映画『ワレサ 連帯の男』に登場した労働者達の運命

1980年8月16日、グダンスク造船労働者レフ・ワレサを指導者とするポーランド各地の労働者は、「工場間ストライキ委員会」を結成し、いわゆる21個条要求を統一労働者党(共産党)につきつけ、その結果「独立自主管理労組<連帯>」設立の合法化をかちとった。8月ストのきっかけは、一女性労働者アンナ・ワレンティノヴィチの解雇であった。

アンジェイ・ワイダの最新作『ワレサ 連帯の男』が岩波ホールで上映され、立派なパンフレットが作成されていた。そこに春日いづみ採録のシナリオを読むことが出来る。以下に肝腎の個所を引用する。

 

  「今、次のテレックスを受け取りました.  炭鉱“7月宣言”および炭鉱“鷹”がグダンスクの労働者と連帯ストへ」

湧き上がる拍手.

マイクに向かっている鉱山労働者.

鉱山労働者 「シロンスク炭鉱が――“神の祝福を”と. 操業停止は次の通り. 炭鉱“7月宣言”. 炭鉱“ボルィニヤ”. 炭鉱“スシェツ”.炭鉱“モシュチェニツァ”. 炭鉱“ポルスカ”. 炭鉱“ヴイェチェレク”. 炭鉱“ハレムバ”. 炭鉱“ザブジェ”.

マイクを取るワレサ.

レフ 「みんな、仲間だ」

 

ソ連東欧の党社会主義体制を突き崩した最大の社会力は、体制の基盤として育

成されて来た重厚長大産業の基幹労働者階級の反共産党反乱であった。その象

徴が電気工レフ・ワレサであった。そして、1989年非共産党政府・<連帯>政権

が誕生し、1990年1月より経済体制の資本主義化が努濤の如く進展した。あれ

ほど叫ばれたポーランド「自主管理共和国」を語る者は、誰もいなかった。明

治維新の時、文明開化がスローガンになると、誰も攘夷を語らなくなったのと

同じ構図である。

その結果、ポーランドの国有大工場は、私有化されるにつれて、その多くが解

体整理された。あるいは原型をとどめぬほどに縮小された。かくして、多くの

労働者が解雇され、前途を見失い離職して行った。

 

アンジェイ・カルピンスキ等の集団的労作『ポーランドにおける大工場の成立と

崩壊 ポーランド人民共和国期に建設された大工場の1989年以降の運命』

(MUZA  SA、ワルシャワ)が2013年に出版された。それによると、PRL(ポ

ーランド人民共和国)時代に新建設されたか、再建されたか、抜本的大拡張さ

れた製造業工場は、1988年時点で1615工場あり、187万人が就労していた。

内訳は、新建設 1535工場、162万1千人であり、

再建    15工場、  2万6千人であり、

大拡張   65工場、 21万2千人であった。

ところが、かかる社会主義期(1945-1988年)の成果は、1989年以降そのう

ちの657工場が解体整理、あるいは大幅縮小された。そこには83万4千人が働

いていた。

レフ・ワレサやアンナ・ヴァレンティノヴィチが働いていたグダンスク・レーニ

ン造船所は、1988年に1万360人が働いていた。今日、五分の一の2千100

人に縮減している。本書には記されていないが、ネットで調べると、ウクライ

ナのドンバス資本に買収されている。

本書には上記の1615工場と657工場の一覧表が提示されている。そこで、アン

ジェイ・ワイダの『ワレサ 連帯の男』に登場するシロンスク県の諸炭鉱の運命

を本書に探してみた。以下の如し。

 

炭  鉱1988年の労働者数現  状
シロンスク4068人解体
7月宣言9026整理縮小
ボルィニヤ7042解体
8568整理縮小
ZMP4422解体
スシェツ4664 
モシュチェニツァ8022整理縮小
ハレムバ9755 

 

本書にある炭鉱“ポーランド人民共和国 30年”がシナリオの炭鉱“ポルスカ”

とすれば、9243人と解体となる“ヴイェチェレク”と“ザブジェ”は本書の表

に見当たらない。“ハレムバ”と“スシェツ”を除くと、1980年8月スト時代

の炭鉱は殆ど消失しているようである。職もなくなった。石炭産業の縮小は時

代の流れでもあるが、解体657工場の多くは、必ずしも衰退産業に属していな

い。経営管理の如何のよっては、十分に生き残りうるだけでなく、成長が可能

であったと確信し、ジェフリー・サックス/レシェク・バルツェロヴィチのBig

Ban=ショック療法改革に反対したポーランド有識者は少なくない。本書によれ

ば、電子産業ではPRL期の93工場のうち81工場が解体された。私から見ても、

技術論的にも現有技術をゼロ化して再出発することは全く不可解である。

 

しかしながら、資本主義化を労務管理の面から見れば、かかる大規模解体のシ

ョック療法に可解な側面がある。資本主義ポーランドを1千万人の強力労組の

枠内で成功的に運営出来はしない。外国資本にしても共産政権がなくなったか

らと言って、それよりも強力な労働者権力が企業内に生き残っていては、ポー

ランド進出を積極的に推進出来ない。かくして、<連帯>労組の基礎である諸

大工場の解体が必然となる。

 

1人の女性の解雇に反対して立ち上がれた労働者が、10万人の失職には右往左

往しかない。ポーランド労働者の悲劇は、自分達が立ち上げたはずの政権によ

ってかかる政策が断行された所にある。しかしながら、神はポーランド労働者

を半分しか見捨てなかった。2004年にEUに加入出来たことで、ポーランドの

失業率は、2003年の20.3%をピークに下がり始め、2008年に9.5%、世界的デ

リバティヴ崩壊ショックで再び上がりつつあるが、2011年に13.2%である。ち

なみに、1989年の失業率は、0.3%であった。これは、ポーランド労働者のEU

出稼ぎ出国のおかげであって、2004年にEUのポーランド人労働者数は、2004

年の66万人、2007年の198万5千人、2009年の137万3千人である。

 

巨匠アンジェイ・ワイダが真にポーランド労働者の象徴としてワレサの実像を

描くべく、『ワレサ 連帯の男』を製作したのであれば、大統領時代のワレサ、

今日のワレサを映像化すべきであったろう。これは、ないものねだりであろう。

1970年代、1980年代ポーランド労働者階級の闘争を熱烈に支援した日本の新

左翼人達もまた、ワレサ達がポーランド党官僚体制の打倒に成功するや、ワレ

サ大統領下の政治がどんな社会をもたらすかには殆ど無関心となった。ワイダ

と同様である。

 

最後に<連帯>政権樹立後、ワレサが米国議会で行った演説(1989年11月15

日)の一節を紹介しておきたい。

 

私達が私達の国で行って来た仕事と闘争の意味は、何人も異国に所を求

めず、仕事の意味と良き将来の希望を自国と自分の家に見出せるような、

そんな状況と展望を創り出す事に在ります。

 

私が提供した上記データとワレサの言葉を、対比して欲しい。

平成26年8月24日

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
〔opinion4962:140825〕