日本国憲法第9条とノーベル平和賞

著者: 内田 弘 うちだ ひろし : 専修大学名誉教授
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 日本国憲法第9章「戦争の放棄、戦力及び交戦権の否認」規定は、世界でも希にみる独自な規定である。その独自性ゆえに、それを誇り世界的な評価をもとめる運動が、日本人自身から出てきている。本年(2020)度のノーベル平和賞は「国際連合世界食糧計画」が選ばれた。このことに因んだ、インターネットのつぎのような記事でも、その運動がうかがえる。
(題名)「ノルウェーもノーベル平和賞予想の候補に」
(本文)「この[2020]年、ノーベル平和賞の受賞者の予想を行っているノルウェーの「オスロ平和研究所」から候補の1つに(日本国憲法第9条が)挙げられました。(改行)ことしも、大学教授などでつくる神戸市の市民団体が、全国135人の大学教授などの連名で、ノーベル委員会に推薦したということです」[( )は引用者]。
 しかし、その市民団体の期待にも関わらず、受賞には至らなかった。
 「ノーベル平和賞」と聞いて本稿筆者は、つぎのことを連想した。昭和天皇ヒロヒト自らは敗戦直後、日本占領軍司令官マッカーサーとの会見に赴き、「国体=天皇制護持および自分自身が戦犯として訴追されないこと」を条件に、沖縄を米軍に差し出した。のちに佐藤栄作首相は、その米軍の支配下に陥った沖縄を単なる名目上で米国から返還してもらったという「外交業績」で、ノーベル平和賞を受賞した。
 バラク・オバマは、アメリカ大統領に就任した直後に、プラハで核軍縮に関する演説をおこなった。するとすぐに、いまだ核軍縮に関する何の実績がないのに、ノーベル平和賞を受賞した。ノーベル平和賞はこのようなものである。《日本国憲法第9章をノーベル平和賞の対象に》という運動の担い手たちは、ノーベル平和賞のそのような政治的な性格を認知しているのだろうか。
 さらに、その運動の担い手たちは、日本国憲法第9条制定の歴史的背景を考慮しているのだろうか。第9条は、天皇ヒロヒトを帝国陸海軍の「統帥(とうすい)」とする「日本帝国」による15年戦争(1931~1945年)に関する日本国民の根源的反省、特にアジア諸国民への贖罪の精神に基づくものである。
 一部の日本人を除いて、「敗戦」した日本国民は、15年戦争中のアジア諸国民への「南京虐殺」などの暴虐について、自発的に根本的に反省するとは、到底思えないほど、天皇制ファシズムに呪縛されたままであった。敗戦直後、日本人は戦争に負けたのは、私たち至らない国民の責任ですとの思いをこめて、天皇に謝罪した。敗戦を知って宮城前広場に行って跪き、宮城の天皇ヒロヒトにむかって落涙し頭を地につけ謝罪した。その多くの日本人の姿を記録した映像がある。敗戦当時まで、日本人のほとんどは我が身をすべて、天皇ヒロヒトに委ねて生きていた。
 そのため、アメリカを中心とする占領軍は、受動的な敗戦日本国民に戦後を生きる枠組みを日本国憲法として設定した。押しつけ憲法改変論者は、このような敗戦直後のほとんどの日本人の没主体的な実態を明確に確認しなければならない。
 敗戦日本国民は、三木清など戦争体制に抵抗して獄中に幽閉されている者たちを自発的に解放しようなどとは、まったく思いもしなかった。三木清は、敗戦日本が「天皇制」だけでなく「アメリカニズム」にも呪縛されることを予感しながら、敗戦直後の1945年9月26日に豊多摩刑務所で獄死した。
 敗戦30年後の1975年10月31日、天皇ヒロヒトは自分の「戦争責任」を記者たちに問われると、「戦争責任というような言葉のあやについては、私は文学方面についてはきちんと研究していないので、答えかねます」と答えた(高橋哲哉・徐京植『(対談)責任について』などを参照)。この一見するところ稚拙な逃げ口上に、(きざはし)のに跪(ひざまづ)く日本国民を見下し冷笑する姿を直観しないだろうか。
 敗戦直後、「日本陸海軍統帥者」天皇ヒロヒトは「平和主義者」に急変して日本全国を行幸した。本稿筆者が北関東の小学生低学年であった或る朝、市内の目抜き通りを天皇の「御用車」が通過することになっていた。沿道で教員の指導の下、生徒たちが天皇の車がやってくるのを待っているとき、教員たちは子供たちにむかって、「目をつむってお迎えしなさい。お車を見ると、目がつぶれるぞ!」とヒステリックに大声で注意した。
 少年であった本稿筆者は「目がつぶれるなんて、本当かな」と思い、車が通過するとき、そっと盗み見した。けれども、目はつぶれなかった。「先生でも嘘をつくことがあることがあるんだ」と思った。
 教員たちは、戦中と同じく、天皇畏怖心で極度に緊張していた。敗戦後の教員たちの天皇ヒロヒトへの姿勢は戦中とまったく変わらなかった。《8・15》は、天皇について実質的になんの変更ももたらさなかった。
 日本国憲法第1条は、象徴天皇制規定である。日本国憲法は、第9条だけでなく、まず第1条に天皇制を設定して、戦後日本の基本枠組みにしている。第9条は、日本国民のそのような「受動革命的な経過」に基づく誓約である。
 その第9条を、このような歴史的経緯から切り離して、人類共有の遺産に変換できるのであろうか。第9条を、日本国民が自分たちのそのような歴史的経験から切り離して、「平和主義一般」の規定に変換できるのであろうか。第9条が世界遺産へ登録されることを期待することは、そのあるまじき変換を期待することに相当するのではないだろうか。「日本国憲法第9条を世界遺産に登録を」という運動は、日本国民自身ができるのか。「それはできない」、これが国際世論である(《ウィキペディア》「憲法9条にノーベル平和賞を」を参照)。
 日本帝国は、朝鮮を1910年から1945年までの35年間、「日韓併合条約」によって植民地として、物質的に(土地収奪)・精神的に(日本語強制・創氏改名)、支配してきた(現代史資料「朝鮮」みすず書房を参照)。その受難史を生きてきた韓国・朝鮮の人々は、諸手を挙げて、第9条登録運動を賛成してくれるのであろうか。
 日本人は、「第9条にノーベル平和賞を」などという歴史に根を張らない願望を抱くのではなく、自己の内面になおもしぶとく生息する在日韓国人・朝鮮人に対する差別意識を根本的に無くさなければならない。第9条は日本人自身によるこれらの課題の解決を求めている。日本人は、海外のBlack lives matter.を云々するよりも、歴史的反省の意味をこめて、Korean lives matter.の真実を認識しなければならない。
 注意すべきことに、日本国憲法第9条は日米安保条約とセットである。日米安保体制は、戦後75年経過してなお存続する。日米安保は、決して日本を守るものではなく、日本の国際的逸脱=「日本帝国主義の復活」を防止するために米国が設けた装置である。現に、沖縄を含む日本の空は、敗戦直後より駐留し続けている米軍の支配下にある。
 野中広務との対談『差別と日本人』(角川書店、2009年)で、辛淑玉(Shin Sugok)は「米軍がいるからアジアの国々は安心して日本と付き合っていられる」(142頁)という野中の発言に同意している。そのような国際政治的制約を持つ第9条を、日本人自身は世界に誇れるのであろうか。(以上)

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 https://chikyuza.net/
〔opinion10209:201018〕