帝国日本の妄想と対米依存症!

著者: 大木 保 おおきたもつ : 心理カウンセラー
タグ: ,

いつの時代も信用ならない知識人たちとマスメディア ・・

—-

砂漠の日照りのような、また、雨季のアジアの豪雨のような、

激しい天候が、入れ替わりで列島をおそっていますが、

みなさんはいかがお過ごしでしょうか?

しかし昭和の初めまでは、旱魃の被害で日本の各地で餓死者がでた記録もあり、

その過酷さは現代の比ではなかったことがうかがえます。

だが事実は、旱魃だけが要因ではなく、

そこには翌年の豊作を見た、「米相場の暴落」という

市場経済が非情のシステムとしてはたらいたために、

「米がとれなくても、とれても、生きていけない!」《 近代 》 社会が、

ついに貧農の息の根をとめたことを物語っている。

ある部落では飢餓で全滅したという。・・・

この 『 昭和の困窮 』 が、ただ

純朴なだけの青年将校のテロリズムという「犯罪」に表現されたために

権力側の思うつぼにはまって処断され、国民大衆の支持から遠ざけられた。・・・

老獪な政治家、軍部と産業資本が、その矛盾を国家的規模で吸いあげる方策として、

「ナショナリズムの昂揚」をかかげて、国民の不満を、支持に反転することに成功し

まんまと自らの政治的破綻・滅亡をまぬがれ、

帝国を指導する地位を不動のものにしていった。

これ以後、—

日本のすべての若者たちが、たとえどのように未来を描いていても、

明日にも戦場に行ってたたかうことを、すなわち

「自分の死を前提に暮らす」という絶望の未来を背負わされていく。・・・

このことは、やはり心的に重い!

それがどのように若者たちの内面の心的な領域を侵していったのか?

考えてみると、途方もなく現実解離した生き方を強いられた時代であった。

あえて念を押せば、特攻隊員だけが兵士ではなく、

すべての若者は、「それがあたりまえ」である戦死という結末に向かって、 、

時代の呪文のような、 「世界に冠たる日本ナショナリズムの超越性」に、すがるように、

わずかばかりの飯さえ、砂つぶをくらうようにのどに流しこんでいたにちがいなかろう。
この時代を堪えて生き残られた老人の方々が、 もし今の時代に、

威勢のいいことを吹聴するものたちを見れば、苦笑いを浮かべて首を振られることだろう。

老人たちが、体験と苦悩を、たとえ論理的に話せなくとも、

あれが「帝国という妄想」にすぎなかったことは、

連戦敗走という現実の死にかぎりなくひきよせられた恐怖絶望体験として、

その眼差しに刻みこまれている。

それはつまり、政権と産・軍一体勢力が国内政治経済の矛盾・破綻を解決できず、

問題を国外へ引き延ばそうと図った「帝国主義的表現」に収斂したことの「帝国の結末」を、

兵士個人の体と心に恐怖絶望として記憶させられたといえよう。・・・

では、この国ではだれも、「帝国の妄想」に異議をとなえたり、

抵抗戦線が国民の庇護のもとに構築されなかったのか、というと、

そのとおり「無かったに等しかった」のだ。

なぜなら、異議どころか、学者も大学も文化人も新聞もみんなこぞって、

「帝国の妄想」「世界に冠たる日本ナショナリズムの超越性」にひきよせられたのだから!

前衛を名乗る党派も、大衆の支持をつかみとる「超越性」に替わる思想的力量を欠き、
(非転向という)無自覚な孤立と転向とに追いやられた。・・・

このことをまず、ありのままにうけとめて、

「戦後」をあらたに覚悟して踏みだした人がきわめてわずかであったことは、

日本の「知識人」といわれる者たちが信用ならない薄っぺらな連中であることをものがたっており、

根源的な「失語」(= 大衆からの孤立)と、

固有の内向的依存という性格形成があますところなくあらわされていることがよくわかる。・・・

それが、戦後日本国民の精神的傾向を、無自覚な、自信のない依存症に向かわせたといえないだろうか?

以前にも書き記したとおもいますが、 この「帝国の妄想 」こそが、

「 《現実 》 を等閑視して解離し、逃亡をはかった」侵略行動によって、まさしく

《分裂病 》 そのものの行動パターンに酷似していることを示している。・・・

そして、その逃亡にリアリティ(真実味)を与えたのが

「日本ナショナリズムの超越性」という美化の(妄想)イメージにほかならなかった。
御用新聞(いつの時代でも!)が先導する 「帝国の妄想」に染まるように、

日本中が、集団的分裂病の様相を呈したあげくに、

敗走壊滅にいたる現実をむかえることになる。

(心的病理は現実と直接向きあったときに、ようやく強いられるように覚醒する。)

だが覚醒する間もなく、米軍に占領されるという、

日本史上はじめての事態にむしろ不安恐怖が肥大した分、

現実の占領軍がまったくの鬼畜行動を自制したために、安心して、

逆に占領軍の進歩的な一面を歓迎することにもつながっていった。

「敗戦相手で、一見、進歩的で、繁栄する米国」に対するコンプレックスを抱えた人々は、

あっさりと「世界に冠たる日本ナショナリズムの超越性」をしまいこんで、

「戦後日本人のナルシズム的」対米密着依存症を発現させつづけてきたわけだ。・・・
たとえば、事実上、占領軍がいまだに(2012年)日本に君臨していることを、

「守られている」という加護神話で言い含められて、

納得しているナルシスティックな国民なのである。・・・・・
(ブログ・心理カウンセラーがゆく!http://blog.goo.ne.jp/5tetsuより 転載.)

 〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
〔opinion962:120820〕