日本は何処へ行く 

著者: 三上治 みかみおさむ : 批評家
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1 ウクライナ戦争と戦後の戦争の転換

ロシアのウクライナ侵攻は戦後の戦争を変えつつある。戦後の国際的な戦争の構造を変えつつある。主権国家間戦争の超国家間戦争への上昇(核戦争と冷戦)とか国家間戦争の下降(地域紛争や地域戦争)という国際的な戦争構造が転換している、これは何処まで変わるのか、分らない。ロシアのウクライナ侵攻の結果がこれをきめるだろう、と思う。主権国家間(大国間)の戦争の回避(核の抑止力による戦争の回避)と冷戦は裏腹の存在だった。ウクライナ戦争は依然としてその枠組みを維持しているのか、変えつつあるのかわからないが、この国際政治と戦争の構造を変える契機をもたらしていることは確かである。そこに踏み込んでいることはたしかだ。

戦後の国際政治の中での日本国家の対応(戦争について対応)は基本的には非戦・平和(戦争の放棄)を軸にしていた。核戦争への対応には非核による不参加、地域戦争には不介入ということを軸にしていた。これらは主権国家間の戦争の回避に大きく依存していた。主権国家間の戦争は潜在的には可能性があるから、侵略には防衛体制をとる、いわゆる専守防衛策が国防策としてとられていたにしても。

 

戦後の日本は憲法9条に象徴されるように国家意志の行使としての戦争を放棄してきた。(侵略からの抵抗としての戦争は放棄してはいなかったが)。主権国家間の核による戦争の回避と地域戦争の激化という世界関係の中で日本国家がとってきた対応(基本戦略)は転換を迫られるのか、どうか。従来の枠組みの中で専守防衛対応を強めるということだけなのか。戦争放棄(国家意志としての戦争放棄)の放棄になるのか。この境界線はむつかしのであるが、この境界線はかわるのか、そのところが問題になるのだと思う。これはウクライナ戦争と中国の動向が大きく作用するのだと思う。「ウクライナ戦争は予測がつかないし、中国の動きはわからない」、がその動きで日本は戦後の国是としてきた戦争の放棄の修正(これには戦争放棄の放棄も含む)になるのか。これは明治から1945年までの国家戦略の中での戦争の位置が否定され、戦後から今日まで戦争放棄になってきたことが、継続するのか、修正にいたるのかである。理念的には国民国家の延長としての帝国が戦争を展開した歴史(帝国主義戦争)の時代に、日本が帝国主義として参画した77年、その日本が戦争の放棄で帝国主義の終焉を先取りしようとした77年、その修正にはいるのか否かということになる。最も日本は国際政治の構造を変えていくということは放棄していて、アメリカの核の傘にあり、アメリカの帝国主義の時代に同盟してきたのだから、日本の戦争の放棄は帝国主義の戦争の時代を終わらせようとしていた、という評価には異論もあろう。

日本の非戦(戦争放棄)が一国故の矛盾をはらんだものであるということだろう。僕は日本の非戦(戦争放棄)が戦争を放棄として、帝国主義の終わりを内包していたことを認める。戦後の日本の国家理念としての戦争の放棄は現実的にはかなり矛盾のあるものだった、と認識する。これは日本が世界との中で孤立してあることを意味した。戦争放棄は世界の体制が戦争の保持にあるとき、孤立してあるのはとうぜんだが、体制の戦争の保持は体制下の人々に支持されているものではないという意味で、世界の国家体制から孤立していても、世界の人々からは孤立しているものではないということで支えられもした。このことで日本国家の支配層にある部分と国民(市民や地域住民)とでは大きな違いがあった。かつて地域戦争に金を出すだけだった日本の行動に「一国平和主義という批判がおこった。政府などの支配層にはこの議論は影響をあたえたが、国民にはひろがらなかった、そこに落差があった、

 

僕はこの矛盾を自覚しながら戦争放棄を支持してきた。そして、世界の動きに対応して日本の戦争放棄を放棄しようという動きに抵抗してきた。それは戦争放棄が戦争か放棄かのオルタナーテイブな国家構想であり、戦争に進む、戦争を国家の中心として保持しようとするものとの不断の闘いだったからだ。それは戦争を軸にした伝統的な国家主義との闘いだったからだ。安倍政権が「戦争のできる国」に国家を変えようとすることとの闘い近々のことだった。

 

ロシアのウクライナ戦争は主権国家間の戦争の回避という戦後国際政治の中に、国家主義を復権させる動きであり、古典的な帝国主義政策であり、アメリカのグローバリズムという新たな帝国的な動きとの戦争と言える。ただ、ロシアの古典的帝国主義の動きは戦後の帝国主義としての戦後体制への反動であり、それは帝国主義と戦争を終焉させようとする動きとは無縁だからであり、それへの反動に過ぎないからである。ロシアがウクライナのナチ化の排除ということを大義にするとき、これは背後のNATOやアメリカでナチ化が進行しているということを意味するから、滑稽で無意味だ。ロシアが古典的な帝国主義であるあることを意味しているだけだ。

 

この国益(国家エゴイズム)を露骨に打ち出す動きは、グローバリズムに対する対応である。国家主義の前面化である。これはそれぞれの国家で出てきている。アメリカで言えばトランプである。国家主義が高まり戦争(第一次世界大戦・第二次世界大戦)となり、そのあとに国家主義の抑制があったが、それの時間を経て再び国家主義が露骨になってきていると言える。これはグローバリズムが国家的共同体内にある人々の経済的、心的不安の心理、恐怖感を生みだしていることが背景にある。新自由主義はグローバリズムが生み出す格差の増大、貧困の増大、市民や地域住民の経済的・心的不安を解決する道を提示できない。それを国家不安として誘導する政治的存在が各国で生まれていること、あるいはそれが政治力を高めている。これは各国で強権的で非民主的な政治が強まることを意味する。戦争は国家を、立憲的で民主的な国家を、強権的で非民主的な国家にかえる、その動きが強まる。その意味では日本の戦後の国家体制を強権的で非民主的な国家に修正する動きは強まる。これはかつてなら専制的で全体主義的な国家ヘの動きと言われた。今は権威主義国家の動きといわれる。国家や体制が強権的で非民主的になるうごきは戦争に対応しているのであり、そこには相関関係があるが、戦後の日本の国家体制の転換(修正)の動きは進む。戦争の動きに注目するなら、国家権力や体制の動きに注目しなければならない。

 

ロシアのウクライナ戦争→国家主義の全面化。中国の動向。日本国家のあり方。国家主義は復活するか。国家と戦争についての戦後の日本の存在は変わるのか、どうか。中国の動向、中国との関係を含めた日本の国家はどうなるかわからない。それが実感しているところである。大きなスパンで考えれば明治から1945年の77年、それから2024年までの77年、その中での国家がどうあったかをとらえながら、次の77年の国家構想をどう持てるか、ということだが、その展望というのはよくわからない、というほかない。わからない中でどう探索すればいいかは歴史的な経験を探索する中でみえてくる、と思う。非戦・戦争放棄はその孤立をさらに進め、戦争放棄の放棄を強める、その動きは強まる。世界的な非戦の動きは世界的な自由と民主主義の抵抗と結びついて、戦争と強権体制に抗し続けられるのか。

2 グローバリズムの展開と経済の行方

かつて日本経済は貧困の時代を脱し経済大国になったと言われた。GDPが世界第二位になったと言われた。経済大国になり、経済的にゆたかになったといわれた、しかし、高度成長経済が停滞に直面し、今、日本はGDPでドイツに抜かれ第4位に転落したと言われている。アジア関係の中で見てもそのことは明瞭である。これは戦後に軽武装―経済重視の政策で高度成長した経済が頂点から転落、いわゆる「失われた30年」を経て現在に至っていることだ。

戦後の経済復興が経済の高度成長となって行った時代が転換(停滞の進行)した現在がここにある。日本経済は高度成長後にどういう経済的道をとれるのか様々に議論されてきた。この背後にはアメリカ経済の動向が意識されていた。日本経済に先行して戦後いち早く高度成長を達したアメリカは高度経済成長の転換を余儀なくされた。高度成長で日本やヨーロッパとの経済競争に敗北し、経済的地位を相対的に低下したアメリカは同時に高度成長後の経済の道の可能が問われた。重化学工業(製造業)、いうなら産業経済の高度化の高度成長はある地域の経済でピークに達したなら、次の地域に移行するのは必然である、イギリスを経てアメリカに至ったこの高度成長はドイツや日本にやがてはアジア諸国にも移行していくのは必然である。アメリカは1950年代から1960年代に世界の工場であり、成長経済を実現したが、経済構造の転換を必然とした。アメリカは金融と軍事という二つの領域を中心に据えながら、多くの製造業で撤退した。

アメリカ経済は金融と軍事という二つの領域を中心にして脱高度成長時代を生き延びようとしてきた。

 

日本は高度成長の限界に到達したとき、先行するアメリカ経済をモデルにした経済転換はできなかった。これには諸条件があったが、アメリカ経済を模しての経済転換は不可能であり、その結果として経済的混迷がつづいてきた。この過程で生産力主義(技術革新による生産力の発展、高度成長)批判も現れたが、結局のところ転換は結実しなかった。アベノミクスが登場した。これは失敗だった。

アベノミクスは高度成長の復活というところに矢を向けたが、それはならなかったからである。かつての重化学工業と製造業にかわるものを登場させなかったからである。産業構造の転換は不可避であり、かつて重化学工業や製造業が中核に経済の高度成長があるというのは失われた夢であり、失われた夢にしたのは高度成長だったのだ。

 

概念的にいえば生産力至上経済から消費経済への転換を含め生産と消費の構造の転換を不可避にしたということである。ここでの具体的な構想を打ち出せなかったことにある。これはアベノミクスの失敗の要因だった。消費を含めた経済(産業構造)への転換、その試行錯誤といくつもの構想の提案がなされてきたが、有効な発見は成し遂げられてはいない。技術革新に産業の高度化をかつての高度成長経済のように展開するのでは消費・生産の構造転換を内包方向で展開は現在から未来の課題である。人類史的な経済の発展という視点に立てば、重化学工業やそれを基盤とする製造業が重要な位置を占めた時期はある。同時に、経済的構造はその生産の位置が相対的に低下し、生産(消費を含めた)の転換が促されている時代に入ったといえる。「これからは国民の安全・安定のため、レジリエンス(耐久力)を重視する産業構造に作りける必要があります。『食と農』『医療・防災』、そして支える人材を育てる『教育・文化』重要産業になると思います。」(寺島実郎、1月6日の朝日新聞)。これは近代の産業構造の産業転換である。異論はない。軍事と金融を中心の脱高度成長経済の展開を構想するよりも可能な道と言える。この場合に技術力に生産競争(経済戦争)の側面をどうするかが問われるのだろうが。

 

3 文化並びに価値の行方

今年の「大河ドラマ」は面白い。それに関連する本もいくつか読んでみたが面白かった、ここには二つのことがあると思う、一つは女性たちに勢いというか活力があるということだ。本屋に行けば女性作家の本はあふれているが、どうも「男」の作家はそうではないことがすぐにわかる。佐藤愛子や瀬戸内寂聴のような「男」の作家はいない。現在の文化や価値の生みの担い手が女性たちにあることはみとめてはいいように思う。

もう一つは日本は外に価値を見いだせなくなっていることがある、日本は歴史的には外に価値を見出し、それを取り入れることを旨としていた、これは文化や価値の問題の産出の問題である、かつては中国文化の生み出した価値(思想制度)などを採り入れ、明治維新後はそのチャンネルを西欧近代に替えた。ただ、今、日本は外部に価値を見出せなくなってもいる。中国や西欧に価値を見出し、それをモデルにしてそれを取り込めばいいという時代ではなくなっている。そこで日本の歴史の中で独自の価値を生みだそうとしたところを探そうとする企てがおこる。「大河ドラマ」に平安王朝期に活躍した女性たちが取りあげられているのはそんな試みの一つと言える。平安期は中国の唐の交流が薄くなり、中国文化を取り込み移植させる試みの時代から、独自の文化を生みだそうとした時代であるが、そうしたことが生みだされた時代でもあった。女性たちの「物語」が産出されたのはそうした時代と言っていい。

ここで文化とか価値とかいうことについて語っておこう。文化や価値は経済的な下部構造の生んだ上部構造的な存在であるとしてその存在の意味が規定されたことがある。唯物論というか唯物史観で考えられた文化や価値概念である。僕はこれとは異なった文化概念や価値概念を持っている。かつて僕は刑務所という場所に置かれたことがある。その中でまた刑罰にかかり、軽閉禁されたことがある、これはただひたすら座っていることだけを強要されるものであり、動き回ることも何も許されないことだった。座っているだけというのは苦痛であるが、そこから解放されるには記憶を呼び起こし物語をつくってその中に没入することであり、沈黙のなかでは歌を歌うことだった。声には出さないで頭の中であらゆる歌を思い出し歌った。この歌と物語に没入し、その世界に浸ることは軽閉禁の中での救いだった。これは軽閉禁という監禁を解くものではなかった。けれども監禁の苦痛から自分を解放してくれるものだった、宗教は民衆のアヘンであるという言葉があるし、僕はこのことを何度も思い出していた。なるほど、歌や物語はアヘンのようなものだと言える。監禁の中で苦痛から解放される空想の世界に誘い、それを忘れさせてくれるものだから。でも、そこから少し、考えを進めさせようとした。確かに、僕が物語を創り、また、歌を歌ったのは現実の監禁を免れないまま空想の中で一時的に逃げ得たに過ぎない。だが、これを空想への逃避というにしても、歌や物語というもう一つの現実存在を認めるか、認識するかは大変違う行為だと思った。これは歌や物語という存在をどう認識するかで極めて重要なことだと思った、確かに、マルクスの言うように「宗教は民衆のアヘン」であるということはある。現実の抑圧関係から解放されないでも、空想での解放に誘う機能を持っているし、そういう機能がある。これは宗教だけではなく、僕がここでいう歌や物語のことに広げてもいいと思う。ただ、監禁という現実の抑圧から解かれなくとも、空想に一時的に逃げるだけでも歌や物語が宗教が人間を解放してくれることはある。

これは歌や物語をどう認識し、評価するかという問題から意識や心的世界の存在をどう理解するかということに関わる。僕は監禁状態の中で歌や物語を呼び起こし、僕を誘い、開放的な気持ちにしてくれた(一時的に監禁を忘れさせてくれた)ことを現実からの逃避というよりはもう一つの現実的存在として認識した方がいいと思った。人間が歌や物語や宗教などを生み、それが独自の役割を果たしてきたことを僕は文化というように考えたいと思った。文化は経済や政治とは違う価値を生みだしてきたのだと思う。これは意識や観念を副次的なものとしか見ないマルクス主義とは違ぅてもっと存在的なものと認識した方がいいと思う。これは唯物論というよりはマルク主義的唯物論が意識や観念を副次的なもの、例えば物的なものの反映のようにしか理解しなかったこととは違う。マルクスが観念論を批判して唯物論を言ったのは、観念の中の、観念的意識と現実的意識の違いを言ったに過ぎない。本当はマルクスとマルクス主義では意識や観念の認識が違う。このことは文化や宗教に対するに認識の違いでもある。

文化という概念はどのように規定するかは難しいが、経済や政治的価値とは独自の位相を持ちながら、それを包摂するようなところがある。かつて三島由紀夫は「文化概念としての天皇」と言ったことがある。この場合の文化概念は包括的概念であり、僕はそれを吉本の幻想概念をヒントにしたと思う。三島の文化概念は政治や経済を包摂するものだし、吉本の共同幻想ということも同じであると思う。文化や価値ということを語るには経済的価値や政治的価値とは独自の位相を持つ価値概念があり、ここは検討するに値することだと思う。その意味で文化や価値の行方に僕は興味を持っている。日本のというよりは人類の文化というものの行方ということに関わることだろうが、この点での日本の行方ということも興味がある。

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
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