姑息なあまりにも姑息な玄海原発4号機の運転再開

2011年11月2日 連帯・共同ニュース第180号 

9条改憲阻止の会

■  だんだんと不透明になって行くのは現代世界である。とりわけ、日本の政治はそういうほかないところがある。菅内閣への不信の反動から、とりあえず批判は差し控えようという雰囲気の中で出発した野田内閣だが、やはりその実際が露呈している。要するに野田内閣には政治的―社会的ビジョンがない。何をやろうとしているのか明瞭ではないのだ。ということは何もしない事ではなく、次々に出てくる政治的な事柄に対応はするが、それは政治的信念や理念に基づくものではないから操り人形のような動きとなる。つまりは戦後の日本の政治を支配してきたアメリカや官僚の意向に沿った緒政策を遂行しようとするのだ。政官財の癒着の上に展開されて戦後政治の復活である。その実態は官僚と財界《経済》に主体があって政府(政治)は形式的な承認機関の様相があった。このことは間接民主主義下の政治制度の中で国民の意志は副次的なものと見なされ、官僚の意志が国家意志として振舞われる事を意味した。野田内閣は戦後の日本の体制に戻り、アメリカや官僚の意向にそった政策を忠実に演じてはじめている。

■  普天間基地移設の画策、TPP交渉参加、増税、原発輸出や再稼働準備など野田内閣は政権交代時の民主党の公約から一層遠ざかり、復権しつつある官僚の政治的意図の実現機関に傾斜している。国民も国民の意思も疎遠にされている。この一例が玄海原発4号機の運転再開である。恥知らずなベトナムへの原発輸出に続くこの行為は姑息なというにもあまりあるものだ。トラブルで停止中の玄海原発4号機は12月には定期検査で稼働停止になるものであり、急いで運転再開の必要のないものだ。九電側は燃料費の節約を強調するがあやしものである。「やらせメール」問題での対応、「地元の了解は必要ない」など九電の官僚的、権力的な態度を見ればこれは明瞭である。これは来年、春には定期検査で全原発が稼働を停止する事態を睨んでの政治的対応である。経産省や保安院は原発再稼働→原発保持を原発政策の戦略としており、そのための実績づくりを急いでいる。僕らはこの戦略―戦術を見抜き、国民の意志として再稼働阻止→原発廃炉の声を結集せねばならぬ。少しずつではあるが、政府の動きとしても見えてきた原発戦略であるが、僕らは背後にある経産省や原子力ムラの動きも見ていなければならない。政府や九電の動きは稚拙でありせいては事を仕損じるというところにしかならないと思う。だが、原発は危険な代物である。彼らの動きを黙視するわけにはいかない。手をこまねいてはいられない 。(文責 三上治)