将来を思う改憲派に現状維持の護憲派

著者: 藤澤豊 ふじさわゆたか : ビジネス傭兵
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改憲派は改憲の目的を隠し続けている。護憲派はその隠された目的を指摘しないで、改憲は反対だといっている。そんなことはないだろうが、目的を明らかににしないことを裏で合意しているのではないかと勘ぐりたくなる。そんな合意があろうがなかろうが、一つはっきりしていることがある。改憲を主張する背景とその背景を生み出している理由に踏み込まない話し合いは、何をどう言い合ったところで、言葉の上滑りで終わる。

交戦権だけでなく、交戦するための軍備まで放棄した現憲法では、行き詰った経済活動の活性化に自衛隊を使おうとしても無理がある。アメリカに尻を叩かれて、国際平和のためにというお題目のもとに自衛隊を派遣しても、現憲法がある限り、公に戦闘には関与できない。戦闘に関与できなければ、日本製軍備の性能を実証できない。砂漠やジャングルなどの厳しい環境下で軍備の優秀さを実証しなければ、せっかくの軍需産業が海外市場に進出できない。

自民党は、軍事力を国家の礎にと思う右翼思想からだけから改憲を主張しているわけはない。思想家の一人や二人ならいざしらず、社会集団となると、思想だけでは飯を食えない。改憲を主張する社会集団が、なぜそれほどまでして憲法を変えたいのか。もし主張しているように憲法を変えたら、主張している人たちにとって何がいいのか。ちょっと考えれば、隠れているものが見えてくる。

誰も何かをすることで、今までの生活がなりたないないというような、損になることをしようとは思わない。それは主張している人たちを支援している人たちも含めてのことで、誰もが生活をよくしたいと思っている。よくしたいというのは、あって当たり前だが、巷の俗な言い方で言えば、それは金を儲けたいということに他ならない。よくしたいから、儲けられるから支援(平たく言えば献金)するのであって、その支援には当然金儲けに絡んだ要求がついて回る。

政治の場で主張している人たちが、支援する人たちに都合のよくない、損になるようなことをしようとすれば、支援が打ち切られる。支援を失えば議員でいられなくなって、議員を失えば政権与党の地位を追われる。地位を追われれば、利権を失って、よくしたいと思っている生活が悪くなる。金で動いている人たち、天地がひっくり返っても、そんなことをするわけがない。

改憲要求の背景には日本経済がおかれた危機的状況がある。日本の経済界は、重厚長大産業から知識を基盤とした新しい産業構造への転換をしえずに喘いでいる。日本の伝統的な産業界がこのさき十年二十年どのような方向に進むべきなのか、進まなければならないかと考えている政治経済の支配層――責任ある人たちといえないこともない――がいる。八十年代にアメリカが傷んだ重厚長大産業を基盤とした経済構造から情報と知識を源泉とした経済構造に転換すべく、それこそ血の出るような試行錯誤を繰り返していた。それを尻目に日本株式会社は、伝統的な製造業を強化して土砂降り輸出でわが世を謳歌して、「ジャパン・アズ・アンバーワン」と悦にいていた。二十年経って、産業構造の転換を図ってこなかったツケが回ってきて、ITもバイオも医療も先端科学技術で先を走るアメリカの背中すらも見えなくなってしまった。

中国や韓国の追い上げで、タンカーやコンテナ船、製鉄設備や化学プラントなどの重厚長大産業が国際競争力を失い続けている。日本の製造業に追い上げられた、かつてのアメリカと似たような立場になった。政権政党としては日本経済の運営に責任がある。責任というより痛んだ業界からの要請に応えなければ、政権与党の座から追われる。

一民間企業としてという以上に業界――彼らの視点でみれば国家として成り立たない状況に追い込まれて、何が何でも重厚長大産業を軍需産業に育て上げ、輸出産業に押し上げなければならない。そのためには、交戦権と軍備の保持を憲法に明記して、海外の紛争地帯に自衛隊を派遣して、日本製軍備の優秀さを実証しなければならない。軍事技術では先に進みすぎて、通常兵器ではコストパーフォーマンスに難のあるアメリカ製品より十分検証された周回遅れの軍事技術をもってして、日本流の製造技術と品質管理でという、製造業を基盤とした高度成長の再現をと思っている。

軍需産業は、今まで経験したことない、あるいは経験したことから遠く離れた情報産業とは違って、散々してきた周回遅れの製造業の焼き直しだから、経済界は重厚長大産業の軍事産業化を手堅い手法と考えている。今まで通りの利権構造がそのまま生きるから、利権の扱いしか興味のない政治家連中でも取り組みやすい。中国や北朝鮮のおかげで誰も反対はしにくいし、経済界の本流から潤沢な支援もれられる。ことが軍需だけに、なにかあっても国防上の機密をたてに情報開示を拒否できる。政治的判断と利権の絡み合いで、先生方にはおいしい、なにがなんでも一口絡んでおかなければという話だろう。

一方、護憲を旗印にしている革新系の人たちは、憲法九条を守ることを目的としている。今いるところを護憲と改憲が右と左に分かれる一つの地点だとすると、護憲派の視点はその地点とそこに至った経緯に留まっている。改憲派は、日本経済のありようを歴史的に見て、その地点から将来のありようを思い描いている。誰が見ても、改憲派と護憲派のどちらが日本の将来に対する基本設計を描いているかぐらいのことはわかる。

改憲派は日本の産業構造の転換――たとえ将来それがとんでもない、のっぴきならないことを引き起こすにしても――を考えて、日本の将来がどうあるべきかを視野にいれての改憲活動なのに、護憲派にはそのもっとも大事なこの先の日本の経済活動を、ひいては雇用をどうするかという視点がない。

改憲と護憲、それは憲法をどうのという以上に日本経済、ひいては日本の将来像をどう描くかの問題なのに、その将来像は描いていても改憲の本当の目的を公にできない改憲派に、将来像を描けないのか描こうとしない護憲派。将来を見ているものと過去を引きずっているもの、はなから勝負はついているようにすら見える。

もう一度大きな戦争、それも核兵器も使った戦争をして、世界中のみんなが平和を求め、そして軍備を廃棄しなければという大きな流れでも起きない限り、将来のビジョンを提示しえない護憲派が、職の安定と今日の飯を気にしている一般大衆の支持を得られるとは思えない。

Private homepage “My commonsense” (http://mycommonsense.ninja-web.net/)にアップした拙稿に加筆、編集

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
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