悲願の早稲田大学医学部構想。何度目かの迂回作戦。実現は困難か

著者: 浅川 修史 あさかわ・しゅうし : 在野研究者
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 早稲田大学が医学部創設に向けて、何度目かの挑戦を行う。慶応義塾大学と並ぶ私学の雄、早稲田大学だが、医学部を持たないことから、「総合大学」ではないというハンデを負っていた。医学部がないことから、慶応義塾大学と比べて、社会的影響力や寄付金集めの際に見劣りする結果になっている、と早稲田大学当局は認識している。
 帝京、近畿、聖マリアンヌなど新興大学が続々と医学部を新設する時期に早稲田大学は無為に過ごした。医学界は東大、慶応などを頂点とする系列に支配されている。いわゆる医局が日本の医学部、病院の人事を支配している。早稲田大学が医学部を新設しようとしたら、どこかの大学の系列に入らなければならない。このことも早稲田大学の無為をもたらした。
 早稲田大学が重い腰を上げたときは、すでに文部省(現在の文部科学省)、厚生省(現在の厚生労働省)の政策によって、医学部新設の扉は閉ざされていた。
 
 下記の産経記事にあるように、「昭和54年(1979年)以降、(医学部)新設は認められていない」政策が継続されている。文部省が医学部新設を認めないのは、厚生省の「医療費抑制=医師数抑制」政策がある。医師の数が増えると、医療費が膨らむので、医学部の新設は認めないという、筆者には奇妙に思える論理である。こうした厚生省の医師数抑制政策は、現在の日本の医療に悪影響をもたらしていることは広く認識されている。

>早大に医学部新設打診 茨城県、医師不足解消狙う 2011.9.18 02:10
 ■笠間の畜産試跡地提案
 http://sankei.jp.msn.com/region/news/110918/ibr11091802100003-n1.htm

 かりに昭和30年代、40年代の日本経済の「上げ潮」時代に早稲田大学が医学部新設を決断していれば、社会的名声があり、OB政治家が多い早稲田大学は簡単に目的を果たしただろう。
 バスに乗り遅れた後の早稲田大学は迂回戦略で実質的な医学部新設を目指す。早稲田大学は1987年に埼玉県所沢市に人間科学部を新設する。この学部には生命、健康系の医学部周辺の科目も置かれ、筆者には将来の「早稲田大学医学部」のプラットフォームにすることを構想していたように思える。その後早稲田大学が考えたのが、医科大学の名門である日本医科大学との合併、経営統合である。だが、これも早稲田大学の一方的な「想い」にとどまった。
 その後は、早稲田大学理工学部と東京女子医大との研究などでの提携で、医学部進出への布石を打とうとした。このほか、地域の有力病院との提携など、いろいろ足場づくりに涙ぐましい努力をしたが、肝心の医学部新設のメドは立たなかった。
 今回は、産経報道によると、医師不足、地域をキーワードに早稲田大学医学部を実現しようとしている。ただ、これまでの経緯を見ると、かなり実現へのハードルは高い。
 筆者には早稲田大学のロビー活動は拙劣に見える。官僚が圧倒的な力を持つ日本では、早稲田大学といえども、迂回戦略をとらざるを得ない背景は理解できるが、早稲田大学は多くの政治家や首相を輩出している。新聞、テレビにも多くのOBを送っている。こうした社会的関係資本における比較優位を利用して、正面突破を図ったほうが良かったのではないか、と考える。今回の挑戦も打ち上げ花火で終わりそうだ。

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
〔eye1617:110918〕