このところどうも菅首相や民主党首脳の面々の元気がないらしい。新聞の伝えるところではということだが、参院選挙という政治的祭りの後始末に追われているようだ。民主党内部では9月の代表選挙をめぐって内部対立が激化し、その水圧が段々と高まって行く気配である。小沢一郎派だ、鳩山由紀夫派だ、あるいは○○グループだと言われたところで何が原因で対立しているのかわからない。この間の菅首相や民主党の首脳の面々の取った行動が小沢一郎や鳩山由紀夫、あるいはその周辺から反発を招いたことはある程度の推察はできるが、根本的な対立の要因が伝わってこない。
政治集団に限らず、どのような集団でも派閥と称するグループは出来るし、その間の対立や葛藤は存在する。それが他からはコップの中の嵐、内ゲバと称されようと簡単にやめられないし、また止むものではない。集団やグループの構成員にとっては内部対立や構想こそが活力になるところがあるからだ。近親憎悪という言葉があるが、人間が感情的な存在であり、人間関係の中でそれが避けられない限り綺麗事では解決はしない。人は日常の中でこの感情に悩まされながら、それぞれの流儀において解決している。安易にこれに身を任せれば身の破滅を招きかねないことを知っているからだ。政治集団でも同じであり、これに身を任せば集団そのものを危機(解体)におとしめ、滅ぼしかねないことも分かっている。対立は不可避である。だが存在を危うくする危機が待ち構えている。選挙での敗北を超えた危機が民主党にはあると思う。
政治集団やグループの内部対立や抗争がどのように解決されるのかは難しいことだが、それを生産的で意味のあるものにするのは、政治的構想(ビジョンや政策)の問題にすることである。その内部対立はこの競い合いであるところに収斂させ、解決の道を見だすほかない。これは政治という場所における人間の所業の自覚において可能になることだ。そしてもう一つはこの内部対立を広場において、つまりは公開的にやることである。現在の民主党や自民党の内部対立は何をめぐって生じているのか明瞭ではない。どのような政治構想をめぐってか伝わってこない。これこそが政党の危機である。対立や抗争の存在が政党の危機ではない。何をめぐる対立かはっきりせず、外部の人にも明瞭化しえないことが危機である。外政、内政、権力運用などの政治構想でどのような対立があるのかを明慮にすべきだ。それは後始末を生産的にやることでもある。(7月22日 記)