書評:『虚栄の市』サッカレ作 三宅幾三郎訳(岩波文庫1939/71)全6冊
*この翻訳は非常な名訳であるが、なにぶんにも改訳されないまま17刷(32年間)まできているため、今のわれわれには、少々「古めかしすぎる」言い回しがある。それで、特にカタカナ表記の個所などで今風でないと思われるものは、この書評の中で、思い切って今日的な言い方に修正させていただいたことをお断りしたい(評者)。
はじめに-その時代背景
時は19世紀初頭、全ヨーロッパに覇を唱えようと、破竹の勢いに乗じてその支配を欧州全域からスラブ地域にまで伸ばし、それまでの旧態依然の諸王侯貴族社会を心底から震撼させたナポレオン。そのナポレオンにもついに陰りが見え始め、トラファルガー海戦でイギリス海軍に大敗(1805)し、マドリードの民衆抵抗運動の前に座礁させられ、そしてモスクワ遠征のみじめな敗退(1812)に続き、プロイセン・ロシア・オーストリア連合軍との間のライプチッヒ会戦に敗北(1813)して、翌年退位。エルバ島に流刑された。
この時代を扱った小説は、大小取り混ぜても非常に多い。そのうちでも代表的なものは、トルストイの『戦争と平和』(岩波文庫では、全8冊)であろう。この壮大なスケールの大河小説は、分量的な読みごたえ以上に、戦争により翻弄される庶民の運命、その悲しみ、苦悩を、一組の男女の間の愛の葛藤を追いかけるという筋立ての中で、見事に活写している。
さて、この『虚栄の市』は、そのようなトルストイ的なストイックで、オーソドックスな「歴史小説」とは趣を異にしている。ここではナポレオン戦争は、正面切って取り上げられているわけではない。いわば、側面からの隠し味(しかし、料理に隠し味が極めて重要なのと同様に、表面には現れなくとも、決定的な働きをしている)として使われている。
この小説の作家サッカレは、1811年生まれで、同時代のイギリス作家には、大衆小説で名を馳せたディケンズがいる。両者は年齢も一歳違い(サッカレが上)で、遅れて作家デビューしたサッカレは、すでに流行作家として名を成していたディケンズに追いつこうとして、大いに彼をライヴァル視したようである。
『虚栄の市』(Vanity Fair)という題名は、ジョン・バニヤンの『天路歴程』(岩波文庫では2冊本)に出てくる「虚栄の市」から採ったと言われる。しかし、『天路歴程』は、宗教色のはなはだしく強い(「お遍路」の)物語で、俗人が苦労して宗教遍歴を重ね、天国の門に至るというお話である。私(評者)のような不信心者には、「こんな本は二度と手にとりたくない」と思わせるものだった。ひょっとしてダンテの『神曲』に似ているのでは、と思われる人がいるかもしれないが、およそ中身は異なる。『神曲』は、人生の半ばを過ぎて、苦悩するダンテが自己の内面を描いたもので、政治的な挫折により、詩人としての再生をかけて、彼が師と仰ぐローマの大詩人ヴィルジリオ(ウェルギリウス)に導かれながら現世の虚飾の末路を地獄絵図の中でつぶさに見分(経験)しながら、ついに天国における芸術的な完成(永遠の美としてのベアトリーチェ)に到達する物語であるからだ。
『虚栄の市』は、こういう真面目さを大上段に振りかぶったものでもない。むしろ真逆である。
サッカレのVanityは、いわば、既存社会へのウィットに富んだ諧謔である。ダンテ的な「芸術の完成」を目指すがごとき欠片はどこを探しても見つからない。彼自身も、この小説を「英雄のいない小説」とか「主人公のない小説」とかと呼んでいて、語り口も講釈調だ。目立つのは、孤児レベッカのしたたかな世渡りぶりと、それと対照的な、お人よしのドビンのひたすらな誠実さである。ではこの物語の面白さは奈辺にあるのだろうか?
それは、彼らに関連して登場する人物群もふくめてであるが、それらの人々の性格を形成し、実生活を左右するこの時代背景のドラスティックな推移・変転にあるのである。人生の浮き沈みが、時代によって大きくもてあそばれる時代とは、いったいどういう時代をイメージできるであろうか? 一般的には危機の時代、つまり戦乱や革命の時代がふさわしいようだ。それではこの小説に即してはどうか。
一言で言えば、それまで栄耀栄華を誇った王侯貴族文化が徐々に潰え去り、それに代わって下賤な「生身の現ナマ(カネ)」が主人顔をして登場してくる、そういう時代、つまり貴族社会の没落=ブルジョア社会の始まりという時代の大きな転変期なのだ。
サッカレのVanityには、バニヤンから受ける「抹香臭さ」は全くない。彼は、貴族社会のもたらした上流社会の虚しさを、またそれに代わるべく登場した「金権支配」の世の中の繁栄の中身すらも、薄っぺらな打算(蓮っ葉な小娘レベッカに軽くあしらわれるレベル)によって作り上げられた擬制の賜に過ぎないことを見事に暴き出す。まことにこの世の繁栄とは、Vanity(虚栄、虚飾)に他ならないのではなかろうか。
同じナポレオン時代に生きたヘーゲル先生(ナポレオンの一歳下)も同様のことをおっしゃっておられる。『精神現象学』の中の「精神」の章にEitelkeitという言葉が出てくる。普通、『旧約聖書』にならって「空」と訳されているが、どうもピンと来ない。これではどうもバニヤンに近いからだ。ヘーゲルの概念は、どこまでも歴史にその基盤を据えて成り立っているのではないか。「空」では、全ては神の前ではただの虚構であり、儚くむなしいものだという空っぽのニュアンスが強く、ドイツ語ではLeereがふさわしいのではないだろうか。この世の物象化された「富」の虚しさを表現しようとすれば、やはりEitelkeit=Vanityでしかないだろうと思う。実際に、ヘーゲルは浮世の富の虚偽性をEitelkeitといっているのであり、そこには疎外(物象化)の意味が込められているからだ。
物語のさわり
さて、ナポレオン戦争によってヨーロッパ中が散々にかき回されていたのが、今やっと落ち着いた頃(「19世紀もまだ10年を少し出たばかりの頃」)、ここチジック・モール通りのピンカートン女史経営の女塾(女子学院)では、塾生たちは世の中がどうなっているのかなどには一切お構いなしの、中世の修道院(Kloster=convent)でのような規則づくめの生活を強制されている。レンガ作りの館と鉄の門がその象徴である。
その年の6月、この学院を二人の娘が巣立っていく。アミーリャ・セドレ17歳とベキイ・シャープ(レベッカ)19歳である。アミーリャの父親はロンドンの商人で、相当な財産家であるのに対し、レベッカの父親は、貧乏な画家で、母親は昔、フランスの歌劇女優であった-この小説の中では極めて軽蔑的に「下賤な職業」として扱われている-という(両親ともに今は故人)。彼女は父親と一緒に、この学院に年期契約(父親は絵画の教師として、娘は塾生兼下級生たち相手のフランス語会話教師として)で滞在していたのだ。
アミーリャの方は、品行方正、学力優秀、その上大変な美形で、性格も素直で申し分なしとなれば、この女学院でも、塾生たちのあこがれの的、宝塚のヒロインを想像すればよいのであろうか…? それに比べてレベッカはといえば、これから世の荒波に孤立無援で乗り出そうというけなげな覚悟をもってはいる、しかし当然ながら、これまでの生い立ちの所為で、少々皮肉れた反骨精神を持ち、世間ずれした小生意気な娘である。「彼女の体つきは小さくて細かった。顔は青白く、髪の毛は茶色で、いつも伏し目になっていた。目を上げたところを見ると、それは大変大きく、ちょっと変わっていて、魅力があった。」
二人は大の仲良しだったため、レベッカは卒院と同時に、アミーリャの実家(豪邸)に短期間居候した上で、新しい勤め先の家庭教師として赴任する予定になっていた。この物語を構成する主要な要素が、既にここに伏線として周到に準備されている。
この書評では筋立てを追うようなことはしない。読者が直接この書物から味わうであろう面白さ、楽しみを奪うことになるからだ。そんなことはしたくないというのが一つの理由である。
もう一つの理由は、評者の関心が、イギリス資本主義勃興期の精神状態、つまり社会内部に様々な行き違い、衝突、齟齬を孕みながら、たくましい生動感にあふれている活力、この若々しい生命の息吹がこの小説全編にみなぎっている点、ここにあるからだ。いかなる生体も生命活動が盛んな時には、己の身体の中に、魂も肉体も自分自身ですら統御しえないほどの大いなる矛盾を孕んでいるものである「矛盾こそが真理である」(ヘーゲル)。
そこで、この書評で企てたのは、先に紹介したお二人の娘たちに絡んで登場してくる、興味ある人物像を点描しながら、彼らの内に如何にその時代性が色濃く刻印されているかを観察するということである。そうすることで、「われわれはすべて時代の子である」ということが良く分かると同時に、「時代性」という一見捉えどころのないモノが、これらの人物の平凡な日常の所作、感覚やちょっとした思いの中において、実に生き生きと現れて活動しているということ、このことが良く分かるからだ。
「真なるものは、実体としてではなく、また同時に主体としてある」(『精神現象学』序文)という、なんとも解読し難い有名なテーゼの意味が、何となく見えてくれば幸甚である。
前もってお断りしたいが、この「書評」らしき一文は、この6冊本の中の最初の1~2冊しか取り上げない。評者の意図からすればこれで十分だからだ。評者がこの本を最初に読んだのは、おそらく30~40年ほども前のことである。その時からこの本の面白さは登場人物によって表される「時代の精神」にあると感じていたが、いま読み返してみてもその考えは少しも変わらない。
主な登場人物の点描
そこで主な登場人物の点描に移るとして、最初に登場したピンカートン女学院の経営者であるピンカートン女史もその気弱で人のよい妹も、旧い時代の母斑を色濃く残した修道院(尼僧院)的な遺物である。しかし、ここにも時代の変化は既に大きな影響をもたらしている。
姉の学院長にとっては、一番大切なのは建前上(名目的には)シキタリ、古い慣習(格式・伝統)である。しかし、実際にはどれほどの寄付がもらえるかが本音のところである。だから彼女が細心の注意を払うのは、相手の女生徒の実家が金持ちかどうか、にあるのだ。身分よりはカネの世の中が既にヘゲモニーを取ろうとしている。この「本音と建前」の板挟みを無意識的に演ずるところに彼女たちの最大の滑稽味がある。そしてこの点は以後の物語の展開を通して、様々な人物の多様な所作の中で絶えず繰り返される。
次は、アミーリャの家族、父親と母親と兄(ジョウゼフ)がいる。それ以外に黒人の召使サンボウ(当時の植民地インドを暗示していることは言うまでもない)、以下大勢の召使が仕えているがそれは割愛する。
ジョウゼフは、インドの会社(「東インド会社」?) に勤めていて、相当な実入りがあるようだが、今は身体を壊して帰国静養中。すごく太った伊達男で、超小心者である。父親は商売で大もうけをし、証券取引所-当時のイギリスは株式は未発達-に通うのが日常の仕事である。彼ら大金持ちは、既に貴族や市長などと懇意に付き合えるほどになっている。
次は、アミーリャの婚約者で、大変な遊び好き、博打好き、浪費癖のある二枚目、近衛騎兵隊中尉のジョージ・オズバンとその家族、同じく商売で大もうけした父親、母親と二人の妹達。彼らにとっては貴族の知人があることが最大の自慢である。
つまり、両家ともに今はたいそうな暮らしぶりの「大商人」ではあるが、成り上がりの平民であり、旧い貴族社会、身分への憧れとコンプレックスを絶えず持ち続けている。
対照的なのが、レベッカの新しい就職先(家庭教師)のクイーンズ・クローリ(地名)のクローリ家(当主は従男爵サー・ピット・クローリ)である。この家はイギリスでも有数な古い格式を誇る家柄である。クローリ家の家族構成は、老ピット・クローリと亡き先妻との間の二人の成人男子、ピットとロードン、後妻のローザとの間の二人の幼い娘(レベッカの教え子)。またクローリ卿の姉で独身の大金持ちクローリ老嬢、クローリ卿の弟でクイーンズ・クローリの敷地内にある教会の牧師夫婦、等々。更に彼らを取り巻く非常にユニークな個性をもった召使たちや医者、薬剤師たちがいるが、いずれもここではほとんど触れないでおく。
面白いのは、この老ピット卿の風体、人相、それに生活スタイルなどである。
「呼鈴を鳴らすと、食堂の日よけの隙間から誰か覗いて、茶色のズボンにゲートルをつけた男が玄関の扉を開けた。その男は汚い古い上着を着て、毛むくじゃらの頸に薄汚れたネッククロースを結んで、テラテラの禿げ頭で、意地悪そうな赤ら顔で、灰色の目をキラキラと光らして、始終歯をむき出して笑っているような口をしていた」。これがレベッカが馬車の中で思い描いていた「高貴な準男爵」ピット卿ご本人である。
しかも彼は守銭奴顔負けのしみったれた吝嗇家で、地所の小作人などからの取り立ては厳しく、また無数の民事訴訟を抱えている。カネになると思えることには何にでも手を出したがる商人貴族であるが、そのくせ、やっていることは全くの「殿様商売」で、帳簿すら満足に出来ていない有様であった。「吝嗇(ケチ)が富をもたらす」という素町人思想の持ち主。ろくに字も知らないが、上院議員という地位にある。鉄器商の娘だった後妻は、ただただおとなしいだけの病弱な日蔭者で、二人の娘を残して病死することになる。その娘達二人は、ほとんどほったらかし状態で、母親への愛情も薄く、むしろ召使部屋がその居場所である。
長男のピットは、野心家ではあるがなかなか芽が出ず、いろんな公的な職業を遍歴した上で、今は田舎の治安判事をしている。叔父(老ピット卿の弟)のクローリ教会とは別派の教会を後援し、互いにいがみ合っている。その弟のロードンは、粗野で乱暴者の大男、遊び人の龍騎兵将校(大尉)である。兄弟仲はひどく悪く、弟は実家を毛嫌いしている。
伯母のクローリ老嬢(老ピット卿とは腹違いの姉で、実母の遺産7万ポンドを相続している)が実家に帰っているときにのみ兄と入れ違いにロードンも帰ってくる。伯母が寵愛しているのはこの甥だけである。
老ピットは、これらの息子達も、牧師の弟も嫌っている。姉に対しての愛情は、その財産目当てのものでしかない。
もうこれ以上の点描はしないでおく。詳細に書けば、この小説の面白みが半減するからだ。
ただ、もう一人忘れていたので、簡単に付け加える。それは雑貨商の息子ドビンのことだ。彼は、近衛騎兵隊中尉ジョージ・オズバンの学校の先輩で、同じく近衛騎兵隊所属の大尉である。小売商の息子として、学校時代には「軽蔑と憫笑」の対象だったが、ある時、学校一番の総大将との一騎打ちに勝って以来、一躍ヒーローに祭り上げられたキャリアを持つ。少し遅鈍なところもあるが、非常に誠実で優しい性格の人物である。
これらの人物達が、エルバ島からのナポレオンの脱出・帰還という大事件をはさんで繰り広げるのが、この「人間喜劇」である。
まとめとして、少し時代性を振り返る
実際の歴史では、われわれの予測を越えた様々に偶発的な要因が出現する。それによって人生の歯車が大きく狂うことは大いにありうる。「概念の必然性」という哲学的な命題も、ここでは一切通用しない。
といえば、「それ見ろ、君の担いでいるヘーゲルも結局は通用しないではないか」と言われそうである。実際にヘーゲル自身が、「偶然性の要因の大きさ」を素直に認めている。その上で、こういう現実界においては、理性の判断よりか、より多く悟性的判断が有効性を持つことがありうると述べている。
さて、先に登場人物を素描するなかでも触れたように、それぞれの人の個性に実によくこの「時代の曲がり角」という特徴が反映しているように思う。
貴族は、依然としてその虚栄心(プライド)を外見的には保ちながらも、その内実においては素町人以下の金勘定の「守銭奴」に成り下がっている。片や、平民の方はといえば、既に王侯貴族を圧倒するほどに蓄財をした「大商人(大金持ち)」が出没し始めているのであるが、その社会的地位は今だ「平民」でしかない。彼らの憧れは、貴族文化であり、なんとかこういう上流階級に繋属を持ちたいとひたすら願っている。
こういう精神状態がこの時代の少なくとも上層部の風潮を特徴づけている。経済学史的にいえば、世はまさに重商主義的植民地主義の時代である。イギリスは、いち早く17世紀には、インドに「東インド会社」を設立して植民地経営に乗り出している。そのことが、黒人の使用人サンボウやアミーリャの兄ジョウゼフとして表現されている。
また、18世紀はイギリスの産業革命の時代でもある。底辺労働者の極貧の生活状況や劣悪な労働条件、ロンドンのスラムの様子などは、ここには描かれてはいない。
ただ、イギリスの植民地貿易がナポレオンの流刑によって、それまでの大陸封鎖から解き放たれ、やっと再び活発になった矢先にナポレオンの復活(1815年)が伝えられた。
公債はたちまちのうちに暴落する。証券取引所は大混乱をきたす。その結果は、取引所を活用して大もうけをしてきた商人たちは、たちまちこの偶然に生じた事件の中で右往左往させられる。悟性的な見込みが的中して大もうけをした人もいる半面で、見事に外れて、それまでの裕福な生活が一転し、みじめな貧困生活へとまっさかさまに墜落した人たちもいる。「ナポレオンは最後の大博打を打とうとしている。(そのせいで庶民の)幸せまでが、何らかの意味で、その巻き添えを食らうのである」。
そういう人たちの家族は、それまで政治などには無関心であったとしても、もちろんそれに連座させられることになる。仲間も、友人も、恋人も、当然召使も皆一瞬で離反する。それまでに営々として築き上げた家屋敷や豪華な家具なども、今や競売にかけられて人手に渡る。これが資本主義の冷酷な掟である。
「生前どんなに数奇を凝らして集めた蔵書でも、家具でも、食器類でも、衣装類でも、上等の酒でも、いったん本人が死んだとなれば…犬儒派的な跡次の管財人の命令で売り払ったり、遺産管理人の勧めに従って競売に伏したりするのだ…。」
どこまでも付き合い良く、追いかけてくるのは債鬼だけである。果たして物語はどのように展開するのであろうか…。
余分な追記:イギリス小説で面白いのは、この本と、さらに約1世紀さかのぼったころのもので、フィールディングが書いた『トム・ジョーンズ』(岩波文庫 全4冊)である(もちろん、シェイクスピアは別格)。フィールディングの時代は、貴族社会が少しずつほころび始めたころ(「ヨーロッパ革命の時代」遅塚忠躬)と言えるのであろうか。いずれも、物語の登場人物像に時代が良く映し出されている。ある有名な批評家が、シェイクピアのものでは、その登場人物のすべて、どんな端役にいたる迄もが、生活感を持っていると書いているが、この言葉がフィールディングやサッカレにも当てはまるように思う。
2022年8月30日 記
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
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