日本語なら分かりっこない―はみ出し駐在記(34)

気の合った男同士の丁々発止のやり取り、それが日本語だったら、ついてこれる外国人はまずいない。分かったところで単語まで、話しの内容までは分からない。日本にいては人前で話せないことでも、海外に出るとつい周囲を気にすることなく話すようになる。

 

もって回った言い方もいらない。人前でストレートにその人のことでも平気で話しだす。一度、この快感と言うほどでもないが、ある種の便利さを知ってしまうと止まらない。使う言葉を気にしないで人前で言いたいことを言えるのは、日本人であることの特権のような気さえしてくる。

 

ちょっとした言葉のいたずら遊びから始まったものが仲間内の一体感まで生み出す。そこから言葉遊びの話し方が日常になって、仲間内でしか分からない話(と思っている)をどこでも平気がフツーになってしまう。

 

フツーになってしまうと、周囲にいる人たちへの注意が散漫になる。日本語に堪能なアメリカ人はほとんどいないが、日本人は結構いる。何人かでマンハッタンをうろちょろしていたとき、いつものように話していたら、突然斜め前を歩いていた中年のおばちゃんに振り向きざまに挨拶された。言葉は挨拶だが、内容は「若いの、言葉を慎め」だった。

 

注意してくれたのはありがたいのだが、情けないことに、そう思う前におばちゃんの話し方の方が気になってしまった。

挨拶されなければ日本人にはみえない。アメリカ生活が長いからだけではない、日本との距離が開き過ぎただけでもない、終戦直後の荒廃が生んだとしか思えない話し方だった。若い男の小集団のだらしなさ、自分たちのことを棚にあげて、おばちゃんのことを、ああはなりたくないよなって思っただけだった。

 

文字で書けば挨拶でしかない、時間にして数秒かそこらのおばちゃんの言葉が頭の隅に引っかかったままになった。おばちゃんの注意はありがたかった。いくら周囲にいる人たちに注意を払ったところで、間違いなく日本人が周囲にいないことなど確認しようがない。こっちも日本人、行くところは日本人が行くところのことが多い。見た目では何人か分からない日本人もいるし、後ろにいる人たちまでは分からない。それ以降、遠まわしな言い方、お互いに分かるはずの比喩、隠語をまぜこぜにした話し方に進化?した。

 

進化したにもかかわらず、とんでもないところから進化をぶち壊すことが起きた。シドニーの暴れん坊が若いアメリカ人のサービスマンにろくでもない日本語を教えた。日本語といっても単語だけなのだが、余程の社会層でなければ口にすることのない卑語がほとんどだった。サービスマンもさすがにマネージャや年配者に使うことはなかったが、こっちには場所柄も時も関係なく面白半分に使ってきた。

 

朝、出社して、いつものように「Good morning」と言ったら、唐突に「I love おxxx.」と大声で返ってきたときには、何を言ったのか分かるまでにちょっと時間がかかった。エアポートやモーテルで一緒にチェックインしているときに、にこにこしながらカウンターの女性に向かって「ブス」「ぺチャパイ」お気に入りの「おxxx」。。。にこにこしながらだから、相手の女性は何かいいことを言われているのだろうと勘違いして、にこにこしている。にこにこに挟まれて一緒にいるのが恥ずかしかった。

 

言っている本人、意味を知らないで言っている訳ではない。相手には分かりっこないから、それがちょっと拾った外国語だから平気で言える。もしそれが日本で、周囲の人たちが英語を理解しなかったとしても、英語で同じように言えるとは思わない。なんと説明していいのか分からないのだが、母国語では感情の機微のせいなのか精神的に引っかかって言えないことでも、学んだ程度の外国語なら平気で言える。日本語では、なんとなく恥ずかしくて「愛してる」と素直に言えないが、英語でなら「I love you.」でも、「I need you.」とでも、なんのためらいもなく言える年配者も多いだろう。

 

こっちが周囲を気にして、遠まわしな言い方や比喩を多用し始めたため、仲間に入ろうと努力のしようもなくなったのは分かるが、明け透けに、それもおおらかに大きな声で唐突に言われると、正直どきっとする。あまりのすさまじさに閉口して、もうちょっと小さな声で言えとは言ったが、こっちがどぎまぎするのが面白いのだろう、どこでもここでも卑語を連発していた。それが楽しいのか、暴れん坊がろくでもない日本語を次々吹き込んだからたまらない。

 

 

代理店の何社もが中古機械販売のブローカから成長してきた会社だった。年代物の工作機械を鉄くず同然のように買い取って、ちょっと手をいれて動くようにして何倍もの値段で売りさばく、工作機械業界の末端にいる人たちだった。アメリカの工作機械メーカの新しい機械は扱わせてもらえない。そこにコストパーフォーマンスのいい日本の工作機械が出てきた。中古機械のブローカから新しい機械を販売する商社に脱皮していった。たたき上げの社長の多くがユダヤ系で、支払い条件から蛍光灯一本にいたるまで、相手から譲歩を引き出すのをビジネスだと思っていた。よく言えばハードネゴシエータということになるのだろうが、狡さが目立ちすぎる、ただの吝嗇家だった。

 

展示会やらなにやらで彼らの前で日本人同士の話しがある。話しのなかで彼らを指して言わなければならないときに、「ユダヤ」や「ジュー」は使えない。誰が言い出したか、「くいちさん」と言っていた。くいちさん=九+一=十=ジュー。そこは抜け目のない商人、「くいちさん」が何を意味しているかに気がつくまで大した時間はかからなかった。しょうがないので、誰かが「にっぱちさん」と言い出した。二+八=ジュー。そのうち「しちさん」とでも言い出すのか、ビジネスの世界のちょっとしたイタチごっこだった。

<余談>

行きつけの日本メシ屋で “湯飲み茶碗“を度忘れして、ウエイトレスのおばちゃんに”お茶のお茶碗“と言って頼んだことがあった。そのおばちゃん、神戸は覚えていたが兵庫県を忘れていた。神戸は県ではなく市で、県としては兵庫県だと何回言っても信じなかった。海外で生活するとちょっとした日本語を忘れる。気をつけないと荒れる。言葉だけならまだしも、日本を忘れる。それが進むと変な日本人になってしまう。英語をいくら拾ったところで日本(語)を忘れちゃあと思うのだが、去る物は日に疎し、何かを得て何かを失う。得て失って成長してゆければいいのだが、その時々にはなかなか分からない。年を経て歴史になってしまって分かってきたときにはもう遅い。

 

Private homepage “My commonsense” (http://mycommonsense.ninja-web.net/)にアップした拙稿に加筆、編集

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
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