学問の自由と表現の自由:日本学術会議会員の任命拒否問題について

1.学問の自由と表現の自由

まず、日本学術会議会員の任命拒否問題に触れておきたい。

「学者の国会」と呼ばれる日本学術会議の会員は、日本学術会議の推薦に基づいて総理が任命することになっている。しかしながら、今般、総理は一部会員の任命を拒否し、理由の説明も拒否した。これは、立法時に確認された任命手続きに反する違法行為であり、恣意的な法解釈に基づく人事介入である。

政府による任命拒否は、任命されなかった者に対する権利の侵害であるばかりか、科学者の自己決定に政府が介入したという意味での権利の侵害でもある。法的根拠に基づかない任命拒否は、数多くの学術団体が指摘しているように、「学問の自由」を侵害する違法行為であり、学説に基づいた自由な発言を抑制するという意味で、「表現の自由」を侵害する違法行為である。

政府が意に沿わない学者を排除するのであれば「学問の自由」を侵害していることになり、過去の活動のみならず今後の活動をも牽制するのであれば「表現の自由」を侵害していることになる。したがってこの問題は、学問の自由への侵害のみに止まらない、表現の自由への侵害であり、これを放置するならば、政権による学問や表現への介入はさらに露骨になることは明らかである。

日本国憲法には表現の自由と学問の自由が掲げられている。これには理由がある。かつての日本では、表現の自由が大幅に制限されるとともに、学問の自由が外部から抑圧されていた。こうした歴史的な経験に基づいて、現行の憲法では表現の自由と学問の自由が保障されている。日本は戦争の反省から軍事ではなく科学の発展によって平和と繁栄をめざすようになったのである。

学問の自由や表現の自由を政府が政治的な理由によって制限するならば、過去の反省に基づいて、平和を実現するための学問から出発した日本学術会議は、その存在意義を失うことになり、自由と独立と多様性を失うことになるだろう。政治家が学者の人選を行うとき、学問は政治に敗北し、これを黙って見過ごすとき、学問は政治に従属する。

政治と学問は切っても切れない関係にある。政治上の決定は学者の研究活動に影響を及ぼすばかりか、政治家は学者の生存の権限を握っているといっても過言ではない。だからこそ学問は政治に対抗できるだけの自由と独立をもたなければならない。さもなければ学問はいとも簡単に政治に侵されてしまうだろう。学問は生殺与奪の権を政治に握らせてはならないのである。

 

2.日本学術会議会員の任命拒否問題

日本学術会議法17条:会議は、優れた研究または業績がある科学者のうちから会員の候補者を選考し、総理に推薦する。同7条:会員は、第17条の規定による推薦に基づいて、総理が任命する。

・1983年:推薦した者を任命する、形式的任命である(2014年までは全員を任命)。

・2018年:推薦のとおりに任命すべき義務があるとはいえない(2016年から任命拒否)。

・2020年:会議は105名を推薦し、総理は99名を任命し6名を拒否した。

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
〔opinion10203:201017〕