平成の終わらんとするに思ふ

平成31年3月31日に平成が幕を閉じると昨日報道された。

そこで想い出した。平成3年(1991年)7月5日ではなかったかなと記憶するが、中央大学商学部でユーゴスラヴィア自主管理社会主義に関して講演を頼まれたことがある。その終了後、講演者記録帳に一筆せよと乞われ、次の一首を記した。

  平成の民君共の弥栄を願ひて究めむ社会科学を

そして、昨日、終焉の日程を知る。その日の夕辺、脱原発闘争の行動的思想家三上治氏の出版記念会が後楽園涵徳園で催された。その席上で、諸氏諸嬢に次の数首を読み上げた。

  日の御子の高御座(たかみくら)より去り給ふ日の定まりて秋雨寒し

  左児(ひだりご)の思ひ深しも平成の大君の御代静かに行かむ

  左人(ひだりひと)吾ご大君と覚ゆたる御代はすこしくなりにけるかも

  海原のそきへに死霊(みたま)訪ねける吾ご大君は平和を祀る

  いくさ世に生(あ)れましませばうしはかず平和の御代を知らせけるかも

  平成の御代去らんとし戦さ世のまた来たらむを恐るるあらむ

  こまぐにの南も北も大和児よとなりびとなるふたちとせまり

平成29年10月21日   岩 田 昌 征

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〔opinion7046:171021〕