新自由主義的危機のなかでのマルクス生誕200年―人間マルクスと非人間的マルクスのはざま―

日本ではここ数年来芸能人・文化人らの不倫スキャンダルでマスメディアは大賑わいです。かつて昭和の始め、政治のファッショ化とエログロ・ナンセンスの大衆文化の隆盛が歩調をそろえていたように、今日腐敗と強権の安倍政治と不倫スキャンダル・ブームの併行現象には、国民の目を公共的関心事から逸らせて断片化した瑣事に惑溺させようとする権力意思が働いているように感じます。しかも多くの場合、不倫弾劾の矛先は女性に向けられており、封建的貞操観念や家内奴隷的醇風美俗をバックグランドとする「片務的貞操」を女性に強いるものになっています。なによりも伝統的な家族観を有する保守支配層にとって、不倫が惹起する夫婦関係や家族の危機は由々しき事態です。社会格差の拡大や雇用の不安定化のなかで共稼ぎ家庭が増大し、ますます多くの婦人が社会的存在となるにつれ不倫の機会も増しますから、とりあえず有名人に象徴的懲罰を加えることによって、その流れを押しとどめようとするわけです。不倫行為が社会的懲罰の対象とならず、婚外子が当たり前であるようなフランス型の社会へ日本が向かうのかどうか、グローバル資本主義による社会の流動化によって核家族すら不安定化するなかで、将来の家族の在り方をどう設計していくのか、政治的立場のいかんにかかわりなく問われています。
そうこうするうちに本年、我々の世代までは思想的影響力を及ぼしていたマルクスの生誕200年を迎えました。マルクスの思想になお現代と近未来を透視するだけの思想的余力があるのかどうか、詳しい議論は専門の諸兄にお任せするとして、ここではマルクスのスキャンダルについて考えてみます。

上のカートゥーンは、マルクスがメイドのヘレナ・デムートを孕ませ、生まれた男の子を里子に出したスキャンダルを風刺したものです。腰に手を当てマルクスの妻イェニーが、「プロレタリアートの連帯を破壊する奇怪な振る舞い」と怒っており、大思想家マルクスがパンツ姿で小さくなっています(ドイツ紙Tageszeitungから)。
1930年代から間歇的にマルクスのスキャンダルは論じられてきました。マルクスの思想に好意的な論者は、それを一種ほほえましくもある知の巨人マルクスの人間的弱さの顕れであり、小さなエピソードにすぎないものとして扱ってきました。他方、マルクス理論を認めない人々は、マルクスの婚外子の扱いは恥ずべきもので、共産主義の非人間性の淵源であるとして糾弾して来ました。我が尊敬する、アメリカの都市計画家であり文明批評家であったL・マンフォードもまたその一人でした。彼はマルクスの他人を罵倒するスタイルや下半身スキャンダルを同じ非人間性の顕れとして、厳しく批判しました。しかしこれには1930年代はスターリン主義がマルクス思想を体現したものと見られており、またマンフォードが英国のアナーキズムから深い影響を受けた人であり、共産党独裁には我慢できなかったという事情を考慮すべきでしょう。反共主義者がソ連崩壊の尻馬に乗って、マルクスのスキャンダルを煽り立て死者に鞭打ったのとはやや事情が異なるのです。
この問題を考えるにつけ参考になると思われるのは、哲学者ヘーゲルの所論です。ヘーゲルは「法哲学講義」や「歴史哲学講義」のなかで、ナポレオンがよく引用したと言われるフランスのことわざ「従僕どもにとってはどんな英雄も存在しない」をあげて、学生に説明しています。日本流に置き換えれば、「家政婦に偉人なし」―どんな偉大な人物でもその日常生活を知る人間から見れば、下らぬ人間にしか見えない。ヘーゲルは、そういう下卑た見方で偉大な人物や業績を卑しめてはならないというのです。個人の道徳的主観的次元と歴史的功績の客観的次元を混同してはならない。何かとすぐ道徳的裁断を行なって偉業の矮小化を行なうのは、学校教師風―今日風にいえば週刊誌風―の悪い癖だというのです。
これに関わる好例を挙げましょう。
二度のノーベル物理学賞を受賞したキュリー夫人の不倫は有名です。彼女は、亡き夫の愛弟子であり、妻子ある男性だったポール・ランジュバンと熱烈な不倫関係に陥りました。小さいころからキュリー夫人伝に親しんできた私には、大人用の彼女の伝記はいくらかショックでした。しかしそれをもって核物理学の黎明期における彼女の巨大な貢献を無にする人はいないでしょう。
卑近な例でもうひとつ。
家永三郎教授のこと―もう40年も前の冬のある朝、塾アルバイトの冬期講習会のため、私鉄沿線のO町駅のホームに降りたったとき、逆光線のなかにコートを着た寒そうな一人の老紳士の姿が浮かび上がり、しかもぬぐうでもなく鼻先から鼻水が長く垂れているのを目にしました。私は瞬間「ひゃ、汚らしいおやじだ」と思いました。しかしその姿をよく見ると、誰あろう当時歴史教科書裁判を闘っていた家永三郎教授ではないですか―O町の主婦たちは家永裁判支援の組織を作って闘っていました。ちょっと見たくないものをみてしまったなどと生意気にも感じて、その光景はそのまま記憶の棚にしまっておかれました。
それから幾星霜、ヤンゴン在住時、江戸時代に大阪にあった民間教育機関「懐徳堂」の事績を調べているとき、傑出した町人学者であった富永仲基の論文を読むべく、岩波書店の「日本思想体系」を繙いたことがありました。その序文は家永教授によるものでした。そして一読して大きな衝撃を受けました。その透徹した思想史的俯瞰、深い思想的洞察力は、家永教授が紛れもない第一級の思想史家であることを示唆していたからです。そしてそのとき私は教授にまつわる私の若き日の記憶を思い出して、「汚らしい」とした自分を深く恥じ入ったのです。教授は幼少のころから虚弱で、病気と闘いながら教科書裁判を闘ったことも知り、ますます深く恥じ入りました。
以上のことを踏まえると、個人に対する道徳的批判は可能であり、またすべきでしょうが、それと偉業を矮小化することとを混同してはならない、ということでしょうか。ただ偉人のスキャンダルは、どんな偉人であれ、人間であるかぎり有限性を持つのだから、無批判的な崇拝や精神的依存は避けるべきだという警告として受け止めるべきなのでしょう。

2018年6月20日

 

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