第91回アカデミー賞の見どころ
2019年2月下旬に行われた第91回アカデミー賞は、さまざまな意味で注目されました。昨年のハリウッドの大物プロデューサーのセクシュアルハラスメントをきっかけとした#Me Too 運動という女性たちの抗議の嵐、さらに、「白いアカデミー賞」と批判されたように、主演男女各賞の白人優遇に対するアフリカ系アメリカ人を中心としたマイノリティの映画人からの抗議などを受けてどのように変わったのか、大いに注目されました。所詮、米映画界のプロモーション・イベントに過ぎないといえば、それまでですが、トランプ大統領という、稀代の人種&性差別主義者のもとでのアカデミー賞だけに注目が集まります。
とりわけ注目されたのは、作品賞の行方でした。注目は、スパイク・リー監督の黒人警官が白人至上主義テロ団体クー・クラックス・クラン(KKK)に潜入捜査をするという「ブラック・クランズマン」と人種差別が激しかった時代の天才的な黒人ピアニストと粗野なイタリア系米人の人種を超えた友情を描く「グリーンブック」の争いでした。そして、「グリーンブック」が作品賞をとりました。この結果に、地元のロサンジェルス・タイムズ紙やニューヨーク・タイムズ紙は。辛口の論評。白人優越主義から見た黒人を描いた作品だと。ちなみに製作陣は全員白人。これが1980年代だったら、作品賞でも構わないが、今年のアカデミー賞でかなりの黒人が受賞しているのに、作品賞に黒人を主体とした映画ではなく、白人の視線から描かれた作品が選ばれるとは、中高年の白人男性が主体のアカデミー会員の意識がうかがわれる、と批判。スパイク・リー監督は、この決定に怒って会場から出ていこうとしたが、警備に阻まれてしまいました。
思えば、スパイク・リー監督の人種対立を描いた「ドゥ・ザ・ライト・シング」(1989年)が作品賞の候補にあがった時、賞をとったのは、人種差別主義者で気位の高い高齢の白人女性と黒人の運転手との心の交流を描いた「ドライビングMissディジー」。30年たっても、優位に立つ白人からの視点からでしか人種問題が描かれない、というハリウッドの白い体質、アメリカ社会そのものの体質は変わっていない、ということを示した受賞作品でした。
映画「グリーンブック」について
作品賞と助演男優賞、脚本賞をとった映画「グリーンブック」を簡単に紹介しましょう。
物語の背景は、人種隔離を定めたジム・クロー法が南部で生きている1962年。タイトルの「グリーンブック」とは、黒人向けに1936年から1966年まで毎年発行された旅行ガイドブックの名前。人種差別がまかり通る米国最南部を旅行するさい、黒人などが利用できる宿や店、日没後の黒人の外出禁止個所などの情報を記したもの。著者の名前から「グリーンブック」と名付けられました。
主人公のトニー・“リップ”・バレロンガ(ヴィゴ・モーテンセン)は、ニューヨークの有名なナイトクラブ、コパカバーナの用心棒。フランク・シナトラやトニー・ベネットなども歌っています。ところがナイトクラブが改装のため休業することになり、トニーは、ドクター・ドナルド・シャーリー(マハーシャラ・アリ)の運転手の仕事を紹介されます。面接に向かうとドクターの住所はカーネギー・ホールの上にある高級マンション。ドクターは医者ではなく、天才黒人ピアニスト。黒人に対する差別意識のあるトニーはそれでも仕事を引き受けることになります。ドクターは、ディープサウスと呼ばれる人種差別が特にひどい最南部を回るツアーに出かけるため、用心棒も兼ねた白人の運転手を求めていたわけです。ツアーに出かけるときにトニーに手渡されたのが「グリーンブック」。ケネディ大統領の前でも演奏し、博士号を三つも持ち、8か国語を操るという、教養溢れる、セレブの黒人の天才ピアニストと、教養のない英語の綴りさえおぼつかない、粗野なイタリア系の運転手との奇妙なコンビの旅が始まります。黒人と白人の立場が普通とは正反対の二人の旅は時に笑いを呼びます。黒人の大好物のフライドチキンを手づかみでほおばるトニーに対して、ナイフとフォークがなければ食べられないとしりごむドクター。ところが、ドクターの演奏を聴いたトニーはびっくり。彼が本物の、しかも天才ピアニストであることを知ります。トニーは。南部の旅を続けるうちに、過酷な人種差別の現実を知るようになり、ドクターを守らなければという思いを募らせます。警官につかまったドクターを助けに行くと、ドクターは、なんと大統領の弟のケネディ司法長官に弁護士を通じて連絡をします。ドクターはまたも警察につかまりますが、ゲイの疑いをかけられました。黒人差別にさらされ、しかも、黒人だからと研鑽を重ねたクラシックは演奏できない、レコード会社も含めてクラシックは、当時白人のものでした。黒人社会からも白人社会からも疎外されるドクターの孤独な内面を知るようになり、二人は心を通わせていくようになる、心温まる話になっています。妻に手紙を書くトニーに対して、綴りの間違いをただし、愛情あふれる文章を教えてあげます。トニーの息子が父親とドクターとの交流から作った作品です。
印象に残るシーンがあります。南部を旅行していると、農場で働いている黒人たちが、仕事の手を休めて自動車の二人をじっと見つめます。彼(女)らには信じられない状況だからでしょう。映画で実際にドクターの演奏をするのが、優れた若手ピアニストであるクリス・パワーズ。彼はドクターが実際に演奏した曲を演奏します。白人の金持ちの前で演奏し、聴衆をうならせ、作り笑いで、拍手にこたえるドクター。彼が心から楽しんで演奏した場面は、黒人専用のバーでの飛び入りで黒人のバンドとの即興のジャムセッション。この場面はなかなか良いです。
この映画で、圧倒的な存在感を見せるのが、ドクター・シャーリーを演じ二度目のアカデミー賞助演男優賞を、2017年の作品賞の「ムーンライト」に続いて得たマハーシャラ・アリ。天才ピアニスト、シャーリーが複雑で内面に深い矛盾を抱えている人物なので、観客の興味は彼に向かいます。単純で正義感の強い主役のトニーより魅力的ですから。そんな複雑な内面を静かな抑えた演技で表します。旬の俳優ですね。
監督は、「メリーに首ったけ」などのコメディで知られる、ピーター・ファレリー。監督は日本でのプロモーションで、(人種間の)「対話」の重要性を強調しました。「対話」をすれば、先住民虐殺や奴隷制が根っこにある人種差別の問題が解決するのかしら?
スパイク・リー監督「ブラック・クランズマン」
スパイク・リー監督は、本作によって、カンヌ国際映画祭で是枝監督の「万引き家族」に次いでグランプリを獲得し、現在のアメリカ社会を描いたものとして高く評価されました。注目のアカデミー賞で初めて受賞を果たしました。監督賞でも作品賞でもなく、脚色賞でした。彼の名前が俳優サムエル・ジャクソンにより叫ばれると、興奮したスパイク・リー監督は彼に抱きつきました。これまで30年以上、黒人の立場からアメリカの白人中心の社会を鋭く問いかけてきた作品を作ってきたリー監督は、アカデミー賞から冷たくあしらわれてきたので、会場は大きな拍手に包まれました。いかに彼が黒人などマイノリティに勇気と与え尊敬されているかを物語る場面です。監督は、スピーチで、2020年大統領選に向けて、「ドゥ・ザ・ライト・シング」(彼の出世作、(正しいことをしよう)と訴えました。
映画「ブラック・クランズマン」には原作があります。著者は、映画の主人公でもある、ロン・ストールワースの『ブラック・クランズマン』(2019年、PARCO出版)。この本をもとにスパイク・リー監督は、原作より時代を少しさかのぼらせ1970年代のブラックパワーさく裂の時期に設定、黒人解放運動を描きます。
物語は、原作者ロン・ストールワース(ジョン・デヴィッド・ワシントン、彼は同監督の「マルコムX」の主演デンゼル・ワシントンの息子で、同映画にも出演している)が、米コロラド州コロラド・スプリングズで初めての黒人警官として採用されることから始まります。事件捜査をしたいのに、書類担当の記録室に配属。潜入捜査をやらしてほしいと署長に訴えます。そしてその願いが叶って、ブラックパンサー党の演説会への潜入捜査を命じられます。
喜び勇んで会場に入ると、ブラックパンサー党幹部クワメ・トゥーレ(ストークリー・カーマイケル改め)の演説が始まります。「我々の唇は厚い、我々の肌は黒く、髪は縮れている。ブラック・イズ・ビューティフル!」とこぶしを振り上げ、黒人解放を訴えます。ロンは「ライト・オン、異議なし」と思わずつぶやいてしまいます。
この演説は映画の中でもっとも力強く感動的なものです。監督の代表作「マルコムX」を観て私は「ブラック・イズ・ビューティフル」という言葉を本当に実感しました。出演者のほとんどが黒人で彼(女)らの黒く輝く肌、みなぎる知性、彼(女)らは本当に美しかった。白人の視点からではなく、黒人の視点から映画をきちんと撮れば、彼(女)らがいかに理知的で美しいのか、が本当によくわかります。映画というのは、撮る側の視点がいかに大切なのかということでしょう。
集会の会場で、巨大なアフロヘアの学生組合幹部のパトリス・デュマスにあい、ロンは一目ぼれ。パトリスは当時の黒人解放運動のイコン、アンジェラ・デービスを明らかにモデルにしています。彼女のことについては後程触れます。集会の最後には、みんなでこぶしを握り振り上げ鬨の声を上げます(1968年のメキシコ五輪で短距離に優勝した米黒人選手が星条旗に対してこぶしを振り上げ人種差別に抗議したあの有名なポーズ!)。
捜査の結果、集会そのものに犯罪性はなしと。調査部に異動したロンは、ある日、地元新聞の広告に目が留まります。「クー・クラックス・クラン(KKK)」の会員募集広告でした。この町にもかの白人至上主義団体KKKがいる、とロンは連絡を取ってみます。すると、興味を抱いた地元幹部が接触を求めてきます。そこで、幹部にあうことにする。しかし、黒人のロンが直接会うことはできない、ということで、同僚でユダヤ人の白人刑事フリップ・ジマーマン(アダム・ドライバー)がKKKに潜入することになります。ロンは電話連絡担当というわけ。こうして二人の潜入捜査が始まります。KKKの会員証を手に入れたいと思ったロンが電話をかけると、出てきたのが、KKKの最高幹部デビット・デューク(トファー・グレイス)。KKKは、黒人解放運動に対抗し大きな集会を計画していることが分かります。さて、彼らの捜査は成果が上がるでしょうか……。
KKKと映画「国民の創生」との関係
映画の冒頭を飾るのは、映画「風と共に去りぬ」(1939年)。南北戦争(アメリカではCivil War内戦<1861~65年>)の勝敗を決した南部のアトランタ陥落の場面が現れ、スカーレット・オハラ(ヴィヴィアン・リー)が南部の負傷兵の間を歩きながら、「神よ、南部連合を救いたまえ」と祈ります。そして南部連合旗のクローズアップ。
日本では「風と共に去りぬ」はロマンティックな恋愛大河映画として人気がありますが、アメリカでは、奴隷制を維持しようとする南部の立場から描いた映画として批判されています。映画には黒人のメイドが出てきます。彼女はアカデミー賞初の黒人の助演女優賞をもらうのですが、黒人差別のため受賞者の席にさえ座れませんでした。南部連合旗はその後南部諸州の公共施設に掲げられていましたが、「黒人差別を象徴する旗」として撤去されつつあります。
スパイク・リー監督は、KKKの歴史的ルーツが南北戦争にあることを映像で示します。
次にポーリガード(南部連合将軍の名前)なる博士が登場し「人種隔離を違憲とするブラウン判決は我々白人への攻撃です」と語ります。「ブラウン判決」とは1954年5月、連邦最高裁判所が「黒人と白人の公立学校を分離するのは法の下での平等を定めた憲法修正第14条違反である」とした判決を指します。南北戦争により黒人が奴隷から解放されましたが、それに抵抗する南部では、公立学校、バス、公衆トイレ、レストランなどで白人用と「カラー」に分けた「人種隔離」政策(南アフリカの人種隔離のアパルトヘイトはこれに倣ったもの)を続けました。ブラウン判決により、アーカンソー州リトルロックの白人高校に黒人が入り、人種隔離撤廃を求める「公民権運動」が始まります。
公民権運動に怒れるポーリガード博士を演じるのは、テレビでトランプ大統領の真似で有名なアレック・ボールドウィン。博士が「アメリカを再び偉大に」と語れば、トランプ大統領のスローガンに当然重なります。
画面には、D・W・グリフィス監督の映画「国民の創生」(1915年)が映されています。「国民の創生」は映画史上の傑作とされる映画ですが、黒人への差別がひどい映画と批判を浴び続けています。重要なことは、「国民の創生」でいう国民とは白人のことであり、南北戦争後の1886年にできたものの勢いを失っていたKKKの再生につながったということです。KKKにとって映画「国民の創生」は組織の救世主ともいえるもの。ノース・カロライナ州の牧師トマス・ディクソン・ジュニアの小説『クランズマン』(KKKの会員のこと)をもとに典型的な南部白人の心性を持つD・W・グリフィスが映画化しました。KKKの視点から歴史を語った作品であり、「南北戦争後の復興期、KKKは南部の救世主だった」という伝説を描いた映画です。ウッドロー・ウィルソン大統領の同級生だった原作者の牧師は、映画の宣伝のため、大統領などに非公開の上映会を行いました。ホワイトハウスで初めて上映された映画としても有名なのです。南部人の大統領はいたく感銘し、映画は大きな成功を収めました。見逃せないのは、「国民の創生」という映画の成功のおかげで、KKKが再生を果たしたということです。KKKの当時の幹部は会員募集のため、映画の上映を行ったということです。その伝統は今でも引き継がれ、本作でも、KKKの入会儀式には「国民の創生」が上映されます。KKKについては浜本隆三さんの著作『クー・クラックス・クラン 白人至上主義結社KKKの正体』(平凡社新書、2016年)が詳しいです。
KKKとリンチ
映画は、KKKの入会儀式で、クライマックスを迎えます。白い装束に身を包み。目の部分だけを開けた悪名高い装束に身を包んだクランズマンの居並ぶなか、新入会員を迎える儀式が進みます。儀式の最後には、映画「国民の創生」が上映されます。映画では、同時進行で、年老いた黒人活動家が目撃したリンチ事件を学生たちに語る場面が映されます。つまり、KKKが組織の再生と同時に黒人に対して凄惨なリンチを行っていたという歴史的事実を示すものです。老活動家に扮するのは、50年代に歌「バナナボート」を世界的にヒットさせたハリー・ベラフォンテ。彼は公民権運動にも積極的に参加し、キング牧師が黒人の選挙権を求めたアラバマ州のセルマ行進にも参加しました。映画「グローリー 明日への行進(Selma)」の最後にも記録映像で登場しています。
ベラフォンテが語るのは、1916年の17歳の黒人少年のリンチ事件。少年は白人女性レイプ殺人容疑で逮捕され、処刑を待ちきれない1万人を超える群衆により、陰惨なリンチによって殺されました。少年は市庁舎前広場で、手足の指と世紀を切り取られ、鉄鎖で木からつるされ、その下に薪を積まれ、生きたまま火あぶりにされました。苦しみが長引くように、少年は徐々に引き上げられます。死体は町中を引き回され、ばらばらに切り刻まれ、群衆はその肉片を「土産」に持ち帰りました。そのようなリンチ「土産」は今もその子孫によって「家宝」となっているとのことです。リンチの一部始終は写真家によって撮影され、絵葉書になって売られました。写真では群衆は笑っており、実行犯は誰一人として逮捕されませんでした。「それは『国民の創生』がヒットした翌年だった」とベラフォンテは語ります。いかに「国民の創生」という映画が黒人に対するリンチを煽ったか、KKKの活動に影響を与えたかを物語る事件です。
映画の最後は、2017年8月、ヴァージニア州シャーロッツヴィルで開かれた米国の「右翼団結(ユナイト・ザ・ライト)」集会です。ナチスの集会をまねてたいまつ行進をする右翼、集会でネオナチの一人がカウンターデモに車で突っ込み、女性がひき殺されました。トランプ大統領が登場し、どっちもどっちと、白人至上主義者たちを非難しませんでした。なぜなら、集会に登場した本物のKKKの指導者デビット・デュークは、トランプ支持を明言しており、トランプのキャッチコピーである、「アメリカ・ファースト」はデュークの主張でもあるからです。アメリカに白人至上主義テロ組織KKKが支援する大統領が誕生したということを映画は明確に示します。
プリンスのゴスペルとアンジェラ・デービス自伝
そして、エンディングに流れるのは、2016年に亡くなった、プリンスの歌うゴスペル“Mary Don’t You Weep”。南北戦争以前から、過酷な試練に傷ついた黒人たちに、黒人にやさしく泣かないでと歌います。リー監督は、プリンスのミュージック映画を創る約束をしていたそうです。約束が果たす前に、プリンスが亡くなってしまったので、彼に対するオマージュとして彼のゴスペルを持ってきたのでしょう。
才人リー監督は、アフロヘアなど1970年代の黒人運動のファッションや音楽も効果的に取り入れており、視覚的にも音楽的にも楽しい映画になっています。ともにアフロヘアのロンとパトリスが楽しく踊るシーンでは、“Too Late to Turn Back Now”というコルネリウス・ブラザーズ&シスター・ローズのヒット曲。“Say It Loud—I’m Black and I’m Proud”はジェームス・ブラウンの。バスの人種別座席を無視し白人用の席に座る運動のテーマ曲“Freedom Ride”も歌われています。
黒人学生運動の幹部パトリスのモデルは、現在もカリフォルニア大学で教えているアンジェラ・デービスです。演じるローラ・ハリアーは彼女の自伝を読んで役作りに励んだそうです。私も、『アンジェラ・デービス自伝』(上下)(加地栄都子訳、現代評論社、1977年)を涙ながらに読み返しました。アンジェラ・イボンヌ・デービスは、1944年、米南部アラバマ州バーミンガム生まれ、ニューヨークの高校に入り、大学でフランス文学を学び、フランスに1年間滞在。大学を優秀な成績で卒業後、旧西ドイツ政府の奨学金を得て、フランクフルト大学に留学し、そこで、2年間哲学者のマルクーゼの教えを受けます。帰国するや彼女は黒人解放運動にかかわり、1968年には共産党に入党します。一生を革命運動にささげることにしたのです。彼女は、カリフォルニア州マリン軍法廷反乱の共謀者として1年以上獄につながれます。獄中からジェームス・ボールドウィン序文による『もし奴らが朝に来たら』を友人とともに編集し、人種差別の犠牲者である政治犯の抵抗の意思と声をまとめています。それに続く自伝では、黒人の過酷な現実とそれに抗して戦う黒人たちの運動が生々しく、臨場感を持って述べられます。彼女の無実の罪をはらすため、国際的な支援活動が組まれ、保釈金を歌手のアレサ・フランクリンが出しました。彼女がいかに黒人解放運動の輝ける星であるかを物語っています。スパイク・リー監督が敬意をもって描く1970年代の黒人解放運動の輝ける実践が描かれており、その歴史の証言を聞くことができる素晴らしい自伝です。
最後に一言。スパイク・リー監督は、ニューヨークのブルックリンを拠点に製作会社『40Acres and a Mule Filmworks』で活動しています。会社の名前は、リンカーン大統領が解放された奴隷たちに約束した「40エーカーの土地と一頭のラバ」からきていることは言うまでもありません。
黒人の警部が、白人至上主義組織に潜入捜査をするという現実にはありそうもない実話を、映像資料も交えながら、時にコミカルに、サスペンスあふれる娯楽映画に本作は仕上っています。しかも、現在の黒人差別の歴史的な経緯を的確にスパイク・リー監督は描いています。ラジオで、この作品の観客の感想を宇多丸さんが紹介していました。その中で、最後のシャーロッツヴィルでのKKKなど右翼の集会の暴走を取り上げた部分が無駄だというものがありました。なぜ、そのような感想が出てきたのか、詳しくはよくわかりません。むしろ、監督は完成していた最後の場面を急遽入れ替えてシャーロッツヴィル事件を取り上げたのでした。KKKが今もなお、活発に活動しており、黒人と白人の子供であるバラック・オバマ大統領の登場に危機感を抱いた白人至上主義者たちが担ぎ出したのが、トランプ大統領だったからです。スパイク・リー監督が最後に訴えたかったのは、人種的対立をあおる現政権に対する危機感です。そのメッセージが最後の場面に込められています。現実の社会に対する鋭い批判精神に満ちた「ブラック・クランズマン」と人種間の心の交流を描く「人畜無害」の「グリーンブック」を比較するのも一興かもしれません。
「ボヘミアン・ラプソディ」
第91回アカデミー賞は、ロックグループ「クイーン」のブライアン・メイと歌手アダム・ランバートの「ウィ・ウィル・ロック・ユウ」と「ウィ・アー・ザ・チャンピオン」の演奏で幕を開けました。「クイーン」のヒット曲とともに、伝説のヴォーカリスト、フレディ・マーキュリーの半生を描いた映画「ボヘミアン・ラプソディ」は世界的にヒットし、特に日本では本国英国を上回る観客をひきつけました。
アカデミー賞でも、本人とは全然似ていないエジプト系米人のラミ・マレックが主演男優賞を得るなど、音楽の賞や編集賞など最多の4つの賞を獲得しました。「クイーン」はよく知られているように、日本で、とくに若い女性たちの間で爆発的な人気を博し、その世界的な人気の起点となりました。映画はリピーターが多く、「クイーン」人気再燃というところです。
私も6回観ました。映画はとてもまとまっており、伝説の1985年の英ウェンブリーでのアフリカの危機を救おうという「ライブ・エイド」(ダイアナ妃も登場)で幕あけ、最後に、「ライブ・エイド」の21分間のライブで終わるという構成になっています。音楽映画の新しい在り方を示したといえるでしょう。全編に流れる「クイーン」のヒット曲。私も、映画のサウンドトラックCDを買い、クイーンの曲に浸っています。紹介した「ブラック・クランズマン」も「グリーンブック」も音楽が映画の重要な要素になっています。
しかし、「ボヘミアン・ラプソディ」はむしろ、音楽に絵を付けたという作品といえるでしょう。
作曲したフレディ・マーキュリーはとても変わった生い立ちです。両親は、ゾロアスター教の敬虔な信徒であり、父親は、英国の植民地アフリカのザンジバルで植民地の官僚をしていました。ところが、フレディが18歳の時に、ザンジバルで独立を求める革命がおき、両親ともども、イギリスに政治亡命をすることになります。
映画でも父親が息子に、ゾロアスター教の教えを説きます。「よき考え、よき言葉、よき行い」と。ゾロアスター教とは、紀元前6世紀、ペルシャ帝国に生まれた預言者ゾロアスターが創始した宗教です。善神をアフラーマズダ、悪神をアフリマンといい、悪神を克服するように信心修行に励まなければならない、とします。善神の象徴である太陽・星・火などを崇拝します。なお、ひと昔前、電球に「マツダ」というブランドがありましたが、それはゾロアスター教からつけられた名前だといいます。古代ペルシャ帝国の国教として栄え、中国には南北朝のころに伝わり、拝火教といわれました。7世紀末、イスラム教の勃興とともに衰え、信徒はインド西部にのがれ、彼らはパールシーと呼ばれました。
彼らは、イギリスではパキ(パキスタンからの移民に対する蔑称)と呼ばれますが、フレディは古代ペルシャの末裔です。彼の作風には、本人は意識していないかもしれませんが、ゾロアスター教の厳しい教えとともにペルシャの華麗な宮廷音楽の影響があるのではないか、と「ボヘミアン・ラプソディ」を聴くたびに思うのですが、うがちすぎでしょうか。
今年の米アカデミー賞を観ながらの雑感です。なお、女性映画も2・3取り上げたいところですが、またの機会にしましょう。(止)
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 https://chikyuza.net/
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