◆【報告】三重県伊勢市&津市、1月12日(土)13日(日)市民立法「チェルノブイリ法日本版」学習会「戦争と平和--NOでは足りない――YESを、平和を積極的に創り出す必要がある--」
https://chernobyl-law-injapan.blogspot.com/2019/01/noyes.html
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Subject: 1/12-13伊勢の学習会の報告:子どもを守りたかったら子どもになればいい、そして老人になること。
遅くなりましたが、今年初の投稿です。本年もどうぞよろしくお願いします。
今年は正月明けにパソコンがダウン、孤島の環境に陥り、4日から早野論文不正問題で仕事始め、どこそこの首相に遅れること1週間後の12日に長島一向一揆の地桑名を抜けて伊勢市を訪問、ローカルな伊勢神宮の参拝ではなく、世界標準のチェルノブイリ法日本版の学習会をやりました。
表題の「1/12-13伊勢の学習会の報告:子どもを守りたかったら子どもになればいい、そして老人になること」は短縮形でして、正確には次の言い方になります。
子どもを守りたかったら「子どもの権利条約」の子どもになればいい、そして伊勢市の74歳の市民のような老人になること。
先日の伊勢市の学習会で、私は、昨年3月から正式スタートした市民立法「チェルノブイリ法日本版」の取り組みは新たな段階に入ったのではないかと感じました。
理由は単純で、今まで学習会のつど、言ってきた言葉、
過去の「希望の扉」の教えは「職業的専門家ではなく、無名の、無数の市民の連合する力こそ、最強」である。
今回、この「無名の市民」にピッタリあう人物に出会ったような気がしたからです。
その人は、こんな学習会の場には出たこともない、市民運動のこともよく知らない、学問も教養もないと謙遜する、どこでもいそうな普通の74歳の男性でした。
けれど、この人が、どれほど揺るぎない確信と自信を込めて「あべこべをただす」チェルノブイリ法日本版の必要性、というより必然性を自身の言葉で語ったか、その共感、賛同の言葉を聞いて、こいつは私が求めていた「最強の力を作り出す無名の市民」の原型だと分ったからです。
以下が、この人の言葉を録音した動画です。
74歳男性の感想・質問
http://1am.sakura.ne.jp/Chernobyl/190112Ise-oldman.mp4
私がビックリしたのは、この人が、社会のことにぜんぜん関心のなかった自分が唯一関心を持ったのが満州の残留孤児の問題で、「中国残留孤児の父」と呼ばれた山本慈昭さんというお坊さんの足跡を辿るために、長野県阿智村の山本慈昭の記念館に行ったと言われた時です。
https://zoot.blue/news20170615-1/
それまで、長野に移住した息子家族が「阿智村は星がきれいだ」という評判くらいしか知らなかった阿智村に、
社会にぜんぜん関心がなかったというこの人がなんで、わざわざ足を運んだのか。それは残留孤児の救済に尽力した人物に共感したからだと思います。私は、この人の、この共感する力にビックリしました。
さらに驚いたのは、彼がその阿智村で聞いたエピソードのことを語った時です。
そのエピソードとは、山本慈昭の記念館を建てようとしたとき、文科省が建てるなとストップをかけた、政治家たちも同様だったというものです。
このエピソードのことを学習会の感想としてこの人はどうしても言いたかった。なぜなら、これも「あべこべや!」、311後のあべこべと同じや!と言いたかったからです。
この人の心の奥底に秘められたエピソードが、311後の現実とリンクしたという感想を聞いた時、本当に、チェルノブイリ法日本版の学習会の最善の参加者に巡り会うことができたんだと思いました。
そして、このとき語ってくれた彼の言葉から、社会の底辺で一生懸命生きている人たちこそ、今のあべこべの政治、経済、社会に対して、これを世直ししていく最も強力な原動力なんだという確信を教えられました。
そうした確信に満ちた言葉を次々と発するこの朴訥な人を見ていて、思わず、500年前、当時の日本最大の一揆、三重の長島一向一揆のメンバーがタイムスリップしてここにやってきたのではないかと錯覚を覚えました。
私は、この時彼は、ひょっとして、今まで誰にもまだ伝えたことのない感情を語ったのではないかと思いました。
自分の心の奥底に秘めていた感情をじかに伝えてもらったような気がして、
この人に、最強の市民のネットワークを作り上げていく「希望の原石」を見たような気がしました。
なぜなら、この学習会でこのような人が出現したように、チェルノブイリ法日本版は、ひょっとして、今まで社会にも市民運動にも心を閉ざしていた人々の心の扉をあける橋になるかもしれないからです。
チェルノブイリ法日本版の呼びかけが始まった地、伊勢はやっぱり凄い!
もう1つは、昨夜、カミさんから「子どもの権利条約」の話を聞き、この条約では4つの人権が保障されている、それが
・生きる権利……予防できる病気などでいのちを奪われないこと。病気やけがの治療を受けられること、
・発達する権利….教育を受け、休んだり遊んだりできること。考えることや信じることの自由が守られ、自分らしく育つことができること、など。
・保護される権利….あらゆる種類の虐待や搾取から守られること、など。
・参加する権利….自由に意見を表明したり、集まってグループをつくったり、自由な活動を行ったりできること、など。
私がビックリしたのは、
子どもの権利条約では、子どもは単に「命、健康が守られるべき」対象(客体)なのではなく、このような生存権の保障が実現するように、そこに向け自ら行動を起こすことを人権(それが参加する権利)として保障していることを知ったからです。
つまり、
子どもの権利条約は、放射能から命、健康を守れというのを「生きる権利」と保障しているだけでなく、子どもが自らの手で、自らの声を上げてその生きる権利保障の実現に向けてアクションを起こすという「市民立法」のことを「参加する権利」という人権しても保障しているのです。
市民立法は、単に、市民主導という言葉や行動の意味にとどまらず、これが人権の最も大切な1つであると子どもの権利条約では明らかにしている。
だから、子どもの権利条約に賛同する大人はみな(自覚しているかどうかは別にして)、「参加する権利」=市民立法に賛同する人たちのことです。
だから、その人たちはみな(自覚しているかどうかは別にして)、市民立法「チェルノブイリ法日本版」にも賛同する人たちです。
放射能災害から子どもの命・健康を守りたかったら、「子どもの権利条約」の子どもになればいい。
そこでは、「参加する権利」=市民立法は人権であり、そこでは、市民立法を人権として行使して、生きる権利の実現を勝ち取ることができるからです。
伊勢で出会った74歳の彼は子どものようにストレートに言いました「今、私らに必要なのは勇気だ」。! 私にはもう言うことはありませんでした。
市民立法「チェルノブイリ法日本版」は私たちの「望みの道」です。
「望みの道」は決してまっすぐではなく、ジグザグです。
けれどたとえどんなまわり道をしようとも、最後は「望みの道」に通じると信じ、すべての希望の扉を叩き、扉を開け、希望の泉を汲み出すことをやめない限り、こうした出会いが必ずある、こうした1つ1つの出会いの積み重ねが世界を変えることを再発見しました。
新年の伊勢詣では最良の旅でした。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
〔opinion8317:190119〕