政治・社会の動きと指向線(四)(五)

著者: 三上 治 みかみおさむ : 社会運動家・評論家
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(四)

何故に民意は政権交代後の政治の中で生きなかったのか。あれよあれよという間に民主党は変質して行ったのか、という疑問が投げかけられるかもしれない。これは現在の日本の政治や社会を展望する上で重要なことであり、問題に気づくことである。政党や政治家の問題が一つある。国民、あるいは民衆と政治権力の関係の関係もある。これについてはもう少し後の方で触れることにして、政権交代後の政治に言及しよう。

この政権交代後の政治に取って大きな位置を占めるものに東日本大震災や原発震災がある。これも政権交代後の民主党の政治能力を試すリトマス試験紙のような役割をした。大震災の復興でも、原発震災でも彼らは何の役割も果たせず、既得権益を守ろうとする官僚や電力業界の代弁者の役割を演じているだけである。原発再稼働と原発保持はその典型でありわかりやすい。原発は壊れ行く政治や社会の象徴であり、世界史が促す転換の具体的あらわれである。この転換に対して既得権益の側に立つ面々の保持との闘いがあるが、民主党政権はその代弁者になっているのだ。消費増税もその一つだ。国家が経済(市場)に介入にして有効需要を作り出すことは過剰生産傾向に対する対策として取られてきた動きである。これには管理通貨体制への移行があった。国家の財政政策や金融政策に肥大化は通貨の価値低下《インフレ》を生みだすが、金とのリンクはこれを防ぐとされた。通貨が金とのリンクを持たない管理通貨制度下では通貨の膨化による財政赤字を生み出す傾向を持つが、この制度下での国家は経済過程との均衡を持たない財政政策や金融政策を展開し、大なり小なりの財政赤字を抱えた。国家財政の赤字化を抑えるものがあるとすれば、高度成長による国家歳入の拡大であった。これは幻想であったが、高度成長の持続が国家財政の赤字を抑制することで経済発展と財政拡大は均衡さされるとされた。アメリカを先頭にかつての経済先進地域では高度成長社会が終り、停滞の中での景気保持のための財政・金融政策は国家赤字を累積させた。アメリカが財政赤字を続けられたのはドルが基軸通貨であったためである。日本は高度成長経済が続くという信用が財政赤字の累積を可能にしてきた。高度成長が現実性がない以上財政赤字の恐怖は出てくる。これに対して消費増税で臨んできたのが官僚である。赤字化した財政構造の検討も改善策もないままに、財源だけは確保するという官僚の対応策だ。景気保持という名の財政出動の繰り返しで財政赤字も続く。消費増税は劇薬のようなものだがそれに手を出したのだ。

(五)

世界史的の転換の兆候はあちらこちらに見える。こうした中で既得権益の墨守に走る動きも顕著だ。それは保守化から反動化へという動きになってきており、政治権力の強権化として現象化するように思える。民主党の自民党化、自民党のより保守化現象はそれを示しているといえるだろう。

民主党政権は日米同盟の深化論を根底にして戦後体制の護持(既得権益の護持)に突き進む。沖縄基地移設から全土のオスプレイ配備の容認、TPP参加、原発再稼働、消費増税などの動きはそれを示す政策である。自民党はその保守性を先鋭化し反動化が進展している。僕らは隠れた形で治安法案の成立が目論まれていることも知っている。憲法改定がその先に構想されているともいえる。保守化や反動化はこれまで支配的であった制度が壊れて行くが故に強権によって保守していくことである。今や民主党は「自民党化した野田派」に支配される党になっているが、政治的構想(ビジョン)もなき故に官僚主導の政治がより露骨になっているのだ。これは時代的な閉塞感を強める。国民の日常的な生活は展望なく閉塞感がより浸透する。かつて高度成長の幻想が支配していた時代には中間層のニヒリズムが不安の象徴であった。明るい強制された自由の下での不安感である。新自由主義は軽い欝を広めたが、今の事態は世界的な経済的な地位低下からくる貧困感も加わっている。格差と失業いろいろことでこれは語れるだろうが、その危機感は様々の政治的意志表示の背後にある日常意識である。これは戦後体制を転換する欲求の表現であり希望といえる。例えば、沖縄の地域住民の自立(自己決定権の樹立の要求)の動きは持続しており、衰えることはない。脱原発の運動もそうである。消費増税の動きに対する動きはこれからはじまるというべきである。沖縄の地域住民の運動と脱原発の運動が国民の共同意志の表現(権力への異議申し立て)の集中点であるが、その背後に深化する日常の不安と危機感がある。かつて政権交代時に現れた民意はこうした形で継続している。これは政党の解体と再編、政党政治の変革に連動しても行くと想像できる。国民の意思表示や政党の再編等の動きは孤立したバラバラの動きとして現象しているが、やがてそれらが同一の動きであることが明瞭になって行くと思える。この間の毎週金曜日に展開される首相官邸前行動(政治的意志表示)は沖縄の地域住民の運動に続くものであり、時代の指向線である。体制や権力に抗い時代の転換をめざす運動や表現は希望であり、僕らの予想超えたものとして出現するのではないか。

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
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