安倍談話は、冒頭に19世紀における西洋諸国による圧倒的植民地支配の現実を想起する。日本もまた植民地化されるかも知れないと言う危機感の中で、「独立を守り抜きました。日露戦争は、植民地支配のもとにあった、多くのアジアやアフリカの人々を勇気づけました。」と語る。
その通りだ。印度首相ネルーの『父が子に語る世界歴史』を引くまでもない。私が1965-67年の三年間、武装中立・非同盟のリーダー国・社会主義ユーゴスラヴィアに留学していた時、多くのアジア・アフリカの留学生達から日露戦争における日本の勝利を讃えられた。社会主義者岩田としては、どう対応したらよいのか、当惑した覚えがある。他方、ユーゴスラヴィアの構成共和国ツルナゴーラ(モンテネグロ)の学生からは、「ロシアは敗れたが、我々は負けていない。」と言われて、何のことか全くわからなかった。日露戦争当時、ツルナゴーラ王国は、親露でロシア帝国側に立って日本に宣戦布告した、と言う。全くの初耳だった。
明治開国以来今日に至るまでの歴史で、日本民族が全世界の被抑圧諸民族に最高の歓喜、希望、勇気を与え得た唯一の世界史的業績、それが日露戦争の勝利であった。
1965-67年の私=岩田は当惑すべきではなかった。私にそう語った印度人やエチオピア人と一緒に喜んで当然だったろう。しかしながら、「そうだ。その通りだ。私達日本人は、諸君が出来なかったことをなしとげた。白人大国ロシアを打ち負かしたんだ。」と彼等に唱和したならば、彼等、印度やエチオピアの若きエリート達は、かえってあとずさりしたに違いない。彼等は、無知の人ではない。その後の日本がアジア・アフリカの人々の「歓喜・希望・勇気」からずれる方向に歩み出した事実をも知っていたのだ。安倍談話にはこの自覚が欠けている。日本人としては、「勇気づけ」た事をすなおに喜び、「勇気づけ」からずれた事をすなおに反省するしかない。
その意味で、日露戦争は、ロシア十月革命に似ている。十月革命も亦、全世界の被抑圧諸民族・労働者大衆に歓喜、希望、勇気を与えた。しかしながら、その後そこから大きくずれて、大日本帝国と同じく、ソ連邦も崩壊した。
現在、平成の安保新体制が国民的政治の焦点となっている。明治の日本は、当時の日本の国力・軍事力に数倍する老大国清国(中国)の脅威に対するに他国との軍事同盟を求めなかった。十倍する露国とたたかうに、日英同盟があったにせよ、日本が露国一国とのみ抗戦している間は、英国の参戦を条約上期待できなかった。
平成日本は、新大国中国の脅威に対するに、米国の参戦約束を期待すること急である。一言で評すれば、平成日本は、明治日本に数十倍する文武大国でありながら、政治弱国、外交弱国に転落してしまったの印象が強い。
安倍談話では「歴史の教訓」をしつこく強調する。同時に、安倍政権下の文部科学省は、すべての国立大学に対し、人文学・社会学系学部の縮小を検討せよとの通達を出している。とすると、近い将来、日本は、武大国でありながら、外交弱国、政治弱国、そしてまた文弱国に成り下がるかも知れない。文、政、外交の弱い国の武は、文、政、外交の強い異国の武の一部となるしかなかろう。平成安保新体制の行末か。嗚呼。
平成27年9月5日 ポーツマス条約の日
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