『アジア太平洋ジャーナル:ジャパンフォーカス』に3月4日に掲載された、翻訳記事「日中の領土問題と、歴史を踏まえた現在の米日中関係―マーク・セルダンによる矢吹晋インタビュー」(ルミ・サカモト、マット・アレン訳)China-Japan Territorial Conflicts and the US-Japan-China Relations in Historical and Contemporary Perspective の日本語版を紹介します。これは下記の矢吹氏による英語インタビュー記事を読んだセルダン氏の質問に答える形になっています。ここでは質問の答えの部分のみ掲載します。その後の「補足」の部分も含めたPDF版はこちらをご覧ください。
参考リンク: Interview with Professor Yabuki on the Senkaku/Diaoyu Crisis and U.S.-China-Japan Relations フォーブズ「尖閣・釣魚危機と米中日関係について矢吹教授とのインタビュー」(スティーブン・ハーナー)
朝日新聞英字版インタビューINTERVIEW: China-watcher Yabuki says Senkakus are a diplomatic mistake by Japan 「インタビュー:中国ウォッチャー矢吹氏―尖閣問題は日本外交の失敗だった」
質問1(セルダン):日中関係、いわゆる「チャイメリカ」を考えるにあたって、米国が民主党の鳩山政権を打倒しようとしている最中に、200人余の代表団を中国に送っていることを、釣魚/尖閣諸島をめぐる論争において米国は日本を支持しない証拠として挙げていますね。しかし米国は日米安保条約が当該諸島に適用する等、矛盾する発言をしています。また、南沙諸島において中国やベトナムと領土問題で衝突しており、危険な状態と言えます。この地域における領土問題全体の中で釣魚/尖閣問題をどう理解したらいいでしょうか。
(矢吹回答)
尖閣諸島の帰属問題と南沙諸島、西沙諸島の問題は、いずれも大日本帝国の戦後処理が未だに終わっていないことを象徴するもので、日米の為政者たちの無為無策によるものと考えます。
A.まず尖閣の帰属問題の由来について
私見によれば、以下のように整理できると考えます。
1. 元々は、台湾に付属する花瓶島嶼、彭佳島嶼と並び、基隆港に近い北方3島の一部であった。日清戦争における清国の敗色が明らかになった時点で1895年1月に日本が無主地先占を宣言した事実、およびこの島嶼については下関条約に記述されていないことを根拠として、日本側は日清戦争及び下関条約とは無縁としているが、清国・中華民国・中国から見ると、これは台湾割譲の一部にしか見えない。ここに双方の認識の食い違いがある。
2. 日清戦争を契機として行なわれた台湾割譲は、1945年のポツダム受諾により、旧状復帰が行われて台湾・澎湖諸島は旧満洲や朝鮮半島とともに旧植民地国に返還された。しかしながら、この時点で返還されるべき対象でありながら、尖閣諸島は次の理由により、返還が遅れ、いまだに返還が行われていない。
理由1 中国共産党政府と国民政府間で内戦が行われ、蔣介石政府は台湾に逃れ、大陸反攻をうかがい、このためには米軍の援助を不可欠としていた。このため蔣介石は米軍の施政権を歓迎していた。
理由2 中華人民共和国政府は、台湾解放を課題としており、台湾に付属する無人島は台湾問題との一括解決を想定した。
理由3 敗戦日本は無人島尖閣を忘却していた。
3. 尖閣の帰属問題が表面化したのは、沖縄返還の時点からであり、この際に、台湾政府と北京政府がともに領有権を主張した。台湾政府は当時米国と国交を保持したので、議会工作に傾注し、日本への返還は施政権のみであることを明記させることに成功した。沖縄返還における事件で、米国は、尖閣の主権問題は主として「日台の矛盾」と認識していた。
4. 鄧小平の改革開放路線への転換により、台湾経済は大陸経済に包摂され、経済面ではすでに事実上の統一、一体化がなりたっている。そのため、海峡両岸は「統一でもなく独立でもない現状維持による安定化」が進行している。こうして、尖閣諸島の帰属は主として「日中の矛盾」として浮上してきた。92年に北京は領海法に尖閣を明記し、90年代半ばに台湾海峡危機が起こったが、これらは台湾独立運動の高まりを背景としたもので、これらの緊張はすでに過去のものとなった。代わって日中の矛盾として2010年以来、先鋭化した。
B. 次に南沙諸島、西沙諸島について
1939年3月、大日本帝国は新南群島(スプラトリー諸島)及び西沙群島(パラセル諸島)を台湾高雄市に編入したが、1946年1月ポツダム無条件降伏に伴うSCAPIN677号により、上記をすべて失った。ここからパラセルおよびスプラトリーの各国による囲い込みが始まった。日華平和条約第二条には、日本国は、サンフランシスコ条約第二条に基づき、台湾・澎湖諸島並びにスプラトリー、パラセル群島に対するすべての権利、権原、請求権を放棄したと書かれている。南沙諸島西沙諸島の争奪が激化したのは、1988年3月の赤瓜礁 Johnson South Reef をめぐる中越衝突以来である。その後95年にフィリピンと中国がミスチーフ礁 Mischief Reef を争い、今年はフィリピンと中国が黄岩(Panatag Reef)で対峙した(『チャイメリカ』72~79ページ)。
尖閣諸島が日本と台湾、中国3者の係争地域であるのに対して、西沙諸島、南沙諸島はそれぞれ関係する諸国は異なるが、いずれもかつては日本帝国主義の版図に属したことは、東太平洋に位置する日本の果たすべき地理的責務の形を示唆している。かつての軍国主義的発展は許されないが、この地域を平和の海とするうえで日本の責務は大きい。しかしながら、責務の大きさと比べて、その責任意識はきわめて薄弱であり、きわめて不十分に思われる。外務省は、40年前の田中角栄・周恩来会談の記録を改竄し、34年前の園田直・鄧小平会談の記録を抹消し、石井明教授の情報開示請求に対して「不存在」を理由として「不開示」を回答した可能性が高い。中国側は正式な会談記録は公表していないが、会談記録に基づいて執筆したと推定される張香山の回顧録を公表して、尖閣棚上げの事実上の合意を指摘している。72年の日中会談と78年の日中会談のあり方については、中国側の詳細な記録により説得性があり、日本外務省の記録改竄は許されない暴挙というほかない(詳しくは、矢吹晋『尖閣問題の核心―日中関係はどうなる』第一章「尖閣交渉経緯の真相―『棚上げ合意』は存在しなかったか」参照)。
さて、40年前に棚上げされた史実を外務省・日本政府側が一方的に否定したことによって生じた2012年の日中衝突は、日本側に非ありと、断定せざるをえない。既往はさておき、これからどのように日中を再建するのか。「覆水盆に返らず」という。尖閣問題は「帝国主義の落とし子」であることは、厳然たる事実だが、現実の国際問題においては、実効支配する側が圧倒的に有利な地位に位置することは明らかだ。ところで、寝た子を起した以上、もう一度寝たままに戻すことはできない。日本は外交的失敗により、元(元金)も子(利子)もなくした今日、これからどうするのか。領有権問題は存在しないという日本政府の言明にもかかわらず、国連での双方の演説を通じて、争いの存在することは世界に明らかになった。
ではこれからどうするか。日本としてはまず、田中・周恩来会談、園田直・鄧小平会談の内容を確認して、中国側も領有権を主張していることを認めるべきである。そのうえで、今後の扱い方を平和的に交渉しなければならない。かつて台湾海峡では両岸関係を処理するに際して「92共識」という観念を発明した。「中国は一つ」という前提に立ちつつ、大陸はその中国とは、「中華人民共和国を指す」と解釈し、台湾は「中華民国政府を指す」と解釈する同床異夢による和解である。これは言い換えれば、主権問題を当面棚上げして、平和共存、経済交流を図る考え方だ。この智慧に学び、尖閣諸島の主権、領有権を玉虫色の新しいキーワードで包摂する智慧が求められている。たとえば、「尖閣=釣魚」に対する「一島両制」案である。すなわち、「奇数日」は日本が管理し、「偶数日」は中国側が管理する。このような形で共同して管理しつつ、地域の平和と秩序を維持しつつ、その資源は公平に分け合うという「新しい共識」の構築が求められている。
C. 最後に日米安保と尖閣諸島について
尖閣諸島の衝突を契機として、この地域が日米安保の適用対象かいなかについて議論が繰り返されている。沖縄返還協定当時には、沖縄返還と一括して返還されたものであり、沖縄列島が日米安保の対象となる以上、尖閣もその一部に含まれることは自明であった。
今回の紛争で改めて、それが議論されていることには、別の含意がある。
一つは、40年前と比べて中国の軍事力が圧倒的に強化されたことだ。いまや沖縄米軍基地は、完璧に中国のミサイル網の標的範囲内にある。この意味では、米中軍事関係は安全保障対話が喫緊の課題となり、それはすでに始まっている。
もう一つは、尖閣のような無人島の争いは日米安保が想定した目的ではないという事実である。何よりも、尖閣の主権の争いは日中間で話し合うべき課題であり、米国は中立の立場だと繰り返し言明している。次に島の防衛課題はなによりも自衛隊の課題であり、日米安保の直接の課題ではない。最後に日米安保の発動のためには、米国憲法や議会の同意が必要であり、無人島の争いに日米安保が現実に適用できるかは疑わしい。このような米国の立場は、きわめて常識的なものであり、尖閣周辺に擬似緊張を作り出して、日米安保の再強化を主張する日本右派の戦略には無理があると私は考える。
質問2(セルダン):「チャイメリカ」を論じるにあたって、負債を抱えた米国は世界を運営するにあたって中国の協力が必要であると指摘していますね。あなたの見方では、中国の協力というのはどのような形を取るものでしょうか・・・特にアジア太平洋、中東/中央アジアにおいて?
(矢吹回答)
中国の和平崛起 peaceful rising を米国が日本のような従属国を利用して圧力をかけたり、妨害したりしないこと。より具体的にいえば、中国経済の対外発展に伴い、シーレーンの安全確保が喫緊の課題となっているが、これを妨げないこと。中国の原油輸入は日本ほどに中東への依存度は高くはないが、それでも中東の原油は、日本同様に大きな比重を占めており、原油供給国・地域として中東は大きな位置にある。要するに、中国の当面の目標は、経済発展であり、そのために、関連地域の平和を維持することである。この目的を米国が理解して、協力してくれることを中国は望んでいる。経済発展の後に軍事的世界制覇を目指すという中国脅威論は現実的な根拠を欠く。中国は内外にさまざまの矛盾を抱えており、そのような余裕はないと考える。
質問3(セルダン):日本の米国への行き過ぎた依存を批判する人たちは、日中関係に限定はせずにより広いアジア地域における協調体制構築を提起しています。これについての見通しはどうでしょうか。
(矢吹回答)
鳩山首相が東アジア共同体構想を提起したのは画期的であったが、思いつきにとどまったので、挫折した。かつて日本は大東亜共栄圏を提起したが、これは軍事力を前提としたものであり、破産の運命を免れなかった。軍事的圧力ではなく、諸国が自由に参加し離脱できる自主権の原則に基づく経済的連帯が、グローバル経済下における経済的連携のあり方であるべき姿だ。このような節度をもった経済的自由主義を基礎とした東アジア、東南アジアの経済的連携の拡大強化は、今後ますます発展する。日本も中国も米国も排他的な経済圏の構築や、過度の影響力行使を意図すべきではなく、資源や地球環境の制約を意識した経済発展のために、協調により、持続的発展を模索することが不可欠である。21世紀は戦争の19-20世紀から教訓を汲み取り、新しい共生と共存の哲学に基づく経済発展を求める必要がある。
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1938年生まれ。東京大学経済学部卒。東洋経済新報社記者、アジア経済研究所研究員、横浜市立大学教授を経て、横浜市立大学名誉教授。(財)東洋文庫研究員、21世紀中国総研ディレクター、朝河貫一博士顕彰協会代表理事。
コーネル大学東アジア研究所上級研究員。『アジア太平洋ジャーナル:ジャパンフォーカス』編集コーディネーター。
初出:「ピース・フィロソフィー」2013.3.7より許可を得て転載
http://peacephilosophy.blogspot.jp/2013/03/blog-post_7.html
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
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