日本国債の暴落はありえない Ⅴ
長々とお金のことを書いてきたが、何が言いたいかといえば、新規発行の日本国債を買うお金は、預金マネー等のマネーサプライと呼ばれるお金ではないということがひとつ。それができるのは、あくまで日本銀行だけが発行しうるマネタリーベースというお金であるということがひとつ。そしてそのマネタリーベースというお金も、人の手から人の手にへと渡り、ぐるぐるとまわり、それでも市中に余ったお金は、銀行等民間金融機関を介して、日銀の民間各銀行名義の当座預金に預けられプールされるということ。そしてそのお金は各銀行間の送金などの決済に用いられるが、そのほかにも、運用益を求めて短期金融市場で他民間金融機関に貸し付けたりされること。あるいは、新規発行国債を買い付けたり、あるいは、国債市場に売りに出された古い国債を買い付けたりして、運用益を稼いでいることなどである。
そしてもっとも大事なこと、それは、新規国債を買うための、そのお金であるマネタリーベースの総量は、日銀の意思によって確実にコントロールされているという事実である。
故に、どれほど一時に大量に日本政府が国債を発行しようが、発行済み累積国債が大量になろうとも、日銀がきちんと業務を遂行する意図があるのなら、国債を引き受けるための日銀当座預金残高がそれに対して不足するという事態はありえないことになる。そしてそれが不足さえしていなければ、民間金融機関はそのお金を遊ばせておくよりも、運用益が小さくとも必ず国債を買う。
つまり、日本国債の暴落はありえない。イコール金利急騰もありえない。
日本国債の暴落はありえない Ⅳ
マネタリーベースと呼ばれるお金は日銀によって発行され、且つ、その量は決定される。
錯覚し易いことだが、生み出されたお金は、それ自身で増えたり、減ったりなどしない。人の手によって直接お金の量を増やすか減らすかしない限り、増減はない。物を売ったり買ったりなどの商いなどでもお金の量が増えたりしない。ところが、たしかに景気がよくなれば税収が増えるがために、、多くの人々はそこでお金が増えるものだと錯覚してはいないだろうか、だから景気を好くすることによって政府借金を返していけばよいではないかなどの意見もある。しかし、好景気でも実際にはお金の量は増えない。税収が増えるだけである。
そのメカニズムは次のようになる。GDP(付加価値の総額)=お金の量×所得速度、この所得速度とは、所得を得るためのお金の回転数であるから、お金の量を増やさない好景気とは、お金の移動が速かったのだと捉えてよい。簡単に言えば、お金がぐるぐると勢いよく回転する好景気なのだ。お金の量が増えたわけではない。そのように不景気になって税収が減ったからといって、同様な論理でお金の総量が減るわけでもないことがわかる。
ただ、同式から、お金の回転数が早くなくても、たとえば一定でも、お金の量を多くすれば、GDPが増える、すなわち好景気になることもわかる。
横道にそれたが、とにかくお金とは経済活動によって、増減しないということにご注意いただきたい。マネーサプライというお金でもそうだが、それとは違い決済の役割を持つマネタリーベースというお金なら、なおさらに日銀の意図に反して増減しない事がわかろうと思う。あくまで、お金とは経済活動によって人の手から手へと移動するだけのものなのである。
日本国債の暴落はありえない Ⅲ
ところでマネタリーベースの発行は日銀が通常業務として行っているが、どのようなルールの下なのかというと、たとえば金などの貴金属や国債およびドルなど外国為替を買い入れる代わりとして日銀が発行する。その他、買い入れるものは多岐にわたる。詳しくは、下記URLの日銀BSを参照されたい。
http://www.boj.or.jp/statistics/boj/other/acmai/release/2011/ac111220.htm/
つまり、貴金属や国債や外国為替は、日銀にとっての資産となり、発行した日銀マネー(マネタリーベース)は負債としてカウントされる。
だから、マネタリーベースはこのようなルールさえ守れば原則的に、無限大に発行が可能となる。
ではこのマネタリーベースは無限大に発行を続けてよいかというと、そうではない。それはあまり発行し続けると酷いインフレが起こるというような陳腐な話のことではなく、その大量に発行されたマネタリーベースが必ず、民間の金融機関のたとえば主に銀行に、預金者によって預けられ、金利を欲することが問題となる。銀行等はこのお金をいったん、日本銀行の当座預金に預けられるが、これを運用して、預金者に支払うべき金利の原資となる運用益を稼ぎ出さねばならぬため、それがあまりに多すぎると、相対的に貸し出し相手や国債などの国内の運用商品を見つけることが困難となる。そうすると自然、海外の運用商品にも投資しなければならなくなる。これが実は、小泉時代に行われた、日銀福井総裁によって行われた量的緩和とその弊害である円のキャリートレードと呼ばれるものである。
したがって、本来、マネタリーベースの量はその目的に沿って適正にコントロールされるべきものなのである。
日本国債の暴落はありえない Ⅱ
さて、マネタリーベースとマネーサプライ、この二つはどちらもお金でありながら、意味や生まれが大きく違う。けれど多くの人々には、その違いが用意に判別しがたいようだ。でなければ国債が暴落するというようなありえない現象を主張することはないだろう。
「いや実際に、ギリシャ国債は暴落しているではないか。」と「ビートたけしのガチバトル2011」と同じにすぐさま反論されそうだが、それに答えようとすると、ギリシャと日本の通貨システムの違いから説明しなくてはならなくなり、収拾がつかなくなるので、いったんは横においておいて、前に進めたい。
さて、すべてのお金での決済は、マネタリーベースで行っているということはあまり知られていない。マネーサプライである預金マネーでも決済できるではないかと指摘されそうだが、それは預金者としての決済ならば確かに普通預金や当座預金などで行える。しかし、それは銀行が預金者に成り代わり、決済サービスを行っているからに他ならない。
預金者が銀行に頼らないで直接決済しようとすれば、いったん預金を下ろし(現金に交換)、相手側とたとえば商品と引き換えに現金を渡すことになる。つまり、現金を使う。現金すなわち、マネタリーベースを使うことになるという面倒な操作をするわけだが、これを銀行側に委託したサービスが実は銀行の決済機能と呼ばれるものである。
だから、一見、預金というマネーサプライという種類のお金であっても決済が可能であるように、通常預金者には、認識されるてしまっている。続く。
日本国債の暴落はありえない Ⅰ
TV番組「2011ビートたけしのガチバトル」では、日本は1000兆円の政府借金で破綻するということに関して議論していた。結局ワイワイで終わったが、印象に残ったのが、池田信夫氏の「国内で国債を消化していても財政破綻はある」とジェムススキナー氏の「その国債は買う価値がない」というもの。
つまり国内で国債を買う者がいなくなって、国債消化の未達が起こる。すなわち国債暴落ということが言いたいのだろう。
しかしこの論理は、新規発行国債の90%前後を常に消化する国内金融機関のマネーがどのような性質のものなのかということについて精密さにかけている。
どういうことかというと、銀行に預けられたお金というのは、預金者から見れば、銀行に貸し付けたお金とも言えるもの、反対に、銀行から見れば預金者から借りたお金、だから銀行は預金者に預かった金額を書き込んだ預金通帳を預り証として渡す。
注意しなければならないのは銀行が預かったお金は、マネタリーベースとして換算され、日銀が発行したお金であるということ。
一方、預金者が受け取った通帳に記載された預金額は、マネーサプライとして換算され、日銀が発行したものでないということである。お金の事実は、ややこしいのです。