『ディケンズ短篇集』 チャールズ・ディケンズ作 小池滋、石塚裕子訳(岩波文庫1986)
僕は以前からディケンズの小説はあまり好きではない。読み終わって、それほど愉快な気持ちになったという思いもない。ずいぶん昔に読んだと思われる彼の代表的長編小説『デイヴィット・コパーフィールド』なども残念ながらほとんど記憶に残っていない。有名な『クリスマス・キャロル』は、あまりに稚気で、あくびしか出ない。今回この小説を読む機縁になったのは、宴席が楽しくて、僕が時々参加している(あまり熱心な参加者ではないが)、ある読書会での共通素材として取り上げられたからである。
最近、日常生活に忙殺されていて、ほとんどこのような本を読む時間が取れない中で、3時間ほどの時間を盗んで読書した。文庫本300ページほどに11篇の短編が収められている。結果は、やはりあまり好感は持てなかった。第一、どの短編にもエスプリが欠けている。ひねりが効いていないため、お話が平板にすぎるのだ。しかも作品はお伽噺と、安っぽい説話と怪奇譚から成っているのだが、結末が判りすぎるほどに平凡なため、途中で飽きがくるのである。まあせいぜいこの短編集の中で読めると思われるのは、最後の「ジョージ・シルヴァーマンの釈明」程度である。これも平凡な作品だとは思うが、一応ストーリーがそれなりに整っている。「世故いのは誰か?」という問いの中心軸がぶれていない。
食事も満足に得られない地下倉庫での幼少期の生活とそこでの両親の死、という極貧状態から自努力で這い上がってきた主人公のジョージ・シルヴァーマンが、教師として教え子の若者同士を結婚させるため、仲を取り持ったことから、娘の方の母親(金持ちの准男爵未亡人)の恨みを買い、せっかく手に入れた国教会の聖職禄を棒に振る、というのがその粗筋である。
彼は幼少時の極貧生活の中で、生みの母親から愛情の代わりに、たえず「世故い奴だ」との非難を投げつけられてきた。そして今、俸禄を奪われるにあたって、件の准男爵未亡人に、あらぬ疑い(娘からかなりの謝礼を受け取って仲人をひきうけたに違いないとの)をかけられた上、「世故い奴だ」とさげすみの言葉を投げつけられるのである。
ここで、本当に世故いのはどちらなのか?という問いが頭をもたげてくる。娘をもっと金持ちで、身分の高い相手とくっつけようとたくらむ母親の方か、それとも…?
ディケンズの小説では非常に多いのだが、もちろん結末は友人知人の証言などによって彼への濡れ衣は晴れ、世間の評価もまた改まるという大団円に落ち着く。
さてそこで、僕の問題として、この様な通俗小説家ディケンズが、何故に当時の流行作家(大作家)たる名声をかちうることができたのかという点が残る。これは彼の扱うテーマがいろんな意味で当時の大衆に受けるもの、興味をひくもの(おどろおどろしい奇談や素朴な宗教説話やお伽噺、果ては18世紀後半に初めてイギリスで創設された近代的保険事業=生命保険に絡む事件、の類)であったこと、つまりその庶民性にあったと考えられる。またこの時代のイギリス社会の風俗などとも無関係ではないように思われる。(この時代の風俗についての詳細な検討は、ここでの課題ではないが、例えば次にあげるサッカレーの『いぎりす俗物誌』などが面白い)。
ディケンズの作品群の中で、歴史小説と言われる『二都物語』以外に、正面からその時代の全体像を扱った作品があることを僕は残念ながら知らない。これは明らかに同時代人のサッカレーと違う点である。サッカレーは、その代表作『虚栄の市』において、興隆期のイギリス資本主義社会を生き生きと活写している。また、『いぎりす俗物誌』では、民俗学的とも思える精緻な描写で、さまざまな階層の人々やその考え方、習慣などを写し取っている。
二人の作風の違いは、僕の勝手な想像だが、サッカレーの無類の旅行好き(少年時代にセントヘレナ島へナポレオンを見に出かけたり、青年時代にゲーテを訪問したり、など)に対して、ディケンズは、速記記者、流行作家としてイギリスにとどまったことと関係があるのではないだろうか。
僕の好みは、むしろ18世紀のイギリス文学の方にあるのだが、この19世紀半ばのイギリスにも、かのブロンテ三姉妹(『ジェーン・エア』のシャーロッテ、『嵐が丘』のエミリー、『アグネス・グレー』のアンネ)が出ている。
帝国として世界に君臨した往時のイギリス、その経済学的な分析への興味(これはおのずから『資本論』へ導くものであろうが)もさることながら、その社会内部の精神状況、大衆的な興味などをもじっくり研究してみたいものだと思っている。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
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