私のトリアーデ体系論は、近現代史が実証した作動可能な経済システムに三類型あると主張する。自由→私有→市場→の系列であるMシステム、平等→国有→計画→の系列であるPシステム、友愛→社会有→協議→の系列であるCシステム。そして夫々は近代以前の潜伏的社会統合因である交換、再分配、互酬の離床=機構化=近代化であると見る。
自由、平等、友愛は各システムの大義であり、理念である。それらは各システムの明の面を表現する。経済システムの作動は、明の面だけを見ていては、その実相を開示しない。必ず暗の面がある。Mの私権・私責の極限に自殺が、Pの集権・集責の極限に他殺が、Cの共権・共責の極限に兄弟殺しが姿を現す。Mの象徴死としてのSuicide、Pの象徴死としてのHomicide、Cの象徴死としてのFratricideである。
1989-91年期、現代資本主義と対抗していた社会主義世界体制が崩壊すると、現代資本主義の体制エリートは、日本的経営を説かなくなり、混合経済を語らなくなり、競争と協調のバランスを口にしなくなり、純Mの競争と自己責任(私権私責)一辺倒になる。かくして、Mの社会心理として不安心理が急速に濃厚化して、1990年代に自殺者数が徐々に増加、そして1998年には1997年から一挙に1万人近く激急増、3万3000人に達した。2003年は3万4427人の過去最多を記録した。1998年以来十数年3万人台を保っていたが、9年前から毎年毎年減少して、2018年は2万598人に下がった。2017年より723人少ないと言う。1978年に自殺者統計が開始されて以来の最底値は、1981年の2万434人であるから、平成31年=2019年の最底値を更新するかも知れない。1万人台に突入するかも、反転の可能性を恐れつつも、期待しよう。
私の記憶が正しければ、原田泰日銀審議委員は、著書の中で何年も前に自分の政策効果判断基準の一つに日本社会の自殺者数の動きを入れていたと思う。原田氏がサポートするアベノミックスが自殺者数の傾向的低落を生み出したと因果連鎖を正確に論証するのは困難であろうが、無関係と断定するのも短見にすぎよう。
ところで、ここに心配事がある。自殺者数を首相周辺のエリートが政策のプラス効果であると強調するようになると、警察庁の自殺統計にさえ将来偏向が出来するかも知れない。
それはともかく、納得しがたき不祥事や強引な沖縄政策等が多発する安倍一強政治のもとでも、自殺者数の傾向的低下と日露平和条約締結努力とは評価されねばなるまい。
平成31年2月25日(月)
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 https://chikyuza.net/
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