日本の製造業の強さを活かして?

著者: 藤澤 豊 ふじさわ ゆたか : ビジネス傭兵
タグ:

二〇一七年末からの半年ほどの間に、コンサルタント会社四社から似たような相談があった。クライアントの依頼を受けてのことなのだろうが、クライアントが何を目的として何を知りたいのかは教えてもらえない。IItoTといった新聞用語はでてくるが、質問を聞いている限りでは、どうもコンサルタントもわかっているようにはみえない。百科事典を作ろうというわけでもなし、常識として事業展開か市場参入のために基礎データ集めだろうが、いくら聞いても何をしようとしているのかわからなかった。

調査目的はわからないが、四社の質問の背景には共通したものがあった。質問を整理していくと物としては産業用ロボットの要素にいきつく。その先が興味深いことに、「日本の製造業の強さを活かして……」という。これも漠然としていて、何を求めているのかわからない。想像の上に想像を働かせて、訊かれるがままに答えていった。日本の製造業の強さ云々はいいが、それは誰にでも見える現象をみての話で、その現象を生み出してきたものに気がついているようには聞こえなかった。

ある担当者は、ただロボットのソフトウェアだというだけで、恐ろしいほど何も知らないし興味もないのだろう。何を言っているか訊いるのか、それはこういう質問になるのか、もしそうだったらという具合にこっちが質問を作り上げて、可能性としての条件をいくつか並べて、それぞれの条件の場合にはこういうことになると答えるしかなかった。

パソコンを例にあげれば、わかりやすいかもしれない。もし「パソコンがよくわからないので教えてほしい」といわれたら、どこから答えるべきなのかという前に、「パソコンの何を知りたいのか」を確認することから始めなければならない。まずハードウェアなのかソフトウェアなのかという切り分けがある。そこでソフトウェアといわれたら、OS以下の話なのか、アプリケーションなのか、もしアプリケーションだったら、人が使うものなのか、システムが使うものなのか、通信ネットワークなのか、それともソフトウェアの開発環境なのか……がはっきりしないことには、なんと答えたものかというところにすらいきつかない。よくよく聞いていったら、あちこちのホームページを見たいだけという笑い話のようなことすらある。

話を聞けば聞くほど、何を知りたいのかわからなくなって、クライアントは現在何(技術でも製品でも)をもっていて、ロボットの何に事業展開を検討しようとしているのかと訊いても、ソフトウェア関連でと繰り返すだけで、よくわからない。ロボットのソフトウェアを大まかに分ければ、ロボット全体を制御しているソフトウェアがある。そのソフトウェアの指令を受けて、駆動系のハードウェアとそれに付随するソフトウェアがある。ロボットの制御プログラムを開発する開発環境のソフトウェアもある。このうちのどこについてクライアントが知りたいと思っているのかと訊いてもわからない。駆動系は通常サーボモータとそれを駆動するサーボドライブかサーボアンプになるがと言っても、何を言われているのかわからない。クライアントが何をベースに何を考えているのかもわからずにコンサルタント、クライアントもクライアントならコンサルタントもコンサルタントということなのだろうが、とてもではないが付き合ってられない。

二社はその名もとどろくアメリカのコンサルタント会社で、前述の日本の会社のようなことはなかったが、それでもロボットを構成している要素技術の整理ができていない。どこでどう間違ったのかロボットと画像処理(マシンビジョン)を混同していて、まず二つがまったく違うものであること、そして産業用ロボットにはどのようなかたちのものがあるかの説明からはじめなければならなかった。ロボットの主要構成要素を云々していたので、サーボモータとドライブとフィードバックの説明をしようとしたら、もう話しについてこようとしない。人文系なのでという言い訳にもつなかい言い訳を聞いたときには、そんなことでクライアントに意味のある報告ができるとも思えない。中学の理科ですら忘れている。

最後の一社はもっとも真剣に調査して質問をしてくるのだが、情報の幹から枝葉を落とすまでの知識がないからだろう、各社各様に言っている技術や商品名の類に惑わされて、調べなければならないことの焦点を絞り切れないでいた。

四社に共通していることはいくつもあるが、あまりにエンジニアリングの基礎知識が足りない。千円二千円のわかり易い入門書を二三冊も読んでWebで資料を漁れば、総体の地図は描ける。そこから何を知らなければならないかを明確にしなければならないのだが、なんの準備もなしで漫然(失礼)とデータを漁っているようにしかみえなかった。

そもそも社会における技術のありようがわかっていない。多くの人たちが誤解しているのだから、コンサルタントが誤解していたとしても不思議ではないのだが、ここをわからずして、技術に関係するコンサル業務などありえない。「技術は社会の必要に応じて開発されるものでしかない」技術が技術として独自に存在するわけではない。もっとうまく、もっと簡単にできないかという人の(素朴な)欲求を満たすために開発されるもので、開発されたものは開発することを可能にした社会の成果物でしかない。みなければならないのは可能にした社会であって、その成果物のよしあしをみて、日本の製造業の強さ云々は意味をなさない。コンサルタントたるものが、なんでこんな当たり前のことに気がつかないのか不思議でならない。視点は「日本の製造業の強さは何からもたらされたか」のはずだろう。

技術は芸術とは違う。芸術では物まねは許されないが、技術は物まね――前任者に学ぶは、奨励こそされ非難されることではない。日本の製造業は欧米で実現された製造技術を導入して、欧米が作り上げたものの物まねから始まった。作るものの見本があって、作り方の手引きまで用意されていた。後は、まじめにいいものを作ろうという気持ちと努力があれば十分だった。

「日本の製造業の強さ」を生み出したのは、製造現場の価値判断が優先する文化というか社会観で技術ではない。財務の縛りや経営管理からの指示で愚直に動く製造現場ではなく、製造現場の判断でいいものを作ることをよしとした文化が日本の製造業の強さの源泉だった。何も特別なことではない。それはヨーロッパにもアメリカもあったし、今でもある。ただ産業資本が製造業から流通業へ、さらに金融業へと移行するにしたがって、製造現場のいいものを作ろうとする独自の判断が許されなくなってきた。

「日本の製造業の強さ」を理解するのに特別な技術知識がいるとは思わない。人文系の教養さえあれば、誰に訊くことでもない。成果としての優れた製品を持ってきて製造業の強さを活かしてという考えはどこからでてくのか。

Private homepage “My commonsense” (http://mycommonsense.ninja-web.net/)にアップした拙稿に加筆、編集

 

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 https://chikyuza.net/

〔opinion7954:180831〕