昨(2月19日)日の表記集会とデモの様子を個人の感想という形で報告しておきます。
昨日の集会とデモは大変良く人が集まっているという印象でした。場所が杉並区の蚕糸の森公園ということで東高円寺駅に直結しているため、駅を出れば会場ですから周辺の状況を確認する暇もなくただちに集会に参加することになってしまいました。時間的には13時集合、13時30分デモ出発と案内されていたのですが、13時には既に始まっていた印象でした。私が演壇からの声を認識できる場所に着いた時は既に一水会の鈴木さんの発言中でした。「共産党、社民党から右翼まで反原発で集まってすばらしい」、というような趣旨の話で意気上がっている所でしたが、大変共感を呼んでいました。
発言最中も人は続々と詰めかけ、鈴木さんの後13時30分まで5人ないし、6人ぐらいが発言しましたが、参加者総数はどれ位になったのか、参加者そのものであった私には全く分かりません。3000人は来ているでしょうが、それ以上でも(仮に10000人と言われても)少しもおかしくはありません。わずか30分程度の集会中は、みんな立っていたせいか、底冷えがしてきましたが、デモ行進に移ってからは日差しも良く誠に長閑で、沿道の人家や、店からも応援の声が掛かる暖かい雰囲気の中で行われたデモ行進になりました。全体は十四挺団に別けて行進するというのが主催者の発言でしたが、実際はそれ以上に分かれている印象で、これは人数の関係だろうと思います。
都心部と違って、住宅街、商店街を歩くデモというのは気持ちの良いものです。勿論、警察も穏やかで、「デモ行進規制ではあるものの、デモ参加者保護にもかなりエネルギーを使う」という、いわば本来の警察業務らしき体裁で仕事をしていました。デモ行進の中にいる限りでは昨日の制服警官には不快感を感じません。私服警官は清水谷公園デモと同じ仕事をしている印象ですが、しかし、殺気は全くありません。
デモ行進の外側に出て初めて、昨日の警備の規模に気が付きます。私は100列ほどの挺団をいくつか見ましたが、其所には必ず、挺団が切れたところで撮影車両の屋根に高性能カメラを構えた複数の撮影者が居ました。参加者は舐めるように撮影されていたわけです。面割り作業が急いで行われないとしても、データは相当長期間、警察利権商売のために保存活用されるのでしょう。
特別な感想は二つです。集会の最後の発言者は西尾幹二さんで、メッセージの朗読でした。西尾さんと言えば「新しい歴史教科書を作る会」の初代会長を務めたこともあり、右の論客のひとりですが、最近は昭和(象徴)天皇制三代目想定者徳仁皇太子の批判者として活発な言論活動をされている錦旗保守論者です。「(125代を数える)天皇は信仰の対象」であると明言し、戦後親米政治家・官僚の天皇機関説論者とは一線を画しつつ、しかし、「信仰の対象」装置として「人徳や業績は一切関係ない」機関説論を唱えておられます。
鏡とするのは誰なのか、今後の論旨の発展が興味深い方ですが、メッセージでは強く官僚、専門家、政治家、東電、財界の無責任を批判しておられました。勝手な連想ですが、岩田昌征先生の「福島第一原発跡地を怨霊神社・鎮魂寺院に」と言う発想に発展するより他はないのだろうな、と言う感想を抱きました。現実との厳しい対決が続けば続くほど、錦旗保守論から錦旗革命論に水戸天狗党のように、赤報隊のように、「2.26決起青年将校」のようになっていくより他ないのではないか、と思ったのです。
もう一つの感想は、デモ中に感じた若い人の行進中のアジテーションの上手さです。私は、恐らくサウンドカーというものの50メートルほど後ろを歩いたのですが、絶え間なく続く騒音としか思えない音楽と、意図的騒音は本当に苦痛でした。しかし、半分を超えて3分の2ほどの距離を歩いた頃、青梅街道を歩いていた時、説教節という感じのアジテーションが聞こえてきたのです。反原発の説教節演説として淀みなく、韻を適当に踏みながら、論理と事実を充足させた、適度に品のない悪口の連鎖でした。気づいてから10分ほど続いたのでしょうが、若い世代の運動が着実に始まっているのだ、と言うことを感じさせられましたし、人々の心を掴める世代が登場しているのだという感想を抱かされました。
誠に楽しい冬枯れの一日散歩だったわけですが、歳は隠せません。「楽しくて、やがて・・・・・・・」という思いの残る一日でした。「・・・・・・・」は「悲しき」と続けても良いのですが、「やがて悲しき核廃棄物処理」と言うところでしょうか。「寂しき」とすれば、「やがて寂しき地と海を捨て」となるでしょう。自力でこれを打開する自信はもうない、苦さが帰宅してこみ上げてくる一日であったのです。