り方にも反映するのである。

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座  http://www.chikyuza.net/
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