出張先ではしっかりしたモーテルに泊まることもあったが、地場の安いモーテルに泊まることが多かった。しっかりしたモーテルと思っても、出張先の近間にはそんなものないところも多い。出張手当はかかった費用に関係なく定額だったから、宿泊費や食事代を抑えれば差額が収入になった。そこまで節約しなくても生活に困るようなことはなかったが、それでも余裕はあるに越したことはない。外食と飲み代、独り者の雑な生活、なんだかんだで、あればあるだけ使ってしまう。出張で浮かしたところでマンハッタンのどこかで消える金でしかないのだが、その消える金があって、はじめていろいろなところに出入りして、こんなのありかという経験もできるわけで、消えてしまう金は欲しかった。
とんでもない田舎でも車で三十分も走れば、モーテルやどうでもいいダイナーくらいある。インターネットもGPSもないが客の誰かに聞けばいい。言葉だけでは覚えきれないし分かりづらい。地図を描いてもらうのだが、まともに描ける人はほとんどいない。拙稿『地図を描けない』参照。
いい加減な地図でも、いい加減であることを分かってて使えば使える。信号三つ行ったところを左になっているのに、十いくつも行って左なんてのはいつものこと。あって当たり前だと思っていれば驚かないし戸惑わない。走る方向さえ分かればいい。
聞いた方向に向かって走れば何か見つかる。迷子になったらなったで慌てるが、いい経験、何か拾えるとでも思っていれば何とでもなる。聞いたところに行くのが目的ではない。走っている途中で気の利いたモーテルでもメシ屋でもあればそれでいい。適当に夕飯が食えて、快適ではなくても安全に寝泊りできばいいと割り切ってしまえば、そんなものどこにでもある。いまどきアメリカで風呂なしシャワーだけのモーテルもないことないだろうが、探すのが大変だろう。どこにいっても最低限のものはある。
そんなことをしていれば、しっかりしたモーテルでは想像もつかない、ちょっと外れた経験もする。危険じゃないかと気にする応援者もいたが、起きるときはどこでも起きる。ヒッチコックの『サイコ』や刑事物のテレビ番組でもあるまいし、毎日毎日いざこざや発砲事件があるわけじゃない。フツーに使っている分には十分な安モーテル、いろんな意味で庶民の生活も垣間見える。
チェックインしたときには数台しかなかったのが、飯を食って帰ってくるのがちょっと遅いと、駐車場に空きを見つけるに苦労する。朝方まで車が出たり入ったり、酔っ払ってるのかハイになってるのか大きな声で何か言い合いながら。。。、上の階でどったんばったんなんてもいつものこと。驚きゃしない。そんなことで寝れないほど柔じゃない。
朝七時過ぎ、チェックアウトしようと表にでたら、止まってるのは自分の車だけなどということもある。朝日のなかでポツンと一台の車。自分以外の客は全員ご休息だったのか、もう出かけたのか。
チェックインしたとき、自慢げにうちはソニーのテレビにウォーターベッドだと言われて部屋にいったら、ウォーターベッドが凍ってた。時間をかけて融かす気もしない。部屋を替わったがウォーターベッドは寝難い。寝返りをうつ度に波が起きて揺れる。船酔いするほど大きな揺れではないが落ち着かない。冬はヒータで暖めて快適な睡眠らしいが、一度で懲りた。
寝返りうつ度に足元でかすかな一瞬だが青白い光が見える。お化けって訳じゃないだろうが、なんか薄気味悪い。枕元の電気をつけて何なのか確認しようとするが何も見えない。電気を消して寝ようとすると、また青白い光が見えるような気がする。かすかなので気のせいかも、気のせいだと自分に言い聞かせて寝ようとするが、やっぱり青白い光が一瞬だが見える。起きて部屋の電気を点けてみても分からない。消して寝ようとして、また見える。何回か繰り返しているうちに気が付いた。シーツだった。安モーテルのシーツが化繊だった。綿の国アメリカ、どこでもバスタオルやフェースタオル、バスマットでも何でも大きくて厚い。シーツも日本の一般的なものより厚手で丈夫なのがフツーなのだが、安モーテルではそれさえもケチって化繊だった。化繊のシーツがすね毛に擦れて静電気が起きていた。電気をつけて明るいところでは見えないが、枕元の電気を薄暗くすれば静電気が青白い光になって見える。分かってしまえばなんということないのだが、それでも寝返りというか足を動かす度に青白い光は薄気味悪い。幸い胸毛はないからいいようなものの、毛深いおっさんだったら胸の辺りで青白い光。神のお告げの夢でも見れるかもしれない。
ヒューストンのHoward Johnsonにはまいった。決して安モーテルではないのだが、中味は安モーテル以下だった。ヒューストンは行く度に冬だったせいで、暖かいところというイメージはない。それでも寒くはないのだろう、ゴキブリが元気だった。眼鏡をしなければ見えない小さなゴキブリ。眼鏡をかけて改めて見れば、バスルームもどこもここも元気なのがちょろちょろしている。シャワー浴びたときに、まさか踏み潰してないよなと、慌てて足の裏を見た。
眼鏡を外せば見えない。寝るときは外して寝るから見えない。見えなければ、いてもいなくても同じゃないかと自分に言い聞かすが、トイレに起きたときに裸足で踏み潰すかもしれないと思うと、ちょろちょろしたのがうっとうしい。トイレに行くにも、靴下履いて靴履いてになる。
部屋を変えたところで似たようなものだろうと諦めて、テレビをつけたらニュース番組だった。何気なく見てたら、テレビ局がダイナーに押しかけて、清涼飲料水のディスペンサのカバーを開けた。開けたテレビ局の人が一瞬たじろいだ。うわーっという感じでゴキブリがいっぱい出てきた。そのダイナー、Howard Johnsonのダイナーだった。よしてくれ、まさかこのHoward Johnsonじゃないよなと思いながらテレビを見てた。その間にも床のあちこちを元気に走り回るゴキブリ。幸い別のHoward Johnsonだったが、どっちも似たようなもんだろう。そこはHoward Johnsonという前にヒューストンなのかもしれない。
ヒューストン、フツーのところはどこに行っても似たようなものだろうと思いながらも、翌朝さすがに泊まったHoward Johnsonのダイナーで朝食という気にはならなかった。
注)Howard Johnsonは、七十年代後半、Holiday InnやBest Westernと競合していた中クラスの全米チェーンのモーテル。
毎週のように出張に出ていた駐在員、誰もが安モーテルのお世話になって、ときには笑い話ともつかない逸話を残していった。そのなかでもE先輩自身が語る失敗談までのものはなかった。親分肌でNY支社を仕切っている感のあったE先輩でもそんな時期があったのだと、新米も応援者も勇気づけられた。
E先輩、赴任して翌週にはシカゴに出張に出された。テレビ映画『アンタッチャブル』のせいで、シカゴはマフィアに支配された危ない町だと思っていたところに、客が予約してくれたのは地場のちゃちなモーテルだった。パンツ一つでベッドに入って寝ようとするが、ガタガタだったドアがきちんと閉まっているかどうかが気になって寝付けない。ベッドから出て、何度か開けては閉めてを繰り返したが、オートロックなので内側からは開いて、ロックできているのか確認できない。ベッドに戻っては、また起きてドアを開け閉めして、ベッドに戻ってまた起きて、確認しようと廊下に出てドアを閉めたら、パンツ一丁で締め出された。パンツだけでフロントまでは行けない。廊下に突っ立っているわけにもゆかず、廊下の隅にあったコーラのベンディングマシンの陰に隠れて人が来るのを待っていた。赴任したばかりで英語もできない俺が最初に言った英語は「ヘルプミー」だったと笑い飛ばしていた。
Private homepage “My commonsense” (http://mycommonsense.ninja-web.net/)にアップした拙稿に加筆、編集
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
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