民主中国【 VOA 】 作者: ?雨 時間: 1/11/2019 (翻訳 リスベット)
行方不明のウイグルの父を探して、帰れない故郷を遥かに仰ぐ (一)
「誰を探しているって?」電話を受けたのは新疆カシュガル大学保衛所。
「私は中国教育部の公費留学生でドイツにいます。私の父は穆特里甫?斯迪克で、カシュガル大学の教授で学者です。彼はカシュガル大学に40年勤め、中国共産党のために仕事をしていましたが、最近国際メディアが私の父が捕まったと報道しました。父はどのような罪を犯したのか? 父はいま何処にいるのか?」塔依?江は一気に喋った。相手は電話を切った。
1月9日、塔依?江はカシュガル大学保衛所に100以上国際電話をかけた。時々かかるが、時々電話を切られる。最後に、保衛所の政治科担当者曰く「用事があるなら我々と対面して話してくれ、電話では話せない。」
「私はドイツにいるので、行きようがないでしょ?私は中国の公民です、聞く権利は無いと言うのか?人を捕まえて、なぜ捕まえたのか? 彼はどんな罪を犯したのか?」。塔依?江は悔しかった。
中国当局は現在新疆のイスラム教徒に対して大規模な弾圧を展開しており、塔依?江の父のようなウイグル人の中の最も優秀な知的エリートを大規模に拘束している。
行方不明の父を捜すために、塔依?江は数日にわたって新疆のさまざまな政府部門に電話をかけた。
カシュガル110番警察に掛けた際、ウイグル族の女性オペレーターに「カシュガル大学の捕まった教授達はどの監獄にいるのか? 」と聞くと、慌てて「わからない」と答えると、すぐに漢族人が電話に出て何も言わずに電話を切った。
「しばらくしたら、私はカシュガルの裁判所と検察院に聞こうと思っている」と塔依?江はVOA に言った。
それまで、彼は政治的な問題は起こしていない。
塔依?江は1980年新疆のカシュガルで生まれ、幼少時から大人になるまで品行方正で才気あふれる子供だった。1999年高校卒業後、ウイグル語で大学を受験し、新疆の文科系で2位の成績を収めた。 その後、彼は北京の中央民族大学で二年間中国語を学び、それから北京外国語大学のドイツ学科に入学した。 2006年大学卒業後、公費留学生として修士号取得のためドイツに行き、現在はゲッティンゲン大学でウイグル文学を専攻する博士課程の学生です。
帰れない故郷新疆 父はまだ生きているか?(二)
民主中国【 VOA 】 作者: ?雨 時間: 1/11/2019 (翻訳 リスベット)
行方不明のウイグルの父を探して、帰れない故郷を遥かに仰ぐ (二)
塔依?江が4歳の時、彼の父穆特里甫?斯迪克??依日は中国共産党に加入し。 彼はカシュガル大学の准教授で、中世のウイグル文を教授し、アラビア語にも精通し、《カシュガル大学学報》の責任者であった。
塔依?江の記憶の中では、父は政治についてはほとんど話さなかった。大きくなってから、彼が徐々に分かってきたことは、90年代の半ばから、父と学校の党委員会の関係が緊張してきた。
塔依?江がVOAに曰く「原因の一つは父がカイロ大学に行ったことです。胡耀邦、趙紫陽の時期は比較的開放的で、教育部はアラビア語の学習のために父をカイロに派遣しました。90年代の江沢民総書記の時期から新疆に対する管理がどんどん厳しくなった。アラビア語とイスラム教は関係があるので、父が心配でした」。
1995年になって、父はカイロ大学の訪問学者としての申請をしたが、大学の党委員会は承認しなかった。そして父はパスポートを申請する資格を失い、出国することができなくなった。 2001年、全国優秀大学雑誌編集者の選出で、新疆自治区は1名の枠を得たので、自治区教育庁は父を推薦したが、大学の党委員会は同意しなかった。 父は膨大な著作を残しているにもかかわらず、2010年に引退するまで、准教授の肩書しか与えず、昇進もさせなかった。
塔依?江曰く「父が彼らに挑んでいるのではなく、大学の党委員会が父に挑んでいるのです」。
習近平が就任すると、国のウイグル人に対する長年の抑圧政策は再度エスカレートしてきた。 批評家たち曰く「これはウイグル人の宗教、文化とアイデンティティを抹殺することが目的である」。
2017年、政府はウイグル人の赤ちゃんの名前を制限し、29の常用の名前を「ブラックリスト」に入れた。理由はこれらの名前は「分裂主義、公共の安全に関わる」ということである。
父の日常はさらに厳しいものになった。彼が得意とする専門はウイグル人の名前の研究で、2010年には、900ページ以上の《ウイグル人名宝庫》を出版した。 2017年中国共産党の第19回全国代表大会開催前に、この本は新疆全域で回収された。
帰れない故郷新疆 父はまだ生きているか?(三)
民主中国【 VOA 】 作者: ?雨 時間: 1/11/2019 (翻訳 リスベット)
行方不明のウイグルの父を探して、帰れない故郷を遥かに仰ぐ (三)
第十九回全国人民代表大会の前日、学術上の問題について、塔依?江は父に5回電話をかけた。 最後の電話で、父曰く「息子よ、もう私に電話をしないでくれ」。
その時から、彼は家族との連絡方法を全て失った。 その後、彼は別のルートから、あの電話をかけた後、父は国内安全保衛隊に捕まり、3日間監禁されたことを知った。
2018年5月、塔依?江は北京の友人から、カシュガル大学が父に「党籍を保留したまま謹慎処分」という処分を行い、68,000人民元の罰金を課したことを知った。大学が出した公文書曰く、父は「学術のルートで、イスラム文化とアラブ文化をまき散らした」。
父が「党籍を保留したまま謹慎処分」を受けたという情報を聞いたあと、塔依?江曰く「ホット一息ついた。少なくとも父はまだ生きている」
昨年11月、 国際メディアは父がカシュガル警察に逮捕されたことを確認した。同時に逮捕されたのはカシュガル大学の学長と3名の副学長で、全員ウイグル人である。
塔依?江は父の安否を非常に心配している。『「党籍を保留したまま謹慎処分」は大きな処分です。 その4ヵ月後に逮捕されたので、刑が宣告されることが分かっている、死刑になることが一番心配です』。
このような心配は当然である。 2014年ウイグル人学者伊力哈木・土赫提は「国家分裂罪」で無期懲役の判決を受けている。最新の弾圧では、前新疆医科大学学長哈姆拉提??普?と前新疆大学学長塔什普拉提?特依普が死刑の執行猶予の判決を受けている。そのほか拘留中に死亡した著名なウイグル人知識人が多数いる。
塔依?江はVOAに曰く「中国共産党は、中国の56の民族は一家で、新疆は中国の一部と言う。彼らは、新疆は中国の一部だと思っているが、ウイグル人は中国人の一部ではないと思っている、と私は思う。彼らはウイグル人を逮捕している。彼らは民族の団結を破壊している」。
2016年塔依?江は新疆に帰省した。 ある日、彼と父が街中にいた時、今まで政治について話したことがない父が突然毛沢東を褒めた。曰く「毛沢東は多くの人を殺したが、共産党の当時の新疆政策は現在より良かった」。
あの時は塔依?江が新疆に戻った最後だった。 あそこは既に永遠に帰れない故郷になっていることを、彼は心配している。