韓国通信NO762
世界中に不幸が満ち溢れている時に「おめでとう」と素直に言う気になれない。ノーベル賞の知らせに韓江(ハン・ガン)さんは晴れがましい気分になれないと語った。年賀状は今年から1枚85円。「おめでとう」が空ろに響く年賀状も消える運命なのかも知れない。
「死者が生きている者を救う」
過去があるから現在がある。光州事件を題材にした小説「少年が来る」は不慮の死を遂げた少年が描かれている。韓さんは受賞のスピーチで、「過去が現在を助けている。死んだ者たちが生きている者を救っている」と語った。
「自分が生きるために」
名古屋テレビ制作ドキュメント『掌(手)で空は隠せない』を見た。
関東大震災から3年後の1926年。三重県木本町(現熊野市)でトンネル工事に従事していた2名の朝鮮人が殺害された事件、いわゆる「木本事件」である。
発生当時、社会に衝撃を与えたがいつの間にか記憶から消えていった。
地元有志が事実を掘り起こして慰霊碑を建てた。<上/木本トンネル/スチール写真から>
何故殺されたのか、町民たちはどう向き合ったのか、ドキュメンタリーは真摯に追い続けた。2024年の地方の時代映像祭のグランプリ受賞作品。メ~テレドキュメント 「掌で空は隠せない」で検索するとユーチューブで視聴できる。
歴史の真実と向き会う市民の姿から学ぶことは多い。彼らは生者として死者と向き合った。単に告発する目的ではない、国と民族を越えた心が「金の糸」で繋がった。死者が生きている者を救う。
<悼む>
栃木県益子にある陶板美術館「朝露館」の展示作品は数百点にのぼる。作品のテーマはホロコースト、4.3済州島蜂起、チェルノブイリ、千鳥ヶ淵、フクシマ、花岡事件など多岐にわたる。
対象はあくまでも人間、非業の死を遂げた無辜の人たちへの慈しみと悼みである。館内は作家が記憶として残した犠牲者たちの声で溢れる。数十年にわたり心血を注いだ作品群は、いのちの尊さと社会の不条理を訴え続ける。陶芸家関谷興仁の愛と執念に圧倒される。友人たちに支えられ一般公開が始まってから10年になる。朝露館のホームページは朝露館ホームページをhttp://chorogan.org/ ご覧いただきたい。
「わが町の虐殺事件」
ここで「我孫子事件」を素通りするわけにはいかない。
かつて白樺派の文人たちが住み、柳宗悦の民芸運動の揺籃の地、汚れた手賀沼の再生に取り組む我孫子市。活発な市民活動。市は毎年中学生を広島・長崎に派遣するなど平和教育にも力を注ぐ。
だが、関東大震災時に起きた忌わしい虐殺事件は「我孫子市史」の詳細な説明とは裏腹に、市民も行政も至って関心が薄いのが不思議である。
当然ながらお墓もなければ追悼碑もない。大震災追悼式典に追悼文を拒否した東京都知事とあまり変わらない。「我孫子事件」は不当な差別扱いをされている気がする。
<写真/広島に派遣された中学生の報告集会12/01>
以下のサイトは大震災から100年過ぎた昨年の我孫子市の議会中継である。ドキュメンタリー『掌で空は隠せない』とは比較にならないが参考にしてほしい。
https://smart.discussvision.net/smart/tenant/abiko/WebView/rd/speech.html?council_id=85&schedule_id=3&playlist_id=9&speaker_id=24&target_year=2023
<再生開始約7分後から「我孫子事件」のやり取りが始まる>
震災直後の千葉県野田市(旧福田村)で朝鮮人と間違えられ、9人の日本人が殺害された事件が映画化され注目された。同様の事件が千葉県検見川でも起きたことに驚かされるが、映画『福田村事件』の監督が我孫子市民であることも意外だった。「掌で空は隠せない」のように目を塞いでも事実は明らかになる。
<多勢に無勢>
「嘘は百回繰り返せば真実になる」。
ナチスドイツのゲッペルス(Joseph Goebbels, 1897 – 1945)の「名言」と言われる。虚言を弄してアメリカの次期大統領に就任するトランプ氏、わが国では故安倍元首相とその仲間たちが思い浮かぶ。嘘をついた韓国の尹大統領は弾劾の憂き目に。権力者たちは彼らなりに権力のために嘘を何回も繰り返す努力をしてきた。嘘をつく権力者がいかに多勢でも、彼らに負けない努力をすれば無勢は多勢になる。邪な掌で真実を隠すことはできない。
愛は心を繋ぐ金の糸。被団協の志を継いで、新たな年2025年へ!
初出:「リベラル21」2024.12.31より許可を得て転載
http://lib21.blog96.fc2.com/blog-category-7.html
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
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