新春の連句から

著者: 生方卓 うぶかたすぐる : 明治大学教員

道草

6213かぶら寿司雪吊りの松琴柱石 Q
6214 今にして知る内灘の意味  道草
内灘闘争・砂川闘争があったから、米軍基地は好き勝手ができる米国施政下の沖縄に移転したのでした。この経験から何を学ぶべきかは自明でしょう。普天間基地は県内移転でなく、県外移転でなく、国外移転でもなく、撤去あるのみです。それだけの気概を普通の奥さんたちが持っていた昔の日本でした。

■内灘闘争 & 砂川闘争 – 1953 & 1956
http://www.youtube.com/watch?v=3HWDyMfaLA4&playnext=1&list=PL6AA2294904ED167D&index=52

下駄

6214  今にして知る内灘の意味 道草
6215 時代負う非行少女は睨み上げ 下駄

内灘闘争が背景の「非行少女」が懐かしい。浦山桐郎監督、和泉雅子・浜田光夫。調べたら1963年の日活映画だった。後に冒険家に転じた和泉雅子は、酷寒に耐えるため太っちょおばさんに変身したが、この当時は鋭い体付きをしてた。高校生ぐらいだったか。鶏小屋の火事シーンはリアルだった。社会性を持つ作品だが、優れた映画特有の新鮮な時代性を感じさせた。また見たい。
内灘接収反対を訴えて参院選で勝った井村徳二の息子井村寿二は、勁草書房の創業者。金沢市が本拠の大和百貨店の経営者一族なので、お茶の水にあった(今はない?)勁草社屋玄関の階段を上がる脇の看板には、「勁草書房」に並んで「大和百貨店出版部」とあった。奇異な印象を持った。

道草

6215 時代負う非行少女は睨み上げ 下駄
6216  キューポラ一本見えぬ川口 道草

「非行少女」の題名も印象的な広告写真も記憶にありますが、映画は見ず仕舞い。内灘闘争が背景だったとは知りませんでした。しかし、計算してみると、1963年の夏に私は逗子か由比ヶ浜で一日遊んだことがあり、その時の浜辺のイベント会場に和泉雅子が現れ、彼女の星(スター)の輝きのようなオーラに絶句したことを思い出しました。もう一つ、和泉雅子が雑誌のインタビューで一番の好物を聴かれ、「みそ汁にコロッケを入れてぐちゃぐちゃにつぶしたのが大好き」と答えていたのを思い出しました。彼女は「ぐちゃコロ」と表現していましたが、Googleではヒット0でした。

初出:生方卓/公開掲示板「連句」より許可を得て転載

http://www.kisc.meiji.ac.jp/~ubukata/index2.html