敵情視察

著者: 藤澤豊 ふじさわゆたか : ビジネス傭兵
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「上司の首を切りたいんで(改版1)」

https://chikyuza.net/archives/97690の続きです。

池袋は二度目だった。十年以上前に同級生ときたことがあるだけで、どこになにがあるのかも分からない。中野がざっと書いてくれた地図を見ながらいけばと西口にでた。毎日見慣れた風景なのだろう、みんなわき目もふらずにまっすぐ事務所へ、歩くのが早い。どこにでもある風景なのに街が違う。遠目には風俗かその延長にしか見えない店が立て込んでいる。どうみてもオフィス街にはみえない。まるで歌舞伎町か円山町の路地のような臭いがする。どちらも駅を降りてちょっと歩いていくところで、池袋のように駅を一歩でたところにはない。こんなところで仕事? それが池袋の第一印象だった。

地図で方向を確認して歩きだしたら、すぐ右に大きな交番があった。左前にはロマンス通りの看板が見える。間違っているはずはないのに、まさかこんなところ?と、不安もあって交番に入った。地図を開いて指を指しながらお巡りさんに聞いた。

「ここに行きたんですけど、そこのロマンス通りを抜ければいいんですよね」

お巡りさんが、裏路地からできた人でも見るような顔になって、人を見下した感じで、

「おにーさん、そんなところに何しにいくの」

おにーさんって、そんなところって、朝っぱらからその言い方はないだろうって思いながら、相手は交番づめの中年の巡査、つとめて穏やかに言った。

「何しにって、会社の面接にいくんですけど」

そんなところにねー、あんたどんな仕事してんの、面倒おこすんじゃないぞって口調で、

「まあ、地図があってるなら、そこのロマンス通りを抜ければ……」

財布かなにかを拾ってしまったか、道に迷ったときぐらいしかお世話になったことはなかったが、場所柄と行き先のせいだろう、これほど関わり合いたくないと思ったことはなかった。面接にいくために、会社への道順の確認しようとしただけなのに、なにかうしろめたくされた。

池袋ということなのか、人間関係を上下でしか見れない寂しい人ということなのか、両方なのかわからない。こんなところで仕事? 面接なんかすっぽかして帰ってしまおうかと思った。相手は中野とその仲間、すっぽかすなんてのは日常茶飯事の人たちだろうし、郷に入っては郷に従えって教えもあるじゃないか。でもあいつらと一緒にされたら、冗談じゃないという気持ちのほうが強かった。

地図のとおりに歩いていった。ロマンス通りを抜けて右にちょっと行って左に、その先に、こんなところを抜けた先に日本支社? 道すがら違う世界に迷いこんだ気がした。場末の飲食店とどうにもいかがわしい店がならんでいた。夕方からならわかるが、朝っぱらからそんなところで、お巡りの怪訝な態度もさもありなんとしか思えない。

小さな雑居ビルがいくつかあった。どれが中野の地図にあるビルなのか、ビルの玄関に張ってあるプレートに書かれたビル名を見ていった。どのプレートも痛んで、なかにはかすれてよく見えないものまであった。小さな年代もののビルだった。ドアの建て付けが痛んでいるのだろう、よいしょっという感じで引っ張らないと開かない。小さなエレベータの横に貼ってあるテナントに社名があった。画像処理では世界を制覇した感のあるアメリカのハイテク企業が、なぜ、こんなところに事務所を構えているのかと信じられなかった。

アポイントの十時には早すぎるのはわかっていた。時計を見たらまだ九時前。玄関で立っているわけにもいかない。開いている喫茶店が何軒かあったのを思い出して、来た道を引き返した。時間はあるし、モーニングサービスでも食べてくるかと戻っていった。こっちにするかあっちにするかとちょっと迷ったが、時の流れを感じさせる純喫茶にした。もう九時すぎ、客という客もいないだろうと思いながらドアを開けて、一瞬入るのをためらった。若い、まだ学生のようなカップルがお互い距離をあけて、モーニングサービスを食べていた。驚いたことに会社の制服を着ている女性もいた。一度出社して喫茶店で彼氏と朝食ということなのだろう。みんな昨晩の余韻が残った顔をしていた。CNXの事務所からいくらも離れていない。経営の立場では家賃が気になる。売れようが売れまいがかかってくるベースコストはできるだけ抑えたい。それにしてもここはない。安いところと思うなら、大塚でも巣鴨でもあるじゃないか。なんで池袋の風俗街に事務所を構えるか。

いつ掃除したのかという埃っぽいエレベータを降りて、会社のドアをあけたら、薄汚れたスチールキャビネットの上に内線用の電話機がポンとのっていた。総務に用件を伝えて待っていた。

事務の女性が出てくるものだとばかり思っていたが、物腰も話し方もそこらの不動産やのおっさんのようなのが出てきた。日本支社の社長だった。社長について五、六人もはいればいっぱいの狭い会議室に入ったら、米国本社のマーケティング・ディレクターが待っていた。ディレクターと世間話から業界の話へと丁々発止が続いた。手のうちはぼかして、相手のちょっとした言葉や言い回しから何を見ようとしているのか、なぜそんなところを見ようとしているか、腹の探りあいだった。英語が不自由で日本支社の社長は蚊帳のそとに置いてけぼりになっていた。

お互い自社の強みも弱みも相手の製品の優位性から欠点まで分かっている。CNXはいくらがんばったところで画像処理だけしかもっていない。それもアプリケーションを開発するには半年以上かかる手のかかる開発プラットフォームだった。年間百台かそこらの装置ではよほど価格の張るものでもなければ、そんな工数はかけられない。年間数百台から千台を超えるものにしか使えない。

こっちは総合制御装置メーカの一事業部でしかない画像処理。強みといえば、設定だけですぐに使えることだけだった。アプリケーションの開発がいらないから年間五台でも十台でもかまわない。ただ画像処理同士で比べれば、機能も性能も勝ち目はない。総合制御装置メーカとしての豊富な、それはほとんどないものはないという製品群と組み合わせに勝ちを見出すしかない。画像処理のプラットフォームに他の製品も組み込んだパッケージとして顧客に提供できるか、それを装置メーカにどう評価してもらえるかだった。

専業メーカとしての強みと弱み、総合メーカとしての強みと弱み。お互いに弱みが足を引っ張ることのないところで、強みを頼みに市場開拓を続けてきたが、画像処理ということでは大人と子供、どうにも太刀打ちできない。

日本市場しか、それも画像処理しか知らない支社長は、日本語であったとしても話しにはついてこれなかったろう。ディレクターは画像処理から一歩もでずに、自分の土俵からこっちを見下していた。しゃくにさわるが、画像処理ということでは事実で認めざるをえない。

ただ、それは今日までの事実であって、数年後はわからない。CPUやメモリの進化がソフトウェア(アルゴリズム)の優位性を切り崩してきているのが誰の目にもはっきりしていた。少々手際の悪いスパゲッティのようなソフトウェアでも強力になったハードウェアで力任せに実行できる。性能差が加速的に縮小していた。圧倒的な技術が製品を売ってきただけで、マーケティングと呼べる組織もなければ営業もバラバラで戦略など考えようがない。

技術的な優位性が消えてしまう前に、なんとしてでもマーケティングとセールス部隊を構築しなければならないことぐらいわかっている。話の外にいた支社長がどこまでわかっているのはわからないが、ビーンボールに近い直球に対するディレクターの反応にはあせりに近いものが見えた。可能性としてこういうことだろうと想像していたとおりの展開に思わず笑みがこぼれそうになった。これならどこかで勝ちを拾える。胡散臭い街に嫌な相手だったが来た甲斐があった。

中野に頼まれて、これ幸いに敵情視察にきただけで、雇ってもらえないかという気はない。雇われても雇われなくても、どっちでもいい。困っているのは相手で、こっちはなにも困っちゃいない。あまりに技術に頼りきってきたせいで、失われつつある優位性を補うマーケティングや営業組織なんか作れっこない。そもそもそんな組織を考え、生み出す文化がない。

技術は極端に言えば買ってくればどうにでもなるが、この文化は自分たちでつくるしかない。それは組織とその組織を構成する人たちの思考や志向にもとづくもので、一朝一夕どころか、十年二十年かけてもつくれない可能性がある。自社のありようを規定しているのは、社会そのもので、それを一社の都合で変えられる? ありえない。CNXには創業以来順風だった半導体の進化がはっきり逆風になってきていた。

加速的に優位性を失うところに重心を置いた組織に身をおくか? よほどのことでもなければ、そんなこと考えることすら馬鹿げている。中野にはすまないが、敵情視察だけはしっかりさせてもらった。

Private homepage “My commonsense” (http://mycommonsense.ninja-web.net/)にアップした拙稿に加筆、編集

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 https://chikyuza.net/
〔opinion9172:191111〕