寅さんは消えてしまったのか(?)

著者: 三上 治 みかみおさむ : 社会運動家・評論家
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寅さんなら『男はつらいよ』の中で生きているよ。葛飾柴又まで出掛けていけば会えるよと言われるかも知れない。確かに、僕の家にも何本かのビデオやDVDもあり、寅さんを見ることは出来る。何かの折に『男はつらいよ』を見ることもある。やっぱり、ついつい引き込まれて最後には心温まるものと哀感が残る。出る度に家族でよく見に行ったことを思い出しもする。僕が言っているのはその寅さんのことではない。寅さんの商売はテキヤ、今らなら露天商というところだろう。それがあまり見かけなくなったということである。

世の中が好景気に沸いて、寅さんの商売なんぞ消えてしまったというなら、それはよかったね、ということだろう。だが、そうではない。景気は一向に上昇せずに停滞気味の状態が続いているからだ。テキヤ、露天商とよばれる人たち街角から消えてしまった(?)ように見える現象は「暴力団排除条例」のためであると思われる。この因果関係は正確に立証したわけではない。僕がそれを気づくのは人にいわれてのことであり、そう言えば今年は花見の公園で露天商などが少なかったという印象と符合した程度だ。意識して正確に調査をした結果ではないが、この直観や判断はそれほど間違ってはいないと思う。暴力団排除条例が新聞や週刊誌などで話題になったことはあるが、一般にはあまりよく知られてはいない。そして、この法案と関連するもので今国会に上程されている「暴力団対策改正案」はさらにそうである。これらの法案は暴力団の取締まり強化ということで一般的にはあまり触れらたがらないことだし、横目でみて避けて通りたい類のものなのだろうと思う。しかし、ここには重大なことが進行していると言わなければならない。暴力団の排除や取締まり強化の名目で警察の権限が拡大し進行しているのだ。この特徴は一言で言えば、暴力団の跋扈を許さないという名目で、暴力団やその内部というよりは、それに関係する一般市民や企業に警察の規制や介入が拡大するということである。(これには警察官の天下り先確保の狙いもあると言われている)。名目的にはなかなか批判できない口実で警察の権限が市民社会に広げられていくことである。この背後には現在の社会の停滞や不安定さの深化による人心の荒れということがある。それを先読みしていると思われるふしもある。健康な社会、清い社会というのが社会の病理の深化で出てくる兆候といえるかもしれない。これは表面だけの健康で清い社会が実現することで、息苦しく本当の意味での健全な社会の実現ではない。これは歴史の証明しているところで、注意を喚起したいことだ。

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
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