柄谷行人著『憲法の無意識』(岩波新書、2016年・平成28年)「1 憲法の意識から無意識へ」によれば、占領軍の命令で出来た「憲法九条が執拗に残ってきたのは、それを人々が意識的に守ってきたからではありません。もしそうであれば、とうに消えていたでしょう。人間の意志などは、気まぐれで脆弱なものだからです。九条はむしろ『無意識』の問題なのです。」(p.5)、「私は日本の戦後憲法九条を、一種の『超自我』として見るべきだと考えます。つまり、『意識』ではなく『無意識』の問題として。さらにいえば、『文化』の問題として。それは、九条が意識的な反省によって成立するものではないことを意味します。」(pp.16-17)
そうだとすれば、柄谷は論じていないが、憲法九条とワンセットである日米安保条約もまた無意識、超自我、文化の問題であることになる。1960年の安保闘争以来、「この条約が十年間効力を存続させた後は、いずれの締約国も他方の締約国に対しこの条約を終了させる意志を通告することができ、その場合には、この条約は、そのような通告が行われた後一年で終了する。」と銘記されているにもかかわらず、護憲派からも改憲派からも終了通告すべしとの声がきかれない。すでに六回のチャンスを見逃している。すなわち、安保条約と憲法九条は、ワンセットで日本国民の無意識=超自我=文化なのではなかろうか。
柄谷が言う無意識の具体的内実は「戦争に対する『無意識の罪悪感』」(p.18)である。私=岩田の常識によれば、これは憲法九条には妥当するが、安保条約には妥当しない。何しろ、安保条約は戦争を前提としているからである。とすると、安保条約は、無意識=超自我=文化の問題ではないことになる。
無意識の具体的内実を「職業軍人に対する市民の『無意識の無力感』」であると岩田流に理解すれば、憲法九条も安保条約もともに無意識=超自我=文化の問題となる。
「無意識の無力感」は、日本史に根が在る。源頼朝による幕府成立以来、日本社会の政治は、軍事・戦争を家業とする武士集団によって独占され、経済も文化も武士集団によって制約されて来た。明治維新によって幕府が崩壊し、国民皆兵の軍隊が成立し、軍事・戦争の家業が消滅し、かわって軍事・戦争の実践・指揮・命令に関する専門家=職業軍人が誕生した。そして、憲法上は、将軍様ならぬ万世一系の天皇陛下が軍全体の統帥権を掌握した。そうでありながらも、時代が進むにつれて、日本社会の運命は、政治家ではなく、職業軍人全体、いわゆる軍部の掌中に握られて行く。大元帥陛下の統帥権さえも軍部によって「干犯」された。
そんな強力無比の帝国陸海軍をとことん打ち破って、日本全国を占領し、帝国陸海軍を解体した存在、それが米軍であった。治安維持法で収監されていた人々を解放したのは、日本国民でもなく、日本市民でもなく、赤軍でも紅軍でもなく、米軍であった。不幸にもそれに間に合わず、昭和20年・1945年9月26日、哲学者三木清は獄死した。日本女性が自力で獲得できなかった婦人参政権を早々と実現させたのは、米軍であった。帝国の最高戦争指導者を裁判にかけて死刑に処したのは、米軍に支えられた国際社会であった。日本国憲法を起草したのは、米軍であった。安保条約を作成し、日本国首相1名に署名を強要したのも、米軍を統帥する米国政府であった。そしてまた米国の誇る言論の自由と信書の自由を完全に黙殺して、日本社会に検閲ネットワークを作り上げ、不要となれば、自らネットワークを断ち切ったのも、米軍であった。こうして、日本市民社会が誕生する。
すなわち、日本社会は、その歴史的経験の中で、戦争・軍事を職業とする集団を文民統治する覚悟と知恵とknow-howを主体的に生み出して来なかった。日本の職業軍人からは不幸なる戦争を押し付け=プレゼントされ、米国の職業軍人からは幸福な市民社会をプレゼント=押し付けられた。
日本国が名実ともに独立国家となって、日本自衛隊が正統性ある日本国軍に再建されるようなノーマルな事態を意識するだけで、「職業軍人に対する市民の『無意識の無力感』」が効いて来るのではなかろうか。
憲法九条の存在、そして米国市民社会の統制に服していると日本市民社会が信じている米軍機構の歯車たるべく自衛隊に運命付ける日米安保条約の存在、かかるワンセットこそ、「市民の『無意識の無力感』」を「市民の『無意識の安堵感』」に暗転させる。
軍国幼年だった私=岩田は、かかるワンセットをまるごと放棄する志を社会主義少年の頃からもいだいていたようだ。
明治人は「一身独立して一国独立す。」と喝破した。
令和人は「一国独立して一身独立す。」と悟らねばなるまい。
最期に一言。岩田流「市民の『無意識』」と柄谷流「国民の『無意識』」は重なり、相乗することに留意してほしい。
令和5年10月18日(火)
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 https://chikyuza.net/
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