辛淑玉「集団リンチはあっても集団サポートはないのです」
(略)
私を含む「在日」の多くにとって、もうそんな段階はとっくに過ぎて生存権の問題にまで来ているということを多くの日本人は知らないし、知ろうともしない。ユダヤ人がゲットーに押し込められ、さらには絶滅収容所で虐待をうけていた時も、ドイツ人は平穏な日常を営むことができたのと同じだ。
そして、自分達の平穏な日常がどうして批判されなければならないのかと、声をあげる者に逆ギレする。
あいちトリエンナーレの騒動は、表現の自由の問題ではない。それ以前に歴史的事実の否認という大問題が日本側にはあるのに、批判する側もそこは飛ばして、レイシストとの対話が必要と寝ぼけたことばかりいう。
安倍をはじめ、河村や大阪維新の会の首長達が歴史的事実を否認しているのをどう考えるか。それを抜きにして今回の脅迫騒動を語ることはできない。
(略)
日本政府と反動政治家にとって、戦時性暴力に軍が組織的に関わってたという事実は、認めたくない“事実の真理”なのだ。
今、それを口にする者が、アーレントがいうように迫害の対象となっている。単なる“表現の自由”の問題以前に、“事実の真理”が攻撃されていることに向き合わなければならないのに、私に依頼されるのは「日本人」の困難についてばかりだ。彼らには、私達マイノリティの困難は,想像できないどころか、意識の片隅にものぼらないのであろう。
(略) いまの日本社会を見ると、(略)DHCテレビの常連である武田邦彦教授による「日本男子も韓国女性が来たら暴行しなけりゃいかん」という発言や、東国原元宮崎県知事が番組で同席した韓国人女性に対して「黙ってろよオマエはー黙ってけーこの野郎、喋りすぎだよオマエ!」と罵倒した姿は、この時流に乗っかることが勝ち組に入ることなのだと見せつけた。
すでに、自ら韓国や在日を叩くか、少なくともレイシストの言動に対して沈黙するかしなければ{日本人}から排除されるという恐怖が蔓延しているのだ。
(略)リベラル紙が裏切ったときのダメージは、社会にとって致命的なだけでなく、ターゲットにされたものには死しかないほどの絶望なのだ。