政治家、とりわけ総理大臣のようなトップにある人間は孤独であり、誰にも相談することなく決断の必要があると言われる。政治における決断を重視したのは政治学者のK・シュミットであるが、政治的ドラマはこの決断をめぐって現れる。鳩山首相と小沢民主党幹事長の辞任のテレビを見ていて去来したのは政治的決断についてだった。新聞で読んだ鳩山首相の辞任の弁(演説文)はなかのものだっただけに、余計にそのことが気になる。でも、彼が決断にいたる自分の心的な動きを対象化して取り出せるのには時間が必要なのだと思う。しかも、現実の政治は時を置かずに進行するのである。
鳩山の辞任は間違いなく普天間基地移設問題での旧政権下の日米問題合意(辺野古新基地建設)に回帰したことへの批判の結果である。これは鳩山に了解ずみのことであったのか、予想外のことだったのか。もし、予想外のことだったのだとすれば国民の意識の読み違えである。僕らはこのことを民主党政権に言っておかなければならない。鳩山が辞めても民主党政権は続くのだからである。鳩山の普天間基地移設先の自民党案への回帰には今二通りの批判がある。一つは5月28日の決断までの回り道を政治的迷走として批判するものである。これには鳩山の政治的資質から、日米同盟を傷つけ、アメリカの信頼を損なったというものまで幅広くある。だが、この批判は日米共同声明の是非については何も言わない。だから、これが沖縄県民の同意もなく頭越しに出来たものであり、アメリカの意向に従ったものである点は何も触れない。例えば、6月2日付け朝日新聞の朝刊の舟橋洋一主筆の論説は日米同盟にフラフラした鳩山首相資質と日本と世界の安全保障問題に真摯に取り組んでこなかった日本国民(?) をだぶらせて断罪しているが、普天間基地移設の日米共同声明の是非には触れない。もう一つの批判は鳩山が見直しを提起し、彼が普天間基地の県外や海外移設に努力したことは評価しながら、最後で旧政権案に回帰した結果を批判している。これは鳩山のこの間の動きを迷走として批判しているわけではない。
最後の決断が日米の共同声明であったことを批判している。これは鳩山が辞任したことで終わるのではなく、民主党政権がこの共同声明にそって普天間基地移設を進める限り続くものである。これには戦後の日米関係の改変に着手せよという国民的基盤があるのだし、民主党が無意識にせよ、その声にアンテナを延し得たところだ。政治過程でそれを生かしきれなかったことに失望と批判が噴出しているのだ。そのことを民主党の新内閣は読み違えてはならない。
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