一歩海外にでると、日本にいては想像もできないことに遭遇することがある。発展途上国にいけば、日本でならあって当たり前の社会インフラの不備に疲れて、早く帰りたいと愚痴ることも多い。まあ発展途上国だから、しょうがないと思わなきゃって、でもそうはいっても、なにがなんでもそりゃないと受け入れられないこともある。
上手いの不味いのなら、まだ食べられるからいい。こんなもんでも食べなきゃ体がもたないと、何度か口にはしたものの、どうにも飲み込めなくて吐きだした。朝から晩まで三日間、コーヒーとビンのジュースにビールだけのダイエットのようになった。年を追うごとに存在感が増してミニ布袋様のようになってしまったお腹も一休み。多少可愛くなったのはいいが、両手をポケットに入れて抑えていないと、ベルトレスのズボンがずり落ちてしまう。ちょっとトイレにいくにも、ポケットに手を入れて、なんともおかしな日本人だったろう。
蛇口を捻ったら、まっ茶色な水がでてきた。ちょっと出しっぱなしにしておけばと待っていたが、三十分経っても変わらない。手を洗うのもためらう茶色い水で、歯を磨いて、シャワーを浴びてはみたが、どことなくぬるぬるしている。ハンカチに使っていたタオルが茶色に染まってしまった。
寝ようとしたら耳のそばでブーンと羽音がして、なかなか寝付けない。成田で買った新聞、捨てなきゃよかったと思いながら、なくてもなんとでもなる資料を丸めて蚊を叩きだしたが、いくらたたいても叩き切れない。ベッドに乗って、椅子をもってきて蚊を追いかけていたら、壁の上の方で何かが動いている。はじめて見た。多分ヤモリだと思う。なんでこんなところまでこなければ、仕事にならないのかとうんざりする。まあ、発展途上国で、インフラや衛生環境をいいだしたら、きりがない。駐在でもあるまいし、長くても一週間かそこら、さっさと片付けて帰んなきゃと思えるだけまだいい。
八十年代の末、クリーブランドの事業部で仕事をしていた。発展途上国なら、そんなのありかというのもあるだろうが、まさかアメリカでたかが三ヵ月かそこらのうちに、二回も子供が落ちてきたのには驚きを通り越したものがあった。
会社が用意したWilloughby Hills(クリーブランド市の東の郊外)のアパートに一年ばかり住んでいた。十字型の十数階建てのアパートの四階で、ベランダからは正面に小さな雑木林が見える。左手には十字型の別の棟が見える殺風景な風景だった。下には駐車場の屋上が見えた。
夏のある晩、シャワーを浴びて、窓際でそよ風にあたりながらバスタオルで拭っていた。何を見るわけでもなく目に入った左手の棟の数件先のどこかのベランダから布切れとも人形ともつかない物がふわーっという感じで駐車場の屋上に落ちていくのが見えた。もうすっかり日も落ちていてよく見えない。なんなのかわからないが、ふわーという感じから、なにか軽いものなんだろうと思った。人?まさか。せいぜい縫いぐるみだろうと思いながら、ベランダに出てみたが、白っぽい布切れのようにしか見えない。机に戻ってメガネをかけて、ベランダから乗り出すようにして見たが、夏の夜のさわやかな風に吹かれて布切れが動いているようにしか見えなかった。子供が人形でも落としてしまったのかと、向こうの棟の窓を見わたしたが、ベランダに出てきている人はいない。どの家からの落とし物なのか分からなかった。明日にでもアパートの管理室にいって取りに行くんだろうと思っていた。
まさか子供ってことはないよな。人形だよなと思っても、どうにも気になってしょうがない。もし子どもだったらと、いや人形だよを繰り返していたが、もしもの不安が膨らんでいった。騒いだあげくが人形だったらどうしようと思いながら、警察に電話した。
人形でしかないかもしれないけど、もしかしたら子供かもしれないと、見たことだけをできるだけ忠実に話した。
三十分は経ったろうか、爆音で窓ガラスがきしみだした。あまりの音にカーテンを開けて窓の外を見たら、ヘリコプターがホバリングしていた。救急ヘリなんだろう、縄梯子をたらして、制服姿の人が人形のようなものを抱えていた。まさか、人形のように見えたもの、子供だったかと血の引く思いがした。それから一時間ぐらいしたら、インタフォンが鳴った。なんだもう九時を過ぎてるのに、一体誰なんだと思ってでたら、警察官が二人立っていた。
クリーブランドは地方都市で、倒産した工場街は危ないから行かない方がいいと聞いていたが、東京とニューヨークにしか住んだことにないものには、のんびりした田舎町としか思えなかった。大きな都市で荒れているところの警官はきついが、クリーブランドの郊外の警官は町の世話役のように親切だった。市民サービスの警察という考えが徹底しているのだろう。
なんどか親切な警官に助けられたことがある。ある晩知り合いの家に遊びにいって、飲みすぎた。家に帰るつもりで道に迷って、夜中に一方通行を逆走して捕まった。言葉の不自由な地の利のないアジア系ということなのだろう、家に帰る高速道路に乗るまで誘導してくれた。
キーを指したままドアをロックして、何とかこじ開けようとしていたら、パトカーが来て「オレ、車泥棒のように上手じゃないけど」と前置きして、薄い鉄板をガラスの隙間に入れて、ドアを開けてくれた。
ドアの外に立ったまま、時間も時間だしということで、警官が小声で申しけなさそうに言った。
「さっき救助した女の子、クリーブランド・クリニックに搬送したけど、重体で今夜が山場になると思う」
ほんとうかよ、縫いぐるみだと思っていたのに女の子だったんだとショックだった。そう聞いて顔色がかわったのだろう。もう一人の警官が、ことさら丁寧な口ぶりで、
「もし、問題なかったら、話をきかせてもらいないでしょうか」
それは、ドアを閉めてもいいか、中に一歩入っていいかという了承を得るものだった。
「シャワーを浴びて窓際で拭いてるときに、なにか落ちてきたのは気がついたけど、メガネかけてなかったし暗かったから、布切れか、もしかしたら縫いぐるみかと思って……」
「メガネをかけてベランダに乗り出して見たんですけど、白っぽい布が風で揺れてるだけで、まさか女の子とは思いもしませんでした」
「落ちていくときに、ふわーっとした感じだったんで、軽い物だろうと思ってました」
そこまで聞いて、改まった口ぶりで警官の一人が、
「女の子が落ちたとき、ベランダに誰かいませんでしたか」
何を言っているの分からなかった。落ちていくのは見たが、どのベランダからかは見ていない。
「いえ、落ちていくものを見ただけで、そのときベランダは見てません」
「メガネをかけて見に戻ったときに、どのベランダから落ちたのかと思ってベランダをみましたけど、誰も見ませんでした」
「ありがとうございます。後日、今お聞きしたことを整理してまとめた書類を持ってきますので、書名をお願いします」
と言って、出ていった。
何を聞きたかったのかと思い返していて、気がついた。警官が知りたかったのは、女の子が自分の不注意で落ちたのか、それとも誰かが落ちるのを手伝ったのか、あるいは落としたのかを調べていた。
数日後、警官が書類を持ってきた。
女の子、頭を打って骨折してたけど、命には別状ないからと、明るくない声で言われた。なんといっていいのか分からないまま書類にサインした。同棲も離婚も再婚も当たり前のアメリカには複雑な家庭が多い。
そんなことがあって、注意しなきゃって思っていたころ、ちょっとモールに買い物にと、アパートのまえのショッピングセンターを左に見ながら高速道路に向かってトロトロ走っていた。そこにショッピングセンターの駐車場の出口から勢いよくステーションワゴンが飛びだしてきて、反対車線から斜めに入ってきた。慌てて急ブレーキを踏んで、ハンドルを握って前につんのめった。お廻りか何かに追いかけられてるわけでもあるまいし、何をそんなに急いでいるんだ。
そこまでは、田舎町のクリーブランドでも、たまにあることで驚きゃしないが、左折したステーションワゴンの助手席のドアがバーンと開いたと思ったら、女の子が転がり落ちて、コロコロ道を転がっていった。トロトロ運転してたからいいようなものの、下手したら轢いちゃうじゃないか。
ベランダから落ちてくのを見てイヤな気持ちを引きずってるのに、もし轢いちゃったなんてことになったら、考えるだけでもぞっとする。
前に転がっているはず、轢いちゃいないはずの女の子が心配で走っていった。向こうからはステーションワゴンを運転したいたお母さんだろう、慌てて走ってくるのが見えた。女の子に抱き着くように抱えて泣いていた。
こんなところで「暖かい母子愛」、できれば勘弁してほしい。
あれから三十年、幸い三度目にはあっていない。
Private homepage “My commonsense” (http://mycommonsense.ninja-web.net/)にアップした拙稿に加筆、編集
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〔opinion9879:200626〕