2019年2月2日
2015年8月26日の『西日本新聞』に次のような記事が載っていたのを知った。
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「土下座写真、演出だった?」
https://www.nishinippon.co.jp/feature/postwar_vol11/article/191171/
「(1945年8月)15日の国民の様子は翌日の朝刊に載った。<永久忘れじ 痛恨の歴史 熱涙に拝す大御心>の見出しに、土下座をした人々の写真が添えられた。」
「実はこの写真、15日に撮影されていない“やらせ”の可能性が高いことが分かってきた。同じ写真が他の地方紙でも使われており、通信社が配信したようだ。17日付で掲載した東奥日報(青森県)の説明文には「十四日」とある。
その14日に写真を撮られた人の証言もある。74年、週刊誌で終戦の新聞について評論した外交評論家の加瀬英明さん(78)に一通の手紙が届いた。差出人は花田省三氏。宮城前を通り掛かったところ、腕章をしたカメラマンに土下座をするよう頼まれたという内容だった。他にも20人くらいが協力していたという。」
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記事は「報国報道も“終戦”を迎えた」で結ばれている。確かに、威勢のよい進軍ラッパを鳴らす「報国報道」は70余年前に終わった。しかし、それとは意識しにくい形で国策を後押しする、あざとい「報国報道」が今、強まっているように思える。
また、象徴天皇は、君主ではなく「象徴」であることによって、かえって、より多くの人々(かつては天皇制打倒を叫んだ政党の末裔までも)を自発的に恭順させ、臣民意識を温存する情動的思考停止装置として機能しているように思える。この装置は「平成」天皇一代限りではなく、「国民統合の象徴」という仕掛けで、この先も機能し続けるだろう。
初出:醍醐聡のブログから許可を得て転載
http://sdaigo.cocolog-nifty.com/
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 https://chikyuza.net/
〔opinion8358:190205〕