室井遥報告「宇野経済学とポランニー」へのコメント

著者: 岩田昌征 いわたまさゆき : 千葉大学名誉教授
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7月8日(土)の立正大学で開かれた「世界資本主義フォーラム」における室井遥報告「宇野経済学とポランニー」は、私の比較経済体制論・比較社会主義システム論が1970年代後半・1980年代前半にディホトミー(二分法)からトリホトミー(三分法)へ飛躍した知的情況をなつかしく想い出させてくれた。
私=岩田は、1970年代に三冊の著書を出版していた。『比較社会主義経済論』(日本評論社)、『労働者自主管理』(紀伊国屋書店)、『社会主義の経済システム』(新評論)である。方法論的には計画vs市場のディホトミーであって、資本主義市場経済に対抗するソ連型計画経済とユーゴスラヴィア型社会主義市場経済の諸特性を比較分析していた。それに加えて、資本主義的市場経済と社会主義的市場経済が同じ市場経済でありながら、如何に異なる性格を示すかを考究していた。
そのような思考情況において、ポランニーの諸著作に出会った。その成果が昭和58年・1983年に出版した『現代社会主義の新地平』(日本評論社)、とりわけ「第1章 自由・平等・友愛と現代」、「第2章 自由・平等・友愛と自主管理社会主義――ユーゴスラヴィア」である。以下に参考資料として第1章の冒頭の4ページのみを提示しておく(下記ウィンドウ右上隅をクリックすると文書全体がポップアウトします)。それ以来、私はトリホトミーを堅持している。

https://chikyuza.net/wp-content/uploads/2017/07/e72baaa9f0041e6f104cb58f72a8a666.pdf
資料を一読していただければ、明らかなように、室井氏と私は、ポランニーの交換、再分配、互酬なる社会的統合三因子へのアプローチの仕方がほぼ正反対である。室井氏は、それら三因子が様々な社会的諸制度・諸慣習に埋め込まれている相に着目し、21世紀の現代において「愛知県のおむすび通貨」に言及するように、三因子を「暮らしとしての生活世界」に埋め込み直す方向に思索する。私=岩田は、交換、再分配、互酬が近代的理念の三位一体である自由・平等・友愛とタイアップして、近現代的経済システムの市場、計画、協議に転形する、すなわち離床する方向に思索する。私見によれば、1989-1991年に市場が計画と協議を圧倒したからと言って、スムーズに人間的に回転する経済社会は、市場・計画・協議の三節合を必要とする。これは埋め込みのレベルにおいてではなく、離床のレベルにおいてである。そしてかつ同時に現代経済社会において交換、再分配、互酬がいかに埋め込まれ得るか、その探求も亦必須である。室井遥氏にかかる複眼的研究を期待したい。
次に一つ気にかかった点を指摘したい。「ちきゅう座」「スタディルーム」7月3日に提示されている室井氏の報告要旨の第24番目「財・サービスの移動関係:社会構造が前提」の図において互酬図と再分配図は了解できる。しかしながら、交換図を「G-W-G’ の世界」と見ているのは説明不足であろう。「W-W’ 、あるいはW-G-W’ の世界」ではなかろうか。
仮に「G-W-G’ の世界」だとすれば、G-W-G’ に二種類あるとせねばなるまい。一つは、生活者商人の場合である。G-W-G’ = G+⊿G かつ⊿G――自分の為の消費財、のような形である。もう一つは、商人資本家の場合であって、G-W-G’ そのものである。生活ではなく、貨幣資本の増殖が目的因となる営みである。前者の本性は、後者よりもW-G-W’ に近い。
室井氏が報告要旨の第36番目「パリーの贈与経済の意義」で説く「ダナヘの贈与(Gift)」は、上記の「自分の為の消費財」の一変種ではなかろうか。宗教と共同体感情が身体化している人々にとっての「自分の為」は、一個体の自分だけではなく、近現代人が他人とみなす者達も含むからである。
ところで、商人資本の図式の成立は、ただちに交換が完全離床した形の近代産業資本主義システムの誕生を意味しない。G-W-G’ がG-W(Pm、Ar)…P…W’-G’ (産業資本の図式)を阻害する論理的構造は、「ちきゅう座」「スタディルーム」に最近載せた拙稿「数理計画法の双対定理、産業資本と商人資本の対抗」と「補論:商人資本対産業資本」に示しておいた。

平成29年7月10日(月)

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座  https://chikyuza.net/

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