尖閣列島をめぐる騒動から想起すること

著者: 三上治 みかみおさむ : 社会運動家・評論家
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旧ユーゴスラビアを舞台とする民族的・宗教的紛争が地域紛争と呼ばれる戦争に発展したのを見た時、ヨーロッパでは一方でEU(ヨーロッパ共同体)が進展しているのにこれはなんだと思った。ヨーロッパでは国家を超えて共同体が展開しているのにその裏庭というべきところでは民族紛争というべき戦争が起こっているのが衝撃だったのだ。そしてこの報道を見ながら、東アジアではこうした問題が解決されずに残っているのだと思った。EUをモデルにした東アジア共同体の基盤は確実に拡大しながら、民族間対立の問題は解消されずにあるのだと思えたのだった。僕は今度の尖閣列島周辺の海域での中国籍漁船の逮捕事件から生じた騒動でこのことを想起した。

誰もが尖閣列島の領有権が日中の争いに発展し、袋小路のような場所に入り込むことを警戒し、その愚な結末(戦争)に至ることを恐れている。だが他方でここでの対立に断固とした対応を要求する声も存在している。弱腰外交、売国奴という過激な言葉で政府を突き上げようとする存在もある。これには中国に対する民族的反感から国益防衛ということまで幅があるにしても小さくはない。心理的には戦争状態に入っているのであり、それを心的に演じているのだと思ってもいい。戦争とは心的にいえばこういう状態の拡大あり、地域紛争が戦争に発展した萌芽とあまり違いはないと想像すべきである。戦争と言うと自然に過去の戦争を想起するかもしれないが、今、目の前の事態に原型があると認識すべきである。こういう心的状態が高まったとき現実の戦争に転化する。

こういう問題の解決にあたって重要なのは国民の意識の動向である。国民が過剰に反応することが問題になる。それには政治家やメディア、知識人が関与してもいる。領土という国家意識(共同幻想)、あるいは国家主権という意識は近代的なものだが、向こう(歴史の方)から刷り込まれてある。先験的に内在しているから自然な意識として過剰(過激)になる傾向を持つ。特に対抗的な関係においてはである。国家主権なんてさして信じていなくても、領土なんて持ちだされるとそれをかき立てられてしまう。領土問題に生活利害の関わる部分(例えば尖閣列島なら沖縄、台湾、中国の漁民等)が解決にのりだすことはよい。彼らが入会権のような漁場の共同利用で解決をする道を開くのが一番いいし、国家は最低限の必要事項しか関与しない方がいい。いずれにしても領土という観念(国家主権意識)を脱する観点を根底に持っていないと危ない。                                                           10月2日記

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
〔opinion159:101005〕