もう大分前のことだが、吉本隆明さん宅に御伺していて選挙予想の話が出たことがある。新聞社の政治部長の一番大事な仕事は選挙予測がどれだけ正確であるかで、それが仕事の大半でもあるということだった。吉本さんがマスメディアの関係者の話として披歴したように思う。今はマスメディアの政治操作や政治支配の意図が露骨すぎるのではないかという印象が強いのであるが、選挙予測はそれだけ難しいのであろう。さて、7月11日参院選挙の結果はどうなるのか。僕の予測は菅政権に対する厳しい結果になると見ている。その後に政界再編という名の政治的流動が待ち受けているのだと思える。
現在の政治動向を概括すれば国民の政治意識や行動における一定の成熟と政党や政治家の劣化とでもいうべきアンバランスな関係の進展といえる。要するに政党や政治家が国民の政治的意思や意向を取り込めていないということだ。昨年はこのことが長く政権の座にあった自民党への批判と政権交代の要求となった。今回は政権交代した民主党への信任の選挙というおもむきがあるが、信任以前に菅政権への失望感が広がったという印象がある。これを少し詰めて考えると民主党も含めた政党や政治家への失望であるように思う。政党や政治家の生命は見識と構想力であり、政治的ビジョンということになる。このことを十二分に自覚しそれに執着し、押し進めて見るという政党や政治家がいないということになる。政権交代にあたって民主党の掲げた政治構想は外政・内政・権力運用の領域に渡って悪くはなかった。曖昧なところがあるのは致し方がないとしてその展開に期待がもたれた。ところがわずか9カ月も経ないで首相の交代があったとはいえ、その政治構想を変更してしまった。これじゃ構想と言ってきたものは絵に描いた餅で血の通ったものでないことを証明するようなものだった。要するに自立した政党でも政治家でもないわけで、官僚やメディアの動きに右往左往している存在に思える。現在では政党や政治家がその見識や政治的構想(政治的ビジョン)で自立することと、官僚やメディアの支配から自立することは同じことである。選挙でのマスメディアの影響力を考えるとこれは大変なことに違いないが、それが出来なければ政党や政治家は魅力と力を持たないし、存在価値などないのだ。政党や政治家は官僚とマスメディアから自立せねばならないが、それは政治的構想(ビジョン)に於いてだ。国民が何に戸惑い、混迷感をいだいているかと日本の歴史にアンテナを延してそれで自立するしかない。政党も政治家もそれが唯一の延命策であることを知るべきだ。