施工者に幸あれ 第80回 / 波瀾万丈の工学博士 佐久間順三

■特待生 :香川県で風呂屋を営む家の,次男として育った構 造家の佐久間順三さん。大学受験のときに,父親に 将来を問われて思いつきでこう答えた。サクマだから 「佐久間ダムのようなのをつくる人になる」と。「それ じゃ日大の建築学科だ!」と即答する父。その当時は 意匠の早稲田,構造の日大といわれていたので,当 然のように構造に進んだという。半信半疑ななりゆき で入った日本大学だったけれど,1年生で見事特待 生に選ばれ卒業まで学費免除になった。近所自慢で きる孝行息子になったのでした。  元来勉強好きだから本を読み一心に建築を学んで いた佐久間さんだった。が,想像もしなかった出来 事に巻き込まれる。1968年4年生のとき日大紛争が 勃発して,正義感に満ちた優等生の佐久間さんは理 工学部闘争委員会の委員長に担ぎ上げられる。強 い思想があって始めたことではなかったが,突進型 性格の青年は,それからマルクス,レーニンが愛読 書になり,バリケードに立て籠もる日々を送ることに。 結局,紛争の終結とともに,さらに大学4年生をする という辛い思いをして卒業。同時期に文通友達だっ た倉敷の女性と結婚したのでし た。「神社の宮司だった義父に, 学生運動をしているなら娘はや れないと迫られたのですよ」と 苦笑いする。紛争で知り合った 吉本隆明さん(詩人,評論家) に結婚の相談をし,アドバイスを 受けたというからドラマのような 青春時代です。

■工学博士 :大学に残ることもできずにい たが,初めて設計の仕事が舞 い込んで,組織設計事務所勤務の友人と3人で設計 事務所【アトリエDEC】を起業する。その施主とは 偶然が重なり,埼玉県久喜市にある現事務所隣の 土地を入手した。設計して自邸を建てたら『住宅建築』 (建築資料研究社)に掲載されて活躍の場が増えて, 意匠設計と構造設計の「設計工房佐久間」へと地 盤を固めたのでした。その第1号の施主が,現在久 喜市の市長をされているというから縁は広がっている ようだ。久喜市中央公民館など公共の建築物も設計 するが,木造住宅耐震補強の設計実績や耐震診断 の技術者としての講演会も数多い。 その耐震補強の事例をまとめた論文で,65歳で工 学博士を取得した。自身が長年積み上げた実務で のデータを基にした論文『既存木造住宅耐震補強の 費用対効果の試算』だ。保険会社など のしがらみもなく,着地点が純粋だから耐震補強に かけた費用と効果の説明は分かり易い。学位を取り たい思いは長年あったというが,いよいよ実行に移す ときに,東北大学の柴田明徳教授の門を叩いた。教 授が退官間近であることから宇都宮大学の入江康隆 教授を紹介された。実はすでに旧知で,それから3 年の学究生活においては感謝しているという。  建築技術から出版した『佐久間順三流SUISUIわ かる木造住宅の耐震診断・耐震補強設計・補強工 事の勘所』(2017年)で一般技術者向けに論を展開 されている。  覇志堂も知る建築家で建築評論家であった宮内康 さん(1939~1992年)を尊敬している。『怨恨のユート ピア・宮内康の居る場所』(れんが書房新社,2000年) を 開 き な が ら ,「 こうさ ん 」 と 語 りかけるように傾倒している姿 を見せる。東京大学時代から 学生運動に加わった活動家と しても,佐久間さんには大きな 存在の人だったのだろう。 事務所のブログを開くと佐久 間所長が描いた四国八十八ヶ 所のスケッチ。愛妻については 出会いの時の話だけを語った 佐久間さんだが,その目は愛お しさに溢れているのでした。

初出:「建築技術2018年8月号」に掲載されたものを許可を得て転載

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