書評:『鉄のカーテンをこじあけろ』ジョン・ポンフレット著 染田屋茂訳(朝日新聞出版2023)
ちきゅう座の仲間のF氏は大変勤勉な人で、ほぼ毎日、ネット上に飛び交ういろんな情報を丁寧に調べては要約を作成して私宛に送ってきてくれる。そのF氏が旧東ドイツのシュタージ(かつて、戦時中の日本国内にも「隣保制度」という相互扶助の見せかけを装った相互監視制度があったが、それと同様なスパイ監視組織)について関心を持ち、メールしてきた。
私=評者は、以前に、三島憲一の『戦後ドイツ』や『現代ドイツ』(いずれも岩波新書)を読んで、僅かながらその知識は持っていたが、今回、F氏の熱意に動かされ上記の本を図書館から借りだして読んでみた。あらかじめ予期してはいたが、「情報屋=スパイ」の運命は惨めなものである。
この著者は1959年生まれで、ニューヨーク育ちのジャーナリスト。ワシントン・ポスト紙の海外特派員として20年間、アフガニスタン、ボスニア、コンゴ、スリランカ、イラクなどを取材し、東欧総局の首席特派員として1992年から4年間(そのうち3年間はワルシャワで)勤務している。この間の記者としての貴重な経験がこの本の中に集約されている。
前半のレポートは、かなりアメリカ寄りの傾向で書かれている。アフガニスタンのタリバンやアルカイーダ、ウサマ・ビン・ラディンなど、あるいはイラクのフセインなどは「悪玉」のテロリストとして描かれ、中東問題の真因がどこにあるかなどは全く無視されている。なんだか「世界の警察」を自任するアメリカの自己宣伝本のようで、少々ウンザリしていた。
しかし、NATO問題が絡み、政変後のポーランドのアメリカへの急接近、またキューバのグアンタナモ張りの捕虜収容所(秘密の拷問場所)のポーランド国内設置(実はルーマニアにもある)、そして「情報員」の旧歴調査(旧社会主義政権との関わりだけが徹底して洗わる)と、その後のパージ、などなどの後半部の叙述は、なかなか興味深かった。
なぜ実名での告白(ドキュメント)が可能となったのか
まず驚かされたのは、「秘密厳守」で口が堅いはずの「情報機関員」たち、ポーランドの情報員に限らず、CIAの情報員までもが、実名で自分たちの実体験を語っていることである。もちろん、中にはまだ現役で危険な立場にあるため、匿名の人たちもいるが…。
読み進みながら、どうしてこういうことが可能なのか、ひょっとしてこれはフィクションなのか、という疑いがなかなか消えなかった。この疑問が氷解したのは、この本の後半部分に入ってからだった。
一言で言えば、体制の「大変動」(ソ連・東欧社会主義の崩壊)、それに伴う国内政権の大幅な交代などによって、彼ら「情報機関員」たちの地位・立場も、大きく変化してきたからだ。スパイ活動という仕事は、特に微妙であやふやな立場に立つ特殊任務であり、時に陰謀の片棒を担がされるがゆえに、政権の秘密を握っている。その身分の保障はその時の政権によって大きく変動するといと言わざるを得ない(抹殺される危険性さえありうる)。
政変後のポーランドの情報員たちに限って言えば、今まで、その実績に見合って支給されていた年金が、政権交代とともにその貢献度評価が天地ほどに逆転させられ、従来の年金1000ユーロが250ユーロにまで下げられたこと。それ故、老後をガードマンや運転手として働かないと生活できなくなっていること。しかも、既に老齢化した彼らでは、それに対する抵抗運動も組織しえず、せめて名前を公表して体験談を語ることで抵抗する以外に手立てがないのである。ある情報員の「ゴミくずのように捨てられる」とのつぶやきがすべてを物語っている。
それでも、彼ら情報機関員たちは、旧社会主義時代も含めて、自分たちがポーランド国家のために役立ったというプライドを持てるからまだましなのかもしれない。哀れなのは、情報提供屋(エージェント)達である。F氏が問題視する旧東ドイツのシュタージと同じだ。「卑劣な奴ら」として周囲からは白眼視され、なおかつ現体制からも疎んじられる。名前を明かしてほしくないはずであろうが、ワレサ以後の体制は(特に「法と正義」を名乗る極右政党のヤロスワフ・カチンスキが首相になって以来)、実名を明かして強硬なレッド・パージ路線をとっている。
笑えない話だが、ついにはワレサまでもが、反体制運動時代に権力に密通していたとの嫌疑から裁判にかけられるという事態まで出来している。
「ワレサの過去も「浄化」の対象になっている。2000年の前歴裁判は、当時存在した証拠を基に、ワレサと旧体制期の内務省公安局(SB)との関係を「白」と判定した。しかし2016年2月に国民記憶院は、ワレサが1970年から76年にかけて SBの情報提供者であったことを疑わせる証拠をキシチャク元首相の残した文書類から見つけたと発表し、翌年には筆跡鑑定を基にワレサが SBの協力者であったと結論付けた。ワレサは反論しており論争は現在も続いている。」(解説・吉留公太)(p.333-4)
NATO加盟までのいきさつ
いろいろ興味深い話題も提供されているのであるが、全てに触れることはできないので、ここではほんの一、二の事柄についてだけコメントさせていただく。
私=評者の第一の関心ば、「なぜ、社会主義国だったポーランド(情報機関)が東欧社会主義の崩壊とともに、アメリカCIAの一員としてスパイ活動に積極的に協力しつつ、NATOに参加するに至ったのか」という点であった。
このことは、それが現在のウクライナ問題の発生要因にも絡んでいるからだ。
ソ連・東欧社会主義体制の崩壊―東欧諸国の自由主義国家への転向、それら諸国を取り込んだ形でのロシア包囲(=NATO拡大)が、ロシアの危機意識を生んだ大きな要因の一つだろうと考えられている。つまり、ロシアの危機感は、NATOの軍事基地がロシア領土に隣接する形で設置されたことで醸成されているのではないかと、例えば、塩川伸明・東大名誉教授などが指摘している。今までソ連の同盟国だった国々が西側陣営に転向し、NATOに加盟するようになるということは当然こういう事態が起きうることでもあった。
さらに次の点の脅威にも注視する必要があるだろう。
「ポーランド・チーム(情報機関)はソ連に留まっている国々に放置された核兵器や他の大量破壊兵器の捜索を手伝うと(CIAに)約束した。ポーランドの東にあるウクライナが特に問題だった。冷戦の最中、ソ連は1500発以上の核兵器をそこに配置していたからだ。」(p.116)
つまり、ロシアの「核戦略」配置図のほぼすべてが西側に筒抜けになりかねないのだ。
本題から少々脱線するが、ウクライナ問題に関して下斗米伸夫(法政大学名誉教授)が『ダイヤモンド』編集部のインタビューで次のように述べていることを紹介しておきたい。
「この問題は、表向きはEUに向かおうとするウクライナと、それを止めたいロシアの対立だが、大きな構図で見れば、米中対立のなか、米国とロシアによる、グローバルな核管理や欧州安全保障を含めた国際秩序の作り直しが始まったと思っている。
冷戦末期の90年2月、当時のベーカー米国務長官とゴルバチョフ大統領の間で、ドイツ統一をソ連が許容する代わりにNATOが東方に「1インチ」も拡大することはしないという合意がされた。
しかし合意を文章化する前にソ連が崩壊した。94年のブダペスト合意では、旧ソ連の核兵器の後始末ということでウクライナの非核化やそのための西側の財政支援と領土保全で米ロは合意したが、その時もNATOのウクライナへの東方拡大の話は出ていなかった。
だがクリントン大統領は96年秋再選を狙うなかで、米国内の1000万人いるポーランド系の人たちを取り込もうとして、ジョージ・ケナンなど外交官やロシア問題専門家の意見を無視してNATO拡大を推進した。
97年にNATOがポーランドやハンガリーの加盟を決めて以降、他の旧東欧諸国やバルト3国などが相次いでNATOに加盟することになった。プーチンが本気でNATO拡大を阻止しようとしたのは、2008年に旧ソ連のジョージア、ウクライナという正教国まで独仏の反対も無視して拡大させようとしたからだ。
バイデン大統領はNATO拡大でウクライナの問題についてもロシアとの対立を長引かせるのは「中ロ同盟」という悪夢につながり、対中シフトする米国の利益にならないとも考えたのだと思う。
ただ米国内や民主党内、バイデン政権の中でも意見が分かれている。NATO拡大は「やり過ぎた」という声もあり、ウクライナ問題への介入についても、元ロシア大使でCIAのバーンズ長官らは回想録で書いているように「内心しまった」と慎重派だ。
一方で東欧ディアスポラ出身のブリンケン国務長官、ヌーランド次官らネオコン系は東方拡大の広告塔のような存在だし、バイデン大統領自身もアフガニスタン撤退で批判を受けたから弱腰の姿勢は見せられないということがある。」
上記の下斗米発言と重複することになるが、ブッシュ(父)大統領の時代は、NATO拡大問題は全く問題にならなかったようだ。
「(ゴルバチョフの時代に)米国の政府高官はソ連側に対して、米国はポーランドであれその周辺国であれ、加盟国を増やしてNATOを拡大するつもりはないと公言した。1990年2月9日には、ジェームズ・ベイカー国務長官がゴルバチョフに、「NATOの管轄は1インチたりとも東へ拡大しない」と伝えた。ドイツ、フランス、英国の指導者も同様に次々とNATO拡大を否定し、ソ連の懸念する安全保障問題は今後、国境沿いに生まれつつある新世界の中で取り組まれることになるから安心せよという口裏を合わせたような保障の大合唱が沸き起こった。」(pp.210-11)
それがクリントンの時代に逆転したことは、下斗米の発言にもあるとおりである。
「米国では1992年11月にビル・クリントンが新大統領に当選し(就任は93年1月)、NATOの拡大を米国政治の主題に組み入れた。影響力の大きい外交問題評議会の機関誌である『フォーリン・アフェアーズ』の1993年9月/10月号には、NATOの拡大を初めて正面から主張する記事が掲載された。これはランド研究所の3人のアナリストが書いた記事で、NATOが境界線を東に移さなければ、中欧に安全保障の真空地帯が生じて民主化や経済改革がとん挫する危険があると警告していた。…これには反論もあって、ニューヨーク・タイムズ紙のコラムニスト、トーマス・フリードマンやクリントンの顧問のストローブ・タルボット、(また)元駐ソ大使のジャック・マトロックは、NATOの拡大は東欧からのソ連の撤退に付け込まないという米国の暗黙の約束に反するものだと主張した。」(p.214)
目を再びポーランドの方に向けて、「それではポーランドの政権(情報機関)は、なぜ、それほどまでにNATO加盟を渇望したのであろうか」という点を考えてみたい。
この本の解説を書いている吉留公太が非常にうまく整理している。彼の見るところによれば、問題のポイントは「ドイツとの間の国境問題」にあるという。
「ポーランドの情報機関は何を動機にして対米協力を始めたのであろうか。①ポーランドの国境を西ドイツに確認させるため。②情報機関の職務を維持するという組織防衛。③非合法時代の「連帯」がCIAに支援を受けたことによるしがらみ。…一つ目の動機は、西ドイツとソ連に水面下でドイツ統一を取り引きさせないことにあった。西ドイツが対ソ経済支援と引き換えに東西ドイツ統一を実現すれば、西ドイツにポーランド国境を確認させる国際的な機会を失うからであった。統一したドイツはいずれ国境問題を蒸し返すであろうし、そうなればポーランドは安全をソ連に依存せざるを得なくなるとおそれたのである。…つまり「統一作戦」の動機は国境問題にあった。NATOやECへの加盟、アメリカへの接近を語ることは、独ソ接近を妨害する手段として構想されたにすぎない。これらの手段を通じて達成すべき目標は西ドイツにポーランド国境を認めさせることである。」(pp.334-5)
ここでは「ポーランドの情報機関」についていわれているのだが、ポーランド政府と言い換えても差し支えないだろうと思う。そして統一されたドイツがEU内で占める立場の大きさは、その圧倒的な経済力とともに益々脅威になりつつあるように思える。しかも、現にドイツ国内ではAfDのような民族派右翼政党が台頭し、議席を伸ばしているのである。
以前にJ.ハーバーマスの『デモクラシーか資本主義か』についての書評を書いて掲載してもらったことがある。ドイツがEU内で占める立場を再確認するために、その一部分を摘録しておきたい。
≫ハーバーマスの「ヨーロッパ主義」とは、「ヨーロッパ統合をスーパー国家や連邦国家として考え」ると、新たな巨大国家群ができるため、そうならないように「超国家的な統合のための憲法」が必要であり、その規律の下で個々人は「国民国家の構成員であるとともに、ヨーロッパ市民として欧州連合の直接的な一員でもある」ことを基本としなければならない。そしてその目的達成のためには、「EUと共通通貨の利益に最も浴しているドイツ」が思い切った負担(資金移動や債務共同負担)をし、フランスと協力してEU統合を実現させるべきである、というものである。
これが彼の「左翼ヨーロッパ主義」に他ならない。私=評者には、やはりこれは「大ヨーロッパ主義」構想にしか思えない。それは、その内部に「特殊的な主権的意志」(特殊利害関係)を残しているからだ。実際にハーバーマス自身が、「段階的統合」という形で、「EUは中核国家群と、それ以外の国との間に統合の度合いにとりあえず違いを設ける」「異なった速度のヨーロッパ」統合論を妥協的に提起しているではないか。こういう状況下で統合を進めるには、ドイツとフランスという二大大国による強引なヘゲモニー行使以外にはないのではないだろうか。≪
この独、仏二大大国への反発も加味して、イタリアやスペインなどで、民族主義的なポピュリズムが伸長してきているのではないだろうか。実際にハーバーマス自身も、この本の中で
≫「EU内でのドイツの一人勝ち」に対する「ルサンチマンが出る」のではないか≪とも述べている。先の書評の中でも触れたのだが、ハーバーマスの提起する解決策は、 私=評者には「実現不可能な希望的観測」としか思えない。問題は再び「国民国家の止揚」はいかにして可能か、という原点に投げ返されていると思う。
上記の問題に絡ませて、この本のメインテーマである「ポーランド情報機関」とCIAに関する話題をいくつか拾い上げながら上のNATO問題、ウクライナ問題を補足したい。
ポーランド情報機関とCIAのしがらみ
この本を読んで驚かされたのだが、ポーランドの情報機関は非常に優秀だという。それでも以下のような、なんとも「スパイ機関らしからぬ」軽率な振る舞いをしているのはなぜだろうか?
「ポーランド人は無邪気なほどCIAを信用しており、ポーランド駐在の局員をまるで全員が同じ機関で働いているように遇した。「付き添いなしで庁舎の中を歩き回れた」と、あるCIAの上級局員は語っている。」(p.201)
この一つの答えはモスクワを出し抜くことにあったようだ。
「情報関係者も含めて多くのポーランド人が、「連帯」がアメリカ労働総同盟・産業別組合会議AFL-CIO)とCIAの支援を受けていることにひそかに拍手喝さいを送っていた。だから、デルラトカ(ポーランド情報機関員)の「狂気の沙汰」である発想―モスクワを御するためのNATO加盟とポーランド外交政策の完全な逆転という脅しの活用―は、ある意味筋が通っていたのだ。」(p.83)
「しがらみ」の今一つの理由は、反体制派へのテコ入れ(資金援助)である。
だが、「連帯」などの反体制運動にアメリカの資金援助などのテコ入れがありえたとして、あるいは個別的に ポーランド情報機関員が抱き込まれたことがあったにしても、やはり「 ポーランド情報機関」組織自体がCIAと密接なかかわりを持つようになったのは、ソ連・東欧社会主義体制崩壊後と考えるのが妥当であろう。となると、CIAとの協力関係構築の大きな理由は、先に吉留が指摘した「国境問題」にあると考える以外にない。ヨーロッパの歴史をたどってみれば、ポーランドが如何にその中で玩弄されてきたかがわかる(ショパンの作曲した「革命」でも民族の独立が叫ばれている)。
序だが、「連帯」、特にその中心人物だったワレサが「地下潜伏中」にどういう(豊かな?)生活を送っていたかについての「疑い」は、かつて岩田昌征(千葉大学名誉教授)が小論にしてちきゅう座に載せているので、興味のあるかたはお読みいただきたい。
さらに、冒頭で触れたように、ポーランドにはキューバのグアンタナモの捕虜収容所と同じ、米国CIAの非人道的な拷問監獄がある(あるいは、あった?)。
ワレサ大統領の後釜で大統領に就任したクファシニエフスキ(首相はチモシエヴィチ)の時代に、アメリカ政府(CIA)からの要請を受け入れて、30万ドルでこの拷問監獄をひそかにポーランドに設置することを容認している。アウシュヴィッツの記憶がまだ消えていないはずなのにである。
今日のヨーロッパ情勢を語る上で、右翼ポピュリズムの台頭は一大問題化していると思える。ウクライナ問題を語るときも、「善か悪か」(どちらが悪いか)の二者択一では何一つ解決しえない。ナショナリズムが声高に唱えられる背景には様々な社会的要因がある。私=評者の知り合いのドイツ人の中にも、「コロナ騒ぎ」と「ウクライナでの戦争」が起きたために、副業(アルバイト)がなくなり、今まで住んでいた自分所有の家を売る羽目になった人もいる。
「どうしてドイツ政府は、自分たちのように税金を払いながら貧乏している者を助けずに、外国人支援にばかりカネをつぎ込むのか」という不満を時々漏らす。こういう社会の底辺の実生活に絡む事柄が、AfDが票を伸ばす一つの要因になっていることは間違いない。
ポーランドでは「2006年7月の選挙から一年後、ヤロスワフ・カチンスキという名のタカ派の政治家(右派政党「法と正義」)が新首相に就任し、国防副大臣にアントニ・マチェレヴィチを任命した。1990年代前半に内務大臣になって、情報機関から元共産主義者を追放しようと画策した人物である。…マチェレヴィチは、自分がやりたいのは元共産主義者、ロシアのスパイ、腐敗を一掃することだと公言した。」(pp.285-6)
カチンスキの双子の兄は、当時の大統領であったが、飛行機事故で亡くなった。弟は、今でもポーランド国内では隠然とした勢力を持ち続けていると言われている。
民族主義的ポピュリズムの危険性は、単にヨーロッパだけの問題ではない、まさにわれわれにとっての差し迫った大問題なのだ。
2023年7月30日記
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
〔culture1206:230802〕