暑いだけで何もない夏ですが…

 「今年の梅雨は、思いがけなく早くあがって、連日のように猛暑が続く。そして気象通報に『真夏日』という声を聞くことが多くなった。これは気温三十度を超える日を指すことに、気象台が決めた言葉だという」(山本健吉『言葉の歳時記』)。これは昭和五十三年(1978年)に書かれた文章である。当時も、今日のような猛暑が続いたらしいが、僕の記憶にはない。そういえばと覚えている人はあるのだろう。季節のことを記憶するには何かが必要であり、僕にとってはそういう契機が欠けているのだろうと思う。この真夏日という言葉を気象台が決めて不快感を連想させる言葉にしてしまったことを著者は批判しているが、今この言葉はあまり使われないようである。これは不快の象徴としてこの言葉が使われ過ぎたためだろうか。

  昨日の朝日新聞は菅首相の私的諮問機関である「新たな時代の安全保障と防衛力に関する懇談会」が首相に提案する報告書の全容が明らかになったとしてその概要と解説を載せている。これは非核三原則の見直しや集団自衛権の柔軟な対応をするなど、日米同盟の深化という名目で、日本の軍事的役割の強化を提言している。武器輸出に関する三原則の規制緩和もある。例えば国連決議のない場合でも自衛隊の海外派兵を容認するなどである。朝日新聞はこれを唐突な提言というが、日本の「外交―安全保障問題」に基本的な構想を持たない民主党に向けたもんであり、国際平和フォラムの提言などと同じものである。日本の防衛的役割の拡大は自主防衛論の延長にあるものだが、「専守防衛」論の下の垣根を取り払うものだ。これはまた、戦後の「外交―安全保障」戦略を消極的平和主義として批判し、積極的平和主義を対置するものである。

  この背後にはアメリカの軍事的な力の衰退がある。伝えられるところでは「世界の護衛官」と称していたアメリカの軍事的役割を冷戦時代の遺物として批判し、それを見直す動きがアメリカの内部で大きな動きとして浮上している。この中では沖縄の海兵隊の存在と役割にも疑問が呈されている。アメリカはイラクやアフガニスタンでの戦争の行き詰まりと軍事費の圧力にあえぐ中で、冷戦構造の世界戦略の後に、9月11日事件を契機に出てきた新戦略の見直しが不可避になっている。日本はアメリカの外交―安全保障戦略から自立した独自の路線の構築が要求されているが、それは積極的平和主義の道ではなくて、日米同盟の起源と展開の検討を含めた消極的平和主義の深化の方でなければならない。

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