廣松氏存命中に批判されていたなら、論争が成立したのに、ザンネン

渋谷正氏の廣松版批判。

廣松氏が問題を指摘し、アドラツキー版全盛という状況に風穴を開けた意義は、やっぱり大きいのでは?

(「普及史」としては、「廣松版」と「問題の指摘」・ドイデの「位置づけ」の提起は、別問題。)

60年代後半(という大衆運動の昂揚期)に――アドラツキー版以外に――じっさい読まれたのは、バガトゥーリア版の翻訳で、この点は「普及史」としては重要だと思うけど(渋谷氏はふれられていない)。

それに、そもそも各版のテキストの比較だけの話なら、「翻訳史」ではあっても「普及史」ではない。

さて、廣松版(あるいは廣松・小林版)と渋谷版の違いと論争について、ネットで読むことのできるものとしては、石井彰文氏の以下のもの。

http://book.geocities.jp/doideoro/hihanbun.html

もっともワタシは、「これからコムニスムスを考えるのなら、『ドイデ』じゃなくて『精神現象学』では?」と言って、廣松氏に呆れられたようなモノなので、ドイデの各版なんかについては、まったくわかりませんが・・・。

(やっぱり小林昌人氏を呼んでくるべきか?)