――八ヶ岳山麓から(500)――
わが贔屓の共産党が久しくメディアに登場しなくなって寂しく思っていたら、12月9日付の毎日新聞夕刊(ネット)に志位和夫議長が登場した。「『雨宿り』の先求めて SNSは『使いよう』 真価問われる、志位和夫・共産党議長」という記事である(筆者は川名壮志記者)。一読して思わず、「これでいいのか共産党!!」と言ってしまった。
総選挙について
志位氏は川奈記者に「総選挙後の政局をどうみるか」と問われ、共産党の敗北は棚に上げて、まず「自公政権NO!という国民の審判が、ハッキリしましたよね」などと答えている。そこで、川奈記者は、「先の衆院選で共産党は、10議席から8議席に減りましたよね?」と重ねて問うた。
その答えは、「国民が自公政治を終わりにする意思を示したのは明らかですが、まだそれに代わる政治のイメージが浮かんでいない。今は新しい政治プロセスがスタートした、いわば始まりの一断面です。確かに共産党が伸びなかったのは残念。でも、政党間の力関係が固定化したわけではないと思います」
また志位氏は、「今度の選挙で議席を増やした政党も、投票した有権者が必ずしも政策の全てを支持したわけではない。やはり、雨宿りの性格がある。今は新しい政治が始まる第一歩。自民党と近づくのか、新しい政治を進めるのか。各党の真価が問われる局面です。もちろん共産党もですが」とも言っている。
殿上人、いや雲上人というべきか。まるで他人事だ。その真価をもっとも問われているのは、国政選挙のたびに得票を減らしている共産党である。そしてその志位・小池指導部だ。
「政党間の力関係が固定化したわけではない」と思うなら、国民民主党とれいわ新選組がなぜ共産党を追い越してしまったか、それを分析すべきだ。共産党は、総選挙前にもっともな政策を列挙したが、一目見ただけでは重点がなにかわからなかった。「相変わらず同じことを繰り返しているな」という印象だった。ところが、国民民主党とれいわ新選組は、目の前の国民の切実な要求を的確にとらえ、わかりやすいスローガンにしていた。
総選挙後の共産党幹部会は責任を感じているといったが、志位氏ら指導部が本当に責任を感じているなら、「残念」などと言っている場合ではない。辞職するか、それができなければ、なぜ共産党は10議席を維持することもできなかったのか、これを支持者にまじめに語るのが義務である。
「103万円の壁」について
志位氏がとりわけ問題にしたのが、自民、公明両党が国民民主党に応じて示した学生の子供を持つ親の税負担を軽くするという「特定扶養控除」だった。氏の主張は、 「課税最低限(103万円)の引き上げは当然ですが、そもそも高い学費が問題でしょう?
大学無償化の政策をほったらかしにして苦学生をもっと働かせようなんて、本末転倒も甚だしい。若者のことを考えてない」というものだった。これはその通りだ。
だが、ご存じのように「103万円の壁」の議論と政党間の取引は、学生アルバイトの問題に限られなかった。わたしの記憶では、課税最低限度引き上げは、昔から共産党の「おはこ」だった。ところが、しんぶん赤旗は国民民主党批判を急いで、財源によっては「103万円の壁」を突破しないでもいいとも取れるような議論を展開した。本来なら国民民主党と共闘しないまでも、国会の議論の中で、もっとめざましい役割を果たせたはずだ。
国民民主党は「103万円の壁」突破、つまり課税最低限度引き上げで衆目を集めて株を挙げ、自民党と交渉して来年の国会で178万円を目指すということで補正予算案に賛成した。来年の通常国会では、玉木氏の「給付付き税額控除」が取り上げられるだろう。
SNSについて
志位氏もSNSに関する戦略が遅れていると認めているが、川奈記者の「最近の過激な選挙運動のあおりでSNS規制の論議も活発になっている。やはりネットでの選挙運動は規制が必要?」という問いに対して、 「全然。SNSは単なる技術ですから。要は使いよう。地道な活動とSNSを結びつける王道を進めればいいんです」
「全然」というのは、ネットでの選挙運動は規制の必要はまったくないという意味である。さらに、志位氏の「SNSは単なる技術」という言葉にはおどろいた。度胸がいいのか、無知なのかわからない。マルクスの『資本論』第1部第13章「機械設備と大工業」はなぜ書かれたか。
SNSには、閲覧履歴を解析し好みの情報を表示する「フィルターバブル」と、再生数が増えれば投稿者の収入になる「アテンション・エコノミー」というシステムがある。特定陣営の投稿を閲覧すると、同じような投稿がどんどん出て来る。
ある情報が注目されれば、チャンネルの運営者らが再生数を増やす目的で、次々転載していく。双方の主張を客観的に判断できなくなり、対立が激化する。兵庫知事選では、N党の立花孝志氏は、斎藤候補擁護の動画をネットに100以上投稿し、総再生回数は1500万回に及んだというではないか(信毎12・02社説)。
ならば、わたしは訊きたい。いまのままでは、ネット上で有権者がめちゃめちゃな情報に接しても客観的に真偽を判断するのは困難だ。選挙で金を稼げる広告の仕組みを何とかしなくてもいのか。都知事選、衆院選のみじめな結果、さらに兵庫知事選での共産党の得票急落を経てもなおこの認識か。
次の国政選挙と未来展望について
川奈記者は、志位氏の言葉をこう紹介している。
「自公政権が過半数割れした今は、第1次安倍政権が参院選で大敗し、衆参でねじれ現象が生まれた07年に似ている」 「あの時は2年後の衆院選で政権交代が起きた。野党はバージョンアップして、自民党政治を終わらせなければならない」
わたしは、もっとも「バージョンアップ」に迫られているのは、共産党だと思う。このままでは百年の歴史を持つ左翼政党が消滅してしまう。
川奈記者によると、先の衆院選では、有権者の雨宿りの軒先が共産党から他の政党へと移った感があるが、志位さんは最後まで気炎万丈といった様子。2時間近い取材の終わりに、こう言い切った。
「私たちの戦いは資本主義との戦いです。それが人類が最後に到達した理想の体制だとは思っていないのです。その時々の資本主義のゆがみと戦ってきたからこそ共産党は102年続いている。搾取のない自由な社会が我々の理想。資本主義が行き過ぎた今、我々の出番です」
「我々の出番?」 出番は共産党以外の政党も、いつだって出番だ。選挙のたびに後退しているのに何を言っているのか。志位氏のこの台詞は、「牧師が天国を語るとき、俺たちゃ腹が減る」という歌詞を思い出させる。資本主義の行き過ぎだのゆがみだの、百数十年前のマルクスみたいだ。
村の60代、70代の共産党の友人たちに「あなた方の生きているうちに、共産党がかなりの議席を取って民主連合政府が実現できるかね?」と聞いたことがある。誰もが「それは不可能」と答えた。
そういえば、以前は本ブログでちょっとでも共産党に対する批判めいたことを書くと、猛烈な悪口雑言が返ってきた。この頃はそれがない。みんな元気を失ってしまったのか。だが、志位和夫議長は気炎万丈、元気そのものらしい。
(2024・12・13)
初出:「リベラル21」2024.12.17より許可を得て転載
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〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
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